つくろう、島の未来

2025年08月09日 土曜日

つくろう、島の未来

ritokei.comでは、全国の島々の広報誌やローカル誌に掲載された、地域の暮らしや文化が伝わる記事を紹介します。沖永良部島(鹿児島県)の知名町・広報誌「広報ちな」から、方言「しまむに」継承に向けて、知名町・和泊町・国立国語研究所が連携協定の調印と、73歳で島に移住された柔道家・鈴木さんの日本マスターズ柔道大会での優勝についての記事をお届けします。


国立国語研究所と島ムニ連携協定調印式

6月5日、「知名町・国立国語研究所・和泊町の島ムニ継承のための連携・協力に関する協定」が締結されました。これまで、国立国語研究所とは両町それぞれで協定を締結していましたが、第3期となる今期から、両町合同での締結となりました。今後は、島ムニの調査研究や継承活動等、地域を超えた取り組みへと広げ、発展していくことが期待されています。

また、下平川小学校と国立国語研究所は、全国初となる連携・協力校としての提携を締結しました。下平川小学校では、今年度、地域講師による授業や生成AIの活用、かるた制作などで島ムニ継承活動を推進していく予定です。


6月15日に行われたマスターズ柔道大会で優勝した鈴木文二さん(徳時字)にお話を聞きました

6月15日、西原商会アリーナ(鹿児島市)で開催された2025年日本ベテランズ国際柔道大会(第19回日本マスターズ柔道大会)において、徳時字の鈴木文二さんがM10クラス(75~79歳)男子73㎏以下級で見事優勝を果たしました。

――沖永良部へ移住したキッカケは?

沖縄がまだ返還されていなかった1971年に、当時飛行機で行ける日本の最南端だったのがココだったの。

それまでは親の言うなりに進学や就職をしてたんだけど、ハタチの時に槍ヶ岳に登って頂上に立った瞬間に人生が変わったんですよ。「俺の命じゃん、好きに生きればいいんじゃん」って(笑)。それで海が好きだったから仕事もなにも全部辞めて沖永良部島に1年間住んだんです。

そのあと東京で仕事してたんですけど、73歳になって「そうだ俺にはエラブがあるじゃん」って戻ってきました。

――柔道再開の理由は?

60歳の時にカミさんが亡くなっちゃって一人になって。やる事なくて、もう1回柔道やりたい!と思って練習を再開したんです。やっぱり柔道が大好きでずっと引っかかってたんじゃないかな。

今回「沖永良部」のゼッケンを背負って出るのはやっぱり緊張しましたよ。柔道クラブで中学生たちと練習してたのが良かった。彼らがいなかったら勝てなかったかもしれない。一人の時にも、昇竜洞の出口の階段で走り込みをしたり、ずいぶんトレーニングしましたよ。

――モチベーションはどこから来るんですか?

いつもこれでいいのかって、自問自答してるんです。自分自身に納得いかないから続けてるんでしょうね。

次は80歳でもう1回マスターズ出ようと思ってます。子ども達が頑張ってるから俺らも頑張んなくちゃね。

鈴木文二 SUZUKI Bunji:1950(昭和25)年6月東京都生まれ、75歳。高校で3年間やっていた柔道を60歳で再開。2023(令和5)年に知名町へ移住。


南の島の食が魅力的!知名町のふるさと納税返礼品

奄美群島・沖永良部島の西側に位置する知名町のふるさと納税返礼品は、赤土と太陽が育んだ南国フルーツや、日本一早く収穫される新じゃが、シマ桑茶、豊かな海で育ったイセエビ、伝統工芸品、さらには現地での観光体験までバラエティ豊かに揃っています。寄附金の使途は「保健・福祉」「地域活性化」「環境保全・整備」「未来を担う人材育成」などから自由に選択可能です。全国の離島ファンや奄美群島・沖永良部島ゆかりの皆さまにとって、島の食や体験を楽しみながら知名町を応援できる絶好の機会。ぜひ知名町の魅力を存分に体感してください。

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