つくろう、島の未来

2019年12月09日 月曜日

ある人は、島の暮らしを「東京の真逆」と言いました。お店、公共サービス、交通機関、学校、病院、介護施設など、どれもが少ない(あるいは無い)島の暮らしは、確かに、真逆と言えるでしょう。しかし、島には「ない」から生まれる動きがあり、その動きをつくる「人」がいます。

島には、多くの都市で見られなくなったものがあり、雄大な自然に、人と人が助け合う暮らし、創造的な地域づくりなど、島だから「ある」ものがあります。この連載企画は内閣府の補助事業として運営されている地方創生『連携・交流ひろば』とリトケイ編集部のタイアップによりお届けいたします。(取材・リトケイ編集部)

vol.1 笠岡諸島 北木島・真鍋島・六島

岡山県の西南部にある笠岡市は、7つの有人島がある笠岡諸島を有しています。北から高島、白石島、北木島、真鍋島、大飛島と小飛島の2島が総称で呼ばれる飛島(ひしま)、そして最南端にある六島(むしま)。

平成22年の国勢調査では7島あわせて2,166人だった人口は、平成27年には1,625人に減少。人口減少に伴い、産業衰退や学校存続の危機など、多くの課題が存在する笠岡諸島を支える団体や人々を訪ねました。

人口5万人弱の笠岡市の4%が、7つの島に暮らす笠岡諸島

日本国内にある有人離島は約420島あり、約170の市町村が島々を有している。東京に人口が一極集中する一方、人口減少に悩む自治体には枚挙のいとまがないが、なかでも特に舵取りが難しいと考えられるのが、複数の有人離島を有する自治体である。

岡山県笠岡市は、最寄りの新幹線停車駅である広島県福山市からローカル線で約15分。2019年11月1日現在の人口は47,972人で、ちょうど1年前は48,850人であったところを見ると、過疎は島だけの問題ではない。

笠岡市の南部、瀬戸内海に広がる笠岡諸島には、人口の4%が暮らしている。陸地部からそれぞれの島に渡るには、旅客船やフェリー、海上タクシーなどの「船」が必須。20分〜60分程度の船旅を経て、人が暮らす7つの島に渡ることができる。

笠岡諸島1

(提供:笠岡市)

笠岡諸島の7島はそれぞれ個性が異なる。最北にある高島(たかしま)はツツジが群生し漁業が盛んで、白石島(しらいしじま)はマリンスポーツが盛んで外国人観光客も多く、国指定の重要無形民俗文化財の「白石踊」が有名。

「石の島」として知られる北木島(きたぎしま)は近年、お笑い芸人「千鳥」の大悟さんが生まれ育った島として知られ、合宿や企業研修に活用できる研修施設もある。真鍋島(まなべしま)では映画のロケ地になるほど風光明媚な漁村風景が見られ、2島あわせて飛島と呼ばれる小飛島(こびしま)と大飛島(おおびしま)には椿が自生し、花が見頃となる3月には椿まつりが開催される。そして、笠岡諸島はもちろん岡山県の最南端に位置する六島には、水仙が咲き誇る丘と灯台が穏やかな景観をつくっている。

「石の島」として栄えた人口766人の北木島へ

今回は、伏越港から2ヶ月前にデビューしたばかりというフェリーに乗り、北木島へ渡った。

笠岡諸島2

良質な花崗岩が採れた北木島では、「北木石」が海の道を通って全国に運ばれ、大阪城の石垣や明治神宮、靖国神社の大鳥居など、日本の礎ともいえる場所に用いられた。

「石の島」として隆盛を極めていた1950年代には、北木島だけで1万2,000人もの人が暮らしていたという。

笠岡諸島3

最盛期には約130カ所あったという採石場は2カ所に減り、産業の衰退とともに人の影が薄れ、現在の人口は700人台を推移している。

北木島の豊浦港に降り立ち、穏やかな集落を歩きながら目的地へ向かう。港から徒歩5分の場所に目指す団体の事務所がある。

笠岡諸島4

笠岡諸島を支える「第二市役所」かさおか海づくり会社

のどかな島の風景に溶け込む元幼稚園を拠点に活動する「NPO法人かさおか島づくり海社(がいしゃ)」(笠岡市や島の方々には「うみしゃ」の愛称で親しまれている)を訪れると、複数のスタッフが事務所に出入りしながら、忙しそうに働いていた。

