つくろう、島の未来

2024年11月21日 木曜日

つくろう、島の未来

今回の『季刊ritokei』 特集タイトルに掲げた「島だから学べること」をテーマに、読者の皆さんに「島で学んだこと」をお寄せいただきました。
ここでは、与論島(よろんじま|鹿児島県)で出会ったある日常の風景から学んだという近藤功行さんの作文をご紹介。

※ ページ下の「特集記事 目次」より関連記事をご覧いただけます。ぜひ併せてお読みください。

※ この記事は『季刊ritokei』39号(2022年8月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。

>>前回:「リトケイ編集部おすすめの修学旅行&体験キャンプ【特集|島だから学べること】」はこちら

ある日の夜、島でよくある宴席に招かれた自分は、テーブルの一角で料理を食べながら周りの人たちと談笑していた。

なにぶん数年前の記憶だから詳細は違っていたかも知れないが、この時点で4〜5人がいた宴席は、庭に面した母屋で繰り広げられていた。玄関の右側にある部屋で、庭に面した仕切りは左右に移動され、部屋の中から庭先の木々も見えていた。

21時をまわった時刻、自分がいる席からある光景が見えた。それは20〜30歳代と思われる3人の若者の姿。彼らはこの家の娘さんの同級生で、娘さんやその夫は宴席にいた。

自分はこの娘さんの両親に招かれたかたちだったが、娘さんや夫とも旧知の仲だった。若者3人はある同級生の結婚式の話もあってやってきたらしい。宴席には彼らが加わるための席も空いていた。

庭先に現れた若者の姿は宴席の人たちからも見えていたが、別段、彼らに声をかけるわけでもなく、宴席は続いていたと記憶している。

そしてこの家の夫婦が声をかけ、若者らは家に入ってきた。それからすぐに宴席へ入ってくると思っていた自分は、そうならなかったことに驚愕する。

若者たちは玄関から中に入り、宴席の部屋に現れて挨拶をした後、空いている席には向かわず、ある場所に足を運んだ。そこは、この家の仏壇だった。

仏壇に向かい、若者たちは沖縄で言うところの島流の「う〜と〜と(拝み)」を行い、それから宴席に座ったのだった。

この行為そのものはおそらく、彼らがある時期に体得したものであり、島の人たちにとっては日常なのだろう。しかし、島んちゅでない自分にとっては、ものすごく感動させられる光景でもあった。

この島には高校まである。島の若者は、高校を出るとほぼ全員が就職進学で島外に出る。それで牛の方が人よりも多くなったと島の人たちは語るが、2004年当時の出生率は、鹿児島県内でも高く、全国平均を上回っていた。

談笑中の宴席の場で自分が見た光景は、島の人たちの死生観を現しているものでもあるはずだ。他人の家に行っても、そこの家の仏壇に手を合わせることから始めることを、彼らは何の戸惑いもなく自然体で行っていた。

沖縄の祖国復帰前までは日本の南端だったこの島は、観光で栄え、宿泊施設の数も鹿児島県で1番を誇っていた。近年は人口減少の波が押し寄せ、若者が戻って来れる島を目指しながら今日に至る。この島は、鹿児島県大島郡与論町、1島1町の島だ。

>>次回:「いつか、我が子を離島留学へ【特集|島だから学べること】」に続く

特集記事 目次

特集|島だから学べること

地球レベルの気候変動にテクノロジーの進歩と社会への浸透、少子高齢化、孤独の増加、人生100年時代の到来etc……。変化の波が次から次へと押し寄せる時代を生き抜くため、近年、教育や人材育成の現場では「生きる力」や「人間力」を養う学びに注目が集まっています。 そんななか、離島経済新聞社が注目したいのは学びの場としての島。厳しくも豊かな自然が間近に存在し、人と人が助け合い支え合う暮らしのある離島地域には、先人から継承される原初的な知恵や、SDGsにもつながる先端的なアイデアや挑戦があふれています。本特集では全国の島々にある学びのプログラムや、それらを運営する人々を取材。「島だから学べること」を紹介します。

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