つくろう、島の未来

2024年03月19日 火曜日

つくろう、島の未来

リトケイ編集部の島酒担当記者、石原です。「島酒日記」では、取材をしながら出会った島酒や島酒の造り手さんたちのこと、島酒の楽しみ方などを徒然にお話ししています。
奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)で黒糖焼酎を造りながらミュージシャンとしても活動する西平(にしひら)せれなさんが、この春オリジナルアルバムと黒糖焼酎「珊瑚 新酒2017」を同時発売。5月6日にレコ発ライブ「杜氏就任式」が開催されました。

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西平酒造は、奄美群島(あまみぐんとう|鹿児島県)だけで製造される特産品「奄美黒糖焼酎」を製造する、群島に26ある蔵の一つ。今年創立90周年を迎えます。

1927年に、沖縄出身の西平守俊(もりとし)さんと杜氏(※)を務めた妻・トミさん夫婦が喜界島(きかいじま|鹿児島県喜界町)で創業しましたが、太平洋戦争下、終戦間際の1945年に喜界島を襲った空襲で蔵を焼失してしまいます。

※杜氏(とうじ)……酒造りの最高責任者

終戦後、西平夫妻は奄美大島へ移り、旧・名瀬市(現・奄美市)小俣町の現在地に蔵を開きました。戦後の8年間奄美群島がアメリカ軍政下に置かれ、本土との物資流通が途絶えたなかで、島の人たちが求めるビールやサイダーなどの嗜好飲料も製造していたそうです。

奄美群島には、ほかにも徳之島(とくのしま|鹿児島県)の松永酒造場(1952年創業)や、沖永良部島(おきのえらぶじま|鹿児島県)の神崎産業(1950年創業)など、女性杜氏が開いた焼酎蔵があります。
かつて沖縄や奄美の家庭で自家用に蒸留酒が造られていた時代は、その家の女性が酒造りを担っていましたから、その頃までは女性杜氏も珍しくなかったのだと思われます。

それぞれの蔵の歩みは、昨年秋に出版された著書『あまみの甘み あまみの香り』にも書いておりますので、よろしければご一読ください。

西平せれなさん(鹿児島市「焼酎ストリート2017」にて撮影)

さて、初代のトミさん以後、西平酒造では男性杜氏による酒造りが続けられてきましたが、時は過ぎ、再び西平酒造に女性杜氏が誕生しました。トミさんのひ孫に当たる、西平せれなさんです。

せれなさんは、奄美大島で生まれ育ち、高校を卒業後に上京。東京での演劇や音楽活動を経て2014年に島に帰り、ご実家の西平酒造で杜氏見習いとして製造を手伝っていましたが、2017年1月にめでたく杜氏に就任しました。

杜氏として初めての仕込みに挑むかたわら、音楽制作にも取り組んだせれなさんは、この春、限定100本の「珊瑚 新酒2017」とオリジナルアルバム「メッセオアマッサ」を同時発売しました。

左:前掛けにサインするせれなさん/右:『あまみの甘み あまみの香り』もPR

5月6日、新しいアルバムと焼酎をお披露目するライブイベント「杜氏就任式」が開催され、100人超の観客が集まりました。
楽曲演奏の合間に寸劇を挟む舞台には、せれなさんの演劇経験も活かされているようで、寓話のような物語に人間の欲望と孤独、愛やおかしみが散りばめられた世界観に引き込まれました。

物販コーナーでは、せれなさんのCDのほか、西平酒造の前掛けや、上の写真でせれなさんがつけている、お手製の焼酎ピアスなどのグッズも人気を集めていました。
私も場所をお借りして、著書『あまみの甘み あまみの香り』をPRさせていただきました。ありがっさまりょーた(奄美の方言で「ありがとうございます」の意味)。

ライブの翌日、夢のような舞台の余韻に浸りつつ、取り寄せておいた「珊瑚 新酒2017」を開けることに。
蒸し暑い日だったので、タイ料理のガッパオライスをつくり、42度の「珊瑚 新酒2017」の味わいをそのまま感じられるよう、オンザロックで合わせてみました。

さて、せれなさんが杜氏就任して初の黒糖焼酎の味わいは……。山盛りのパクチーやナンプラーなどクセのある食材にも負けない、豊かな香りとコクがあり、甘みと辛味がバランス良くミックス。後味はきりっとしていて、鼻に抜ける香ばしさが食欲をそそります。

まるで、せれなさん本人のような印象の「珊瑚」に、「お酒には造り手のキャラクターが表れるのかな」なんてことを思いながら、心地よく酔えました。
お酒造りも音楽も個性的な、せれなさん。今後の活躍が、ますます楽しみです。
それでは、また。良い酒を。

離島経済新聞 目次

編集部員石原の島酒日記

リトケイ編集部の島酒担当、石原です。取材をしながら出会った島酒や島酒の造り手さんたちのことを徒然にお話しします。

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