つくろう、島の未来

2024年04月20日 土曜日

つくろう、島の未来

瀬戸内の島々150島を歩き、人と暮らしを描いてきた絵描き・倉掛喜八郎氏の著作『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』より、エピソードを抜粋して掲載する連載企画。
愛媛県松山沖に浮かぶ、今は無人島となってしまった由利島(ゆりじま)で、タコツボ漁とミカン耕作を営みながら戦前から1980年代まで暮らした夫婦を訪ね、穏やかな海を見下ろすミカン山で、漁に出た船の上で、問わず語りに聞いた島の話をお届けします。

左:二神・由利島周辺地図/右:由利島鳥瞰図(クリックで拡大します)

夫婦泣き笑い

「前にも言うたけど、おじいさんが元気で仕事ができたんは五、六年よのぅ。結婚してちいと間して肋膜炎を患い、女手では漁はできん言うて、畑もするようになったんじゃけど、おじいさんは体が元気じゃったら、ツボ一本でいきたかったんよのぅ。じゃけど体が弱いために、何事につけても悩み、歯ぎしり、男として果たせんかった悔しさがあったわい。

けどなぁ、おじいさんはどんなに難しいことがあってもな、それをバネにして前に進んじょったわい。わしはこんぐらいのことではヘコたれんぞ言うてよの、気持ちを奮い立たせよったわい」

ツボは、二人の甥が独立した昭和三九(一九六四)年頃から、夫婦だけでするようになる。だが、中村さんは畑の開墾時に大ケガ、腎臓病、心臓発作の持病と、満身創痍。力仕事はできないから、ツボの采配と操船に専念。ツボ繰りの力仕事はスミエさんがこなした。並大抵のことではない。

「ばあさんはハガネのように強いぞ」

「うーん、そんでもなぁ、なんでこない次から次へと大病するんじゃろぅ、苦労するんじゃろぅ、と思わんこともなかったわい。じゃけど、どうしてもやらにゃいかんかったんじゃけん。人に笑われまい、後ろ指さされまいという気持ちでよのぅ。じゃから、同じやるんなら楽しんでやったほうがよかろぅ。タコもミカンもおじいさんの言うとおりにやってきたんよぅ。

風邪をひいて体がえらいけぇ、今日はどうしても休もう思うとってもな、おじいさんに、『おーい、行こどう』言うて呼ばれたらよの、『あいよぅ』言うて、ついつい足がそっちに向いたんよぅ。そんで行ったらよの、『タコ取ろどー』の掛け声に、体のえらいのんを忘れてしまいよった。おじいさんは『欲と二人連れは強いぞう』言うてよの、ヘラヘラ笑ろとったわい」

夫婦はミカンの悪いときはタコに精を出し、タコが不漁のときはミカンに手を入れ、両方悪いときはまたいつか笑えることもあるだろうと、苦しみは半分に、楽しみは倍にして支えあってやってきた。

「あのなぁ、おじいさんはなぁ、お金も決め事も何もかもスパッと割り切って、きれいなんよな。タコが休漁と決まっとっても、それを破って誰かが漁しよる。それを見て、私が誰々がタコ取っとるで、タコ取れるでぇ、行こうやい言うてもよの、それをせずくに休みを楽しんじょったわい。休漁が一週間つづいてもよのぅ。

おじいさんはどんなときでも真っ直ぐに本筋を通しちょったけぇ、煙たがられとったわい。けどなぁ、よう組合長から中村さん来てもらえんかなぁ、言うて呼び出されよった。おじいさんは意見のまとめ役じゃったんよの。

何のことじゃったんじゃろか、組合を解散しょうやい言う人がおって、組合に残るんは中村さんだけじゃ、組合がつぶれるちゅうとき、おじいさんは『みんなが生きていかにゃいかん。人間のやることじゃ、どうにか解決する方法がある』言うて話したんじゃろ思う。おじいさんは自分のことだけ考えちょらんかったわい。ほんとうにえらいわい」

中村さんは清濁を飲み込む度量があり、腹が座っていた。

「おじいさんは人がどう言おうと弁解せんのよぅ。娘が成人したときの晴れ着のために、温州の苗を五本植えちゃんじゃけど、昭和四三年の干ばつで収穫できなんだんで、その分二人で春の藻の口開けにワカメ、テングサ、ヒジキじゃのを二、三年、一生懸命に取りよったらよのぅ。

それを見た二神の人が『ほれほれ、ミカンの収穫がのうて、食べていけんのじゃろぅ』やら何じゃら言うんで、おじいさんに『人がこない言うとる、あない言うとる』言うたらよ。『ほうか、ほうか。そんなもん相手にすんな』言うて、笑うとったわい。海藻取りが娘の晴れ着のためじゃったことを、成人式で初めて知ったんよのぅ。おもしろかろう」

【読者の皆さまへ】
連載は今回で最終回となります。続きは『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』(シーズ・プランニング・星雲社 2020年)にてご覧ください。ご愛読ありがとうございました。

図書館・学校へ『タコとミカンの島」を寄贈します

希望される図書館や学校図書室に『タコとミカンの島』を寄贈いたします。
(上限:5冊 応募者多数の場合抽選)
希望される館や学校の方は、下記の申し込みフォームよりご連絡ください。
倉掛喜八郎・著『タコとミカンの島』寄贈申し込みフォーム(図書館・学校向け)

※応募締め切り:2021年7月15日(木)
※お預かりした個人情報は、寄贈図書の送付目的以外には一切使用しません。
※図書館または学校以外の施設はお申し込みできません。予めご了承ください。

離島経済新聞 目次

寄稿|『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』

倉掛喜八郎(くらかけ・きはちろう)
兵庫県姫路市生まれ。広告代理店グラフィックデザイナーを経て独立。1980年代に刻々と変貌する瀬戸内の海と人の暮らしを描き留めたいと思い立ち、瀬戸内ルポの旅へ。山陽、四国沿岸、島は有人島無人島合わせて150島を歩く。1995年阪神・淡路大震災に被災し、生活再建のため絵から離れるが、2017年瀬戸内歩きの活動を再スタートさせた。著書に『えほん神戸の港と船』(神戸新聞出版センター 1980年)、『瀬戸内漂白・ポンポン船の旅』(大阪書籍 1986年)、『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』(シーズ・プランニング・星雲社 2020年)。

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