【vol.9 「エピローグ・石巻を旅して」】東京から南に1000kmの小笠原諸島・父島で、ウクレレ弾き兼ポストマンとして活躍中のホマレさん 。連載コラムでもおなじみのホマレさんは年に1度は本土へライブツアーへ出掛けるのがライフワークです。今年3月、昨年の震災で甚大な被害をうけた石巻へライブツアーへ行ったホマレさんの特別ルポです。
[9]「エピローグ・石巻をめぐって」
こうして、僕の4日間に渡る石巻のウクレレライブツアーは終わった。
本当は、少しでもより多くの仮設住宅を周り、
より多くの方のところへ伺いたかった。
しかしあたりまえだが皆さんは普通に生活をされている。
石巻に出掛けて行ったからといって、そう毎日
こちらに都合よくお邪魔させていただける場があるわけではない。
そんな中、四箇所での演奏の機会を与えていただいたことを本当に感謝しています。
石巻滞在中は「ボランティア支援ベース・絆」の二階にある
居住スペースに宿泊させていただいた。
そこはもともとリハビリルームだったところらしく、
僕はダンベルなどのトレーニング機器の隙間に場所を見つけ、
支援物資の寝具を掻き集め寒さを凌いで眠った。
「ボランティア支援ベース・絆」の活動の一つに、
一人暮らしのお年寄りへ数日分のお米を配る活動がある。
倉庫へお米を運ぶ作業を手伝いながら、その内容を教えてもらった。
ボランティアスタッフが直接お年寄りのところに伺うことによって、
安否の確認ができる。
尚且つ行政が把握している情報と現状に相違がないかを確認し、
その情報を行政へ伝えるとのこと。
行政担当者が直接行うよりも、コミュニケーションが生まれるので
よい効果があるのだそうだ。
例えば、身内の方が数日身の回りのお世話に来ているだけで、
届出の「一人暮らし」は虚偽と判断される。
しかし、何度も通っているボランティアスタッフであれば、
「今日は身内の方が来られて良かったですね」と判断ができるので、
喜ばしいことになるのだ。
現地へ行ってみて分かったことは、
個々の現場でその場特有の問題を抱えているということだ。
しかし、人が手を差し伸べる行為によってその全てを解決することは
不可能だとも実感した。
帰りのおがさわら丸で僕は25時間半考えた。
石巻で起きている個々の問題は、
どこかで何か特殊な事件、事故が起こり、
その問題が浮き彫りになったからといって、
慌てて対処するような事では決してなく、
つまりいつもどおりの社会の何気ない日常の中へも、
老若男女関わらず、人が生きる社会には
その地域特有の悩み、問題がある、ということ。
それが表面化しないまま、知らず知らずのうちに少数派の人に押し付けられ、
抱えさせてしまっているということだ。
そんな思いに突き当たり、自分にもできることを考える。
人に何かしてあげられるのは遠い先の結果の話。
せめて日頃から自分以外の人に自分の時間をほんの少しでも譲れる余裕が持てればと思う。
簡単に言うと、探しものを一緒に探してあげるとか、
物忘れしたことを一緒に思い出してみるとか。
それは名前の出てこない芸能人の名前をみんなで思い出し、ホッとするような瞬間の感覚。
そんな感覚を他人と共有できる余裕を持てるよう努力したいと思う。
いっぱいいっぱいの生活じゃなく余裕を持って、他人の視点でもモノを考える。
僕にできることは頑張ってもこの程度だと思い知らされた。
そして僕のウクレレ活動は、どこか他の場所へ伺い、そこに暮らす方々へ、
非日常のポケットに入ってもらう。
そして僕がそこに暮らす方の立場になって時間を共有する。
そんな活動になればと思う。
日本人は助け合いの心は持っていても、
それを具体的に実行に移す仕組みが欧米諸国に比べて遅れているように思う。
まだまだ痒いところに手が届かない仕組みなのか。
そして僕は奉仕と施しの違いを深く考えさせられた。
「ボランティア支援ベース」の常駐スタッフの方と
寝食共にとまではいかなくとも、大掃除のお手伝いなど、
良い経験をさせていただきました。
本文ではご紹介できなかったベース協同代表の助さん、とーるさん、
カーシェアリング代表タケさん、そして、トモさん、あの姉、
福島から来ている鈴木ご夫妻、その他にもご挨拶のできなかった
ボランティアスタッフの方々、大変お世話になりました。
また伺います。ありがとうございました!
(あっ、名称が「ボランティア支援ベース絆」から「一般社団法人OPEN JAPAN」に変わったんですよね!)
(終)