つくろう、島の未来

2020年10月29日 木曜日

瀬戸内の島々150島を歩き、人と暮らしを描いてきた絵描き・倉掛喜八郎氏の著作『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』より、エピソードを抜粋して掲載する連載企画。
愛媛県松山沖に浮かぶ、今は無人島となってしまった由利島(ゆりじま)で、タコツボ漁とミカン耕作を営みながら戦前から1980年代まで暮らした夫婦を訪ね、穏やかな海を見下ろすミカン山で、漁に出た船の上で、問わず語りに聞いた島の話をお届けします。

左:二神・由利島周辺地図/右:由利島鳥瞰図(クリックで拡大します)

凄腕

ツボの網代は二神・由利島にかけての伊予灘。漁期は旧暦の五月半ばから九月半ばまでの約四ヵ月が決まり。タコが産卵に入る九月下旬以降は禁漁にして、乱獲を戒めた。

網代分けはみんなが平均して水揚げができるように、網代の一番ええとこと一番悪いとこを一つに組み合わせるなどして、当たりハズレがないように公平にした。毎年、みんなが漁業組合に集まり、クジ箱から竹のクジ棒を引いて決めた。二神の昔からの習わしである。

解禁が迫ると、由利に本拠を置く六パイ(隻)が一斉に漁の準備にとりかかった。農家もみんなその手伝いをした。中村さんは男衆一〇人、手伝いと賄いに二〇人の女子衆を雇い、一週間がかりで四二〇〇個のツボを用意したことがあり、ツボの盛んな釣島、安居島、山口県平郡島周辺で最も大規模なツボ漁をしていた。伊予灘、周防灘にかけて、七万個ものツボを入れていたというから、この海の豊かさがわかる。

「解禁日は、六パイ(隻)がマストに大漁旗を飾り、横一列に並んでよの。おーい、やろどー言うて、時の合図で一斉にハエ込んだんじゃがい」
「やろどー」とは方言、始めるの意味。こうしてツボ漁が始まり、この日から二神と合わせて二四ハイがタコの水揚げを競った。

だが、中村さんが「水揚げ量は規模だけじゃないぞ」と、意外なことを言う。たとえば一本の幹縄に三〇〇個のツボをつけているのに、「サデ」で幹縄のまん中を当てたのでは一五〇個のツボしか上げられない。「サデ当て」がものを言うとは、このことをさす。

「そうじゃ。縄はハエ込んだとこに、じっとしとらんのぞ。水潮(雨水)のあるときはタコがよう取れるんで、毎日ツボを繰るんじゃが、そのほかのときは天候やら潮の加減を見もって二、三日おきに取るんじゃ。その間に網代の潮の流れがどう変わったのかをよの、ちゃんとわかっとらなんだら縄は当てられんのぞ。縄の真ん中を当てたんでは、タコは人並みにしか取れんのぞ」

潮は六時間ごとに満ち引きを繰り返す。縄を真っすぐに海底にハエ込んでいても流されて動いている。

「網代の平均水深は五〇メートルよのう。じゃがわしゃ、サデを底に這わしたら(海底を引き回したら)じゃな。手に伝わってくる感じでよの、ここは砂地、ここはやおい(柔らかい)泥と砂混じりのとこじゃから、こっから西になんぼ行ったら谷、そん淵にどんな岩があるか、北になんぼ行ったら瀬があるか、じゃから縄はどこにあるかがわかったんじゃがい」

「おじいさんはどんなに潮の動きが変わっちょってもよの、いっつも重石がついとる縄の端っこを当てたんじゃけぇ。サデ当てがうまいんよぅ。ほかの人はちょっとマネがでけんかったわい。なぁ、おじいさん」
「そうじゃ、ツボは真剣勝負じゃ。全神経を集中してやったんよの」

タコは、潮が動いているときツボに入り、潮が止まるとエサを食べにツボから出てしまう。
「縄を当てられんかったら、ハエ込みにかけた労力と時間が水の泡になるんじゃけぇなぁ。見とったらかわいそうなかったわい」。
スミエさんがへたな人を気の毒がる。

中村さんの海底の知識がいかに正確だったか、一つのエピソードがある。
あるとき、由利の海で、海底ケーブル敷設船が何度やってもケーブルが真っ直ぐに入らないと、立ち往生した。応援要請を受けて、中村さんがブリッジから指図をすると、難なくケーブルを真っ直ぐに入れることができた。海底ケーブル敷設船は最新設備を備えているが、海底のどこにどんな形の岩があるかまではわからなかった。

「おじいさんの話はなかなか終わらんよぅ。ノート足りるかい」
中村さんの話は佳境にさしかかった。

「ツボは難しいんじゃが、おもしろいんぞ。タコの最盛期は二重の潮がある間じゃがい。梅雨時よのぅ。大ダコが取れるんでよの。わしゃ、こんときが好きじゃがい。四キロの大ダコを取ったことがあるぞ」。
中村さんはちょっと自慢する。

「二重の潮は、海水と水潮が層を作ることよのう。大雨が降るとじゃな、海面の上に二、三〇センチくらいの雨水の層ができるんよの、広島方面から流出した雨が多いとき水潮は南へ、四国の雨が多いときは北へ流れ出すんよの。潮が豊後水道へ引きよっても、水潮は押し上げて満ちてくるんよの。二重の潮は流れ方が違うて、速さも差があるんでよの、複雑な潮じゃがい」

「そうよのなぁ、おじいさん。浮いちょる船は水潮の力を受けるんじゃけど、ツボと縄は下の潮の力を受けるんじゃから、ツボ繰りがむずかしいんよぅ。船はいつも縄と平行になるようにしとかんと、ツボは繰れんのじゃけぇなぁ」

船は船首と船尾の二本の舵を使って操船する。操船がヘタクソだと船が横を向いたり、流されてキリキリ舞いする。

「ツボ繰りと操船の息がおうとらなんだら、枝縄をもつらせたり、ツボをめんだりしてよの。幹縄を切ってしもたら道具にかけた金、いままで支度してきた労力がみんなパァになるんじゃけぇのぅ。けど、おじいさんは船の扱いも何をしてもうまいけぇ、わやにすることはなかったわい。ツボ繰りは今は電動ローラーでするけぇ、遊びみたいに楽じゃけど、昔は手動ローラーで人の力ぎりじゃけぇ、力自慢の二人の若い衆でも縄を持っとれなんだわい。えらい力仕事じゃったんよぅ」
スミエさんは手のひらをじっと見つめながら言った。

離島経済新聞 目次

寄稿|『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』

倉掛喜八郎(くらかけ・きはちろう)
兵庫県姫路市生まれ。広告代理店グラフィックデザイナーを経て独立。1980年代に刻々と変貌する瀬戸内の海と人の暮らしを描き留めたいと思い立ち、瀬戸内ルポの旅へ。山陽、四国沿岸、島は有人島無人島合わせて150島を歩く。1995年阪神・淡路大震災に被災し、生活再建のため絵から離れるが、2017年瀬戸内歩きの活動を再スタートさせた。著書に『えほん神戸の港と船』(神戸新聞出版センター 1980年)、『瀬戸内漂白・ポンポン船の旅』(大阪書籍 1986年)、『タコとミカンの島 瀬戸内の島で暮した夫婦の話』(シーズ・プランニング・星雲社 2020年)。

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