新上五島町(しんかみごとうちょう)地域おこし協力隊 兼 フリーライターの竹内 章による島グルメコラム。観光客目線ではちょっと気が付かない、地元ならではのおいしい五島飯を紹介します。
「口からぶくぶく」がサイン
何とも言えない香ばしい香りが漂い始めました。
じりじりと七輪であぶられているトビウオの口から、ぶくぶくと泡が吹き出しています。
「泡だ! 本当に出てきた! これが『焼き上がったサイン』なんでしょう?」
うちわで風を送っていた高校生が、興奮した表情で隣にいた友だちの腕をつかみます。
初秋を迎えた長崎県・五島列島。中通島(なかどおりじま)にある県立上五島高校(新上五島町浦桑郷)では、生徒らが島伝統の「焼きあご」作りに挑戦する姿がありました。
北風に乗ってやってくる
「北風が吹くと、あごがやってくる」
新上五島町には、こんな言葉があります。「あご」というのは、トビウオの別名。
夏が終わりを迎えるころ、島では少しひんやりとした北風が吹き始めます。これが、あご漁の始まる合図。あごは北風に乗って島の近海に姿を現します。
島の漁場では、あごを獲るため船が2隻1組で網を引く「二艘引き漁法」が見られるようになります。その姿は「もう夏も終わりだな」と季節を感じさせる風物詩のようなものです。焼いて干したトビウオを使った「あごだし」は、すっきりと上品ながらコクのある味が特徴。
九州では古くから親しまれてきただしですが、和食やめん類との相性が良いことから、近年、人気に火が付き、一気に全国区へと駆け上がりました。
昨シーズンは取引価格が跳ね上がるバブル状態となり、景気のいい話を聞く機会もありました。
顧みられなかった魚
今でこそ引く手あまたのトビウオですが、昔はそうでもなかったようです。
トビウオ漁が盛んだった中通島北部地域の歴史が記録されている『新魚目町郷土史』に、こんな記述がありました。
「シイラ漁の副産物としてトビウオが獲れたが、生で食べてもあまりおいしくないので、顧みられなかった」
なんと、今では信じられない程に日の当たらない魚だったんですね。
しかし、そんな不遇の時代を経て、身を焼けば保存が効き、味もいいことが分かり、記録にある限りでは少なくとも1800年頃にはトビウオ漁が盛んに行われていたようです。
焼きあごは、トビウオを15匹程並べて金串に刺し、そのまま炭火で一気に焼き上げます。焼く前にずらりと並べられた串刺しあごの姿は壮観で、今では少なくなりましたが、昔は多くの家庭で自前の焼きあごを作っていたそうです。
子どもたちに伝えたい伝統
「あご焼き」行事が始まった背景には、島のお母さんたちの願いがありました。
上五島高校で長年行われている「あご焼き」行事は、生徒の母親たちの間で結成された「母の会」が活動の中心です。
島の高校生は学校卒業と同時にほぼ全員、就職や進学で島を離れます。島に戻ってくるのは、ごくわずかです。
ある母の会のメンバーが、あご焼きにはしゃぐ子どもたちを見ながら言いました。
「あご焼きは、この島の大切な文化。島を離れても、ふるさとの伝統として忘れないでほしいし、いずれは自分の子どもにも伝えてもらいたい。そう願っています」