つくろう、島の未来

2022年12月05日 月曜日

つくろう、島の未来

「困窮島制度(※)」を研究してきた長嶋俊介先生(特集記事:愛しき島文化をSDGsに重ね再考する)によると、同制度は「哀れみではなく、人間の尊厳を回復・再生させながら自立を促す。優れて建設的で民主主義的な意味を持っていたと考えられる」という。この制度が実在した島の今を探りに、小値賀町の大島(おおしま|長崎県)へ渡った。

※ 共有地(特に地域内にある無人の属島)を利用し、地域内の生活困窮者に自立更生の機会を与える制度。かつては長崎県の宇々島を典型に複数の例が見られたという

※この記事は『季刊ritokei』36号』(2021年11月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。

小値賀島(おぢかじま|長崎県)から大島を眺める。右手が大島で中央奥が宇々島。遠く新上五島町の島々が連なる

五島列島の最北に浮かぶ小値賀町は5つの有人島からなり、人口は約2,280人。大島にはそのうちの約60人が暮らしている。

大島から小値賀島までは定期船で約10分。わずかな船旅の途中、困窮島制度が行われていた宇々島の島影が迫り、島と島の近さを感じた。

港ではまず「自立更生」と書かれた石碑を見つけた。小値賀小学校大島分校のホームページには「地区の古い伝統であった『自力更生』の精神は、その碑とともに大切に受け継がれている」と記されている。かの制度は島の誇りとして記憶されているようだ。

自立更生制度が廃止された1971年は、高度経済成長期の終盤。人々の暮らしや価値観が様変わりした時代でも、大島の精神は変わらず、自立更生制度は「助け合い制度」と名を変え、無人島となった宇々島周辺の海産物を住民総出で採り、そこで