海社の理事長・鳴本浩二さん北木島育ち。約20年前、笠岡諸島の有人7島に暮らす有志らと夜ごと酒を酌み交わしながら島の未来を語り合い、1997年に「島をゲンキにする会」を立ち上げて以来、笠岡諸島を支えてきた人だ。

同会は1998年、北木島で7島の住民を集めた「島の大運動会」を開き、笠岡諸島の島づくりをスタートさせる。

島に限らず、同じ行政区内にある地域でも、お互いのつながりは浅く、連携を図ろうにも簡単にいかない地域は少なくないだろう。まして島は海を隔てている。

そこに生まれた運動会というアイデアは、同じ笠岡諸島に暮らしているとはいえ、「なんとなく顔は知っている」状態だった住民らの間に、「他の島に顔見知りの方ができた」「お互いに声をかける間柄になった」という関係性を構築。初開催から20年以上、各島の持ち回りで今日まで続いている。

笠岡諸島6

島々が運動会に湧いていた2001年、笠岡市でも市長直轄の「島おこし海援隊」が組織され、「島民になれ!」という任務を受けた3人の市職員が活動を始めた。市は2002年に独自の離島振興計画「笠岡諸島振興計画」を策定し、現在は第2次計画を推進している。

一方、「島をゲンキにする会」は2002年に「電脳ふるさ島づくり会社」となり、2006年には法人格を持つ「NPO法人かさおか島づくり海社」にステップアップ。

鳴本さんは海社を「第二市役所」と呼び、7島の課題解決を図る受け皿に位置付けながら、あらゆる課題と対峙している。

笠岡諸島7

そんな海社の活動は幅広い。空き家を活用したデイサービス施設の運営や、島の特産品開発や流通販売、自宅で暮らす高齢者の見守りと買い物支援を兼ねた「島のきずな便」、白石島と真鍋島で船の入出港作業を手伝う回漕店、北木島内を走る巡回バス、六島の幼児教育施設など、第二市役所と呼ぶにふさわしい数々の事業を、約50人の体制でこなしている。

笠岡諸島8

長年に渡り、7島を支えてきた功績が認められた海社は、2016年に地域再生大賞の大賞も受賞。鳴本さんは、「笠岡諸島の暮らしを守るとともに、多くの人々の協力を得ながら島を未来につないでいきたい」と語った。

>> vol.01 笠岡諸島・真鍋島
「市職員が個人ブログに綴った『本気』を継ぎ、島の暮らしを支える家族」に続く

特集記事 目次

島×地方創生「ない」から生まれる創造力の「ある」島へ

ある人は、島の暮らしを「東京の真逆」と言いました。
お店、公共サービス、交通機関、学校、病院、介護施設など、どれもが少ない(あるいは無い)島の暮らしは、確かに、真逆と言えるでしょう。しかし、島には「ない」から生まれる動きがあり、その動きをつくる「人」がいます。島には、多くの都市で見られなくなったものがあり、雄大な自然に、人と人が助け合う暮らし、創造的な地域づくりなど、島だから「ある」ものがあります。この連載企画は内閣府の補助事業として運営されている地方創生『連携・交流ひろば』とリトケイ編集部のタイアップによりお届けいたします。


地方創生とは、日本の視点でいえば、「人口の東京一極集中の是正」であり、島の視点に立てば「戻っておいで」「移り住んでおいで」を後押しする動き。内閣府の補助事業として運営しているウェブサイト「地方創生『連携・交流ひろば』」では、全国の地方創生に関心ある人がつながるきっかけとなる情報や、地域づくりのノウハウ、専門家と意見交換ができる交流掲示板などを提供。「島に移り住みたい人」も「移住定住者を増やしたい島」にとっても有益な情報が集まっています。

『地方創生カレッジ』は、インターネット環境とパソコンやスマートフォン、タブレット端末があれば、島でも学ぶことができる無料講座。累計2万人が受講しています。講座内容は「地域ビジネスモデル」「地域公共サービス」「地域産業」「プロジェクトの資金調達」「魅力ある観光地づくり」「地場産業のブランディング」「ジビエビジネス入門」など、167 種類(2019 年11月現在)。島の課題解決のヒントにお役立てください。

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