つくろう、島の未来

2021年12月01日 水曜日

つくろう、島の未来

瀬戸内の島々150島を歩き、人と暮らしを描いてきた絵描き・倉掛喜八郎氏の著作『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』より、エピソードを抜粋して掲載する連載企画。
愛媛県松山沖に浮かぶ、今は無人島となってしまった由利島(ゆりじま)で、タコツボ漁とミカン耕作を営みながら戦前から1980年代まで暮らした夫婦を訪ね、穏やかな海を見下ろすミカン山で、漁に出た船の上で、問わず語りに聞いた島の話をお届けします。

左:二神・由利島周辺地図/右:由利島鳥瞰図(クリックで拡大します)

自然とともに

「私らが由利におったんは、さぁ何年になろうかぁ。おじいさんと結婚したんが昭和二三(一九四八)年の春、そんときからじゃけぇ。三八年にイワシ網が中止になると、ツルベ一杯の水に困っとんが、まんでウソのようじゃったわい。その時分由利におったんは、私ら入れて六戸じゃったんじゃけどなぁ、百姓も次々と二神へ戻ったんよなぁ」

漁船の性能がよくなり、行き来が楽になると、由利を引き払い、二神から通い耕作をするようになっていく。 

「そりゃ、別れることは寂しいことよのぅ。楽しいことも苦しいときもみな一緒じゃったけぇなぁ。由利は電気もない、郵便も電報も配達されんかったけぇ、何かと不便に思うちょった人もおったじゃろうけど、私はたいして不便じゃとは思わなんだわい。そんで四人の百姓が二神へ戻って、私ら夫婦だけになったんが昭和四一年。おじいさんが五一歳、私が四二歳のときよのぅ。それから五一、二年頃までおったんじゃけどなぁ。

何年の何月何日に二神へ戻ったとはハッキリ区切れんのよぅ。その時分はミカンが忙しいときは二、三日か、ひと月ぐらいは由利におったけぇのぅ。そんで、だんだんに二神に泊まることが多なったんよぅ。じゃから由利におったんは二七、八年ぐらいじゃろぅか、由利に常住したんは私らが最後よの、後に住んだ人はおらん。みんな通い耕作しちょるけぇなぁ」

「由利で私ら二人ぎりになっても、生活は何ちゃ変わりゃせんかったわい。由利におるとな、お金は使わん、ムダな交際費もいらなんだんよぅ。時間は潮の満ち引き、ミカンの木の影の伸び方でわかったんで、時計もいらなんだわい。仕事は毎日、お日和を見定めて計画的にしたんよぅ。

天気関係なしにのんびりやればいいもんじゃが、それでは能率が上がらんのよぅ。洗濯やら何やら家のことは、ちいとほっちょいても後でできるけどが、畑はそうはいかんのよな。お日和はなぁ、空や雲、風の吹きよう、朝焼け、夕焼けやら星や月やら見て、二、三日先を見定めたんよの。

『春は南』言うて、四国のほうが曇れば雨、晴れるとよいお日和。ミカンの苗木を植えて野菜のタネをまいて、ツボの支度と畑とで大忙しよの。『春の一日西』は一日いいお日和で西の風、晴天は一日だけで二、三日とはつづかん。東風(こち)が吹いて次第に雨。

『春日和の秋だたえ』言うんじゃけどな、春の引き潮のときの風はたいしたことないけどが、秋の潮が満ち出したころに吹く風は恐ろしいということよのぅ。満月は大潮、半月は小潮。春の大潮いうて瀬戸や海峡は大けな渦潮になろぅ。

春はよう霧がかかってな、何も見えんようになるけぇ。船がよう由利へどしゃげて(座礁して)来たんじゃけど、おじいさんはコンパスと渦やらを見て船の位置を知って、操船がうまかったわい。春の終わりは朝は北、晩は南の風が毎日のように吹いてよの、南の風が強うなると雨よぅ」

