つくろう、島の未来

2021年12月07日 火曜日

つくろう、島の未来

山口県周防大島出身の民俗学者 宮本常一氏の著書に導かれて、2013年2月より瀬戸内海の島、屋代島で周防大島町地域おこし協力隊として活動を始めた、島記者 三浦の島歩きコラム。

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2013年2月より山口県大島郡周防大島町に属する瀬戸内海の島、周防大島(屋代島)へ移住し、周防大島町地域おこし協力隊として活動しています。少子高齢化・過疎を悩みとするこの町において定住促進(人口増)のためのPRが主な課題です。

そんな僕自身、着任の3ヵ月前には名前も知らない島でした。定住促進って言ったって、知ってもらわないことには住んでもらうこともできないでしょうから、面接で「僕が周防大島の宣伝部長になります!」と言ってみました。

「そういうお前はどうなんだ?」って思いますよね。「知らないくせに住んだでしょ?」って。細かい経緯は忘れましたが、僕は知りたいって思ったんです。はじめて名前を知ったこの周防大島についてもっと知りたいなって。

ネットで検索して、役場のホームページとか見てみたけど、いまいちよくわからなくて。まずないよな、あり得ないよな、とか思いながら、念のため、当時住んでいた地元の図書館で「周防大島」を検索してみたら、何冊も出てきて驚きました。知らなかったのは自分だけでした…。

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その中の1冊が宮本常一 著『私の日本地図⑨瀬戸内海Ⅲ周防大島』。図書館で検索するまでは宮本常一という人を知らなかったし、「つねいち」とは読めませんでしたが、この人こそが周防大島出身者としては最大の有名人(作詞家星野哲郎とツートップ)。「あるく・みる・きく」のスタンスで日本全国をフィールドワークした民俗学者です。40年以上も前に書かれた文章とは思えないほど読みやすく(同時代を生きる同世代の友達が語りかけてくれているような気持ちになりました)、宮本常一自身が撮影した写真とともに、その世界観にグイグイと魅き込まれていったのでした。

「よさそうだよ、周防大島」40数年前の文献を頼りに発せられる僕の言葉に説得力はなかったようで、「ま、1回見てみようよ」という妻。

それで、恐る恐る覗き見するような気持ちで周防大島を訪ねてみたら、その昔の景色のみたいなものが、40年の時間を超えてそこで待っていてくれたかのように、しっかり残っていました。実際に数えたことはないですけど、7割方は在来工法の家なんじゃないでしょうか、いわゆる日本家屋。もしかしたら宮本常一が写真に残した家屋も何軒かはそのまま残っているかもしれません。

「こんなに素敵な場所を知らない人がいっぱいいるなんてもったいない」

古い家々やお寺や神社、その旅で出会えた周防大島の人々にも、たくさんの魅力を感じて、そこから地域おこし協力隊への応募と周防大島移住を真剣に考え、先述の2013年2月、実行に移したのでした。

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[宮本常一撮影(昭和35年10月) / 周防大島文化交流センター所蔵]

周防大島町には、本島とも呼ばれる周防大島(国土地理院が定める正式名称は「屋代島」)以外に5つの有人島があり、浮島、前島、笠佐島、情島には1日何便かの定期船で、沖家室島には橋で渡ることができます。

それぞれの島については「私の日本地図」にも当時の様子が詳しく書かれているように、宮本常一も実際に渡り、「あるく・みる・きく」を実践した島々です。当時も今もそれぞれに抱えている島ゆえの悩みや問題があり、その島の産業があり、そこに生きる喜びと悲しみがあります。

1954年、全国離島振興協議会初代事務局長を務めることになる宮本常一が、その成立に尽力した離島振興法制定から60年という節目の今年、宮本常一が生まれ育ち、多くのフィールドワークの場とした周防大島。これから、(民族学者でもなんでもない、しがない地域おこし協力隊員が)それぞれの島を改めて歩いて、見て、聞いて、何かしらかを感じとって、お伝えしていきたいと思います。僕自身、この周防大島に暮らしながら、周辺の離島に足を運ぶこと機会もなかなかないので、リトケイコラムを言い訳に小さな島旅を楽しんじゃおうと思ってます。

みなさん、どうぞよろしくお願いします。

離島経済新聞 目次

【連載】周防大島、宮本常一の島をあるく

山口県周防大島出身の民俗学者 宮本常一氏の著書に導かれて、2013年2月より瀬戸内海の島、屋代島で周防大島町地域おこし協力隊として活動を始めた、島記者 三浦の島歩きコラム。

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