【エラブ旅嫁 育児中#04 旅嫁、里帰る】山口県出身。大阪の旅行会社で働いていた頃に沖永良部島(おきのえらぶじま|鹿児島県)出身の現在の夫と知り合い、結婚を機に島へUターンした島の島嫁ならぬ「旅嫁」の島日記。
うがみやーぶら!(こんにちは)
最高気温17℃で「寒い!」とフリースを着込んでいる軟弱島人です。
こたつも準備おっけー。
いや、17℃でも海風がキツいので、それなりに寒いんです。
家はまさに「夏を以って棟とすべし」的に、
良く言えば風通しよく、悪く言えば安普請で隙間だらけの南国仕様。
ちょっと前までは家なんて自分たちで建てていたらしく、
窓を閉め切ってもなぜかカーテンが揺れています(笑)。
ちなみに、ここらは琉球文化圏なので、
家といえば琉球赤瓦を頂いた家屋を連想される方が多いと思うのですが、
実は瓦屋根の家はそう多くはありません。
じゃあ何で屋根を葺いているかというと、トタン。
そう。トタン、です。
瓦の材料になる土が少ないとか、
外から運んでくるにしても輸送費が嵩むとか理由はいろいろありますが、
トタン屋根が大勢を占める最大のポイントはずばり、
「台風で屋根が飛ぶことを前提にしているから」。
1977年に島を襲った伝説の沖永良部台風で
島内の約7割の家屋が全半壊した際には、
私たちが今住んでいる家もスコーンと屋根が飛んでいったらしく、
夫を始め多くの島人にとって、屋根=飛ぶもの、という認識が根底にあるようです。
私も島に来て、何回か大型台風を経験してみて思いましたね。
ああ、こりゃ屋根飛ぶわ、と。
外に置いといた古い冷蔵庫が宙を舞うのを見たときには、
今まで内地で経験してきた台風なんてそよ風みたいなもんだったと、
しみじみ思いました。
・・・なので、
飛んでっても修復が比較的簡単なトタン屋根の家が多いわけです。
トタン屋根だからといって瓦屋根と住み心地はたいして変わりませんが、
雨音が異常に響くのだけは、子供が生まれてから悩まされています。
せっかく寝かしつけたと思ったら急に降り出した
スコールの爆音で起きることもあるので・・・。
って、出産の話を書く予定でしたね。
妊娠9ヶ月までは、つわりもなく体重も5キロしか増えず血圧も安定した、
超順調なマタニティライフ。
出産予定の産院からの指導で、
一日できれば2時間ウォーキングを、とのことだったので、
毎日仕事から帰って、集落内を妊腹かかえてウロウロ散歩していました。
小さな集落で、どこへ向かって歩いても10分以内にサトウキビ畑に出てしまい、
集落の外は街灯もない漆黒の闇。
いきおい集落内を行きつ戻りつするしかなく、
すっかり怪しい徘徊妊婦と化していました。
このまま1月いっぱい勤め上げて、
妊娠36週までに里帰りすればいいだけだな。
里帰りは沖縄経由だから、那覇でクリアランスセールやってるかな・・・と
余裕をぶちかましていた1月半ば。里帰り前の検診で事態は一変します。
島外から来ておられる非常勤の先生の、
「なんか胎盤が下がり気味なような・・・」という一言に
不安を募らせていたら、渡された出産先への診断書の隅に、
ペロリと小さな文字で『前置胎盤の疑いあり』。
いやいやいやいやーっ!
ペロっと小さくメモ書きするようなトピックじゃないと思うんですけどーっ!
前置胎盤といえば、基本的には帝王切開、
手術前に出血が始まってしまうと母子共に危険・・・という、
それなりにリスキーな症状です。
もし内地に帰る前に出血したらどうしよう。
ヘリで搬送中に出血多量で死ぬんちゃうか・・・等々、
心配しはじめたら思考は悪いほうへとまっしぐら。
で結局、退職日を急遽10日ほど繰り上げ、
荷造りもそこそこに那覇行きの船に飛び乗って、
那覇からスカイマークで福岡へ、
そして高速バスで山口の実家へと里帰りしたのでした。
前置胎盤の疑いを抱えたまま妊婦一人で移動することに、
実家の母は「なんて恐ろしいことを」と恐れ慄いていましたが、
離島暮らしの私からすると、那覇に辿り着いた時点で
「よっしゃー、大病院まで陸続きー!もう怖いもんなし!!」
と安堵感でいっぱい。福岡空港に着陸したときには、
「ここで倒れても何とかなる、よしこい陣痛!!」
くらいの大舟乗船気分でした。
・・・で、結論からいうと、
前置胎盤の「ぜ」の字もないことが
帰省後判明したんですが・・・(笑)。
続きはまた次回。
読んでくださって、みへでぃろでょー(ありがとう)。