風光る五月初旬。由利の畑にミカン蜜の甘い香りが漂い、小由利の松の若緑がまぶしい。

「夏の初めに早手と言う東風がよう吹いて、雲が出てくる方向から雨、海がようシケるんよぅ。雨がしとしと降る梅雨時はなぁ、野イバラがよう香るんよぅ、朝は特にな。海に靄(もや)がかかって何も見えんときでも、由利に近づくと木の新芽、花の香りや小鳥のさえずりが聞こえてきたんで、由利の近いことがわかったんよぅ。梅雨時はタコの最盛期じゃし、ミカンの花をもがん(摘み取る)ならん、目の回るほどの大忙しよなぁ。

夏はツボと早生(わせ)(温州ミカン)、雑柑(伊予柑、ネーブル)の摘果よのぅ。浜一面にパーッとユリの花が咲く頃はの、沖でハゲ網にカワハギがよう乗るんよぅ。
梅雨が明けてな、日照りになると、水潮がのう(なく)なるんで、ツボが軽うなるんよの。そうすっと、もうタコの終わりが近いということよのぅ。夏の終わりは大風が吹く。由利の辻っこの木立がガサゴソ音を立てだしたら三〇分後に大風よぅ」

秋風が吹きはじめると、由利の海は青さを増し、渚に寄せる満ち潮の波しぶきが白く輝く。

「秋の初めは東風が何日もつづいて、次第に強く吹くと雨。雨が上がるとすぅぐに西風が吹いてくる。『秋は北』言うて、北が青うに澄んだらお日和。じゃけど日和返しに吹く風は油断ができんのよぅ。

一〇月は大小凪(おおこなぎ)言うてよの、秋晴れの凪の日がつづくんよぅ。そんでときどき雲が出てパラパラと雨が降るんを『一〇月のてぼか月』言うんよのぅ。半ばから早生、一一月の半ばからは晩生(ばんせい)を収穫するんよのぅ。一二月半ばから正月までに伊予柑、ネーブルを収穫するんよのぅ。温州の出荷もせんならんので忙しいんよの。二神へミカンを持って帰るとき、よう東風が吹くんでな、船も体もビチャンコになるんよぅ。風は怖いけぇなぁ、人も木も風には逆らえんのよ」

海は危険がいっぱい。ひとつ判断をまちがえれば命に関わる。だから漁師や船乗りは朝な夕なに天候を予見する。

「一、二月はミカンを全部もぎった(収獲)後、樹勢を強めるために去年実をならさんかった枝の整理、防風垣の枝打ち、畑の南の風の当たらんところの草刈り、保温のために敷き草すんのよのぅ。ミカンは防寒、ダニ駆除、農薬散布すんのよぅ。

冬は西の風、日和返しに吹きはじめた西風は、長う吹いて一週間ぐらいおさまらんことがある。雲が出ては雨が降り、降っては風が強うなって吹雪いたり、寒いときは雪になるんよぅ。西の空の星がピカピカ光ると西の風、東の空の星が光ると東の風が吹くんよぅ。ピカピカ星の輝きが強いと風も強いんよぅ。

三月は苦土(くど)石灰の春肥(肥料)やりと、ミカン選定の最盛期よのぅ。一番遅いネーブルの出荷は三月初旬。四月は選定と合わせて接ぎ木もすんのよぅ。一日からタコの解禁、朝六時ぐらいから畑とタコで大忙しよぅ。五月は防除と花をもぐんよのぅ。中旬から七月上旬はタコの最盛期、ツボとミカン作りで明け暮れよのぅ」

夫婦は暮しを自然から学び、上手に付き合ってきた。人間が生きていくために必要なものは自然から得た。

離島経済新聞 目次

寄稿|『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』

倉掛喜八郎(くらかけ・きはちろう)
兵庫県姫路市生まれ。広告代理店グラフィックデザイナーを経て独立。1980年代に刻々と変貌する瀬戸内の海と人の暮らしを描き留めたいと思い立ち、瀬戸内ルポの旅へ。山陽、四国沿岸、島は有人島無人島合わせて150島を歩く。1995年阪神・淡路大震災に被災し、生活再建のため絵から離れるが、2017年瀬戸内歩きの活動を再スタートさせた。著書に『えほん神戸の港と船』(神戸新聞出版センター 1980年)、『瀬戸内漂白・ポンポン船の旅』(大阪書籍 1986年)、『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』(シーズ・プランニング・星雲社 2020年)。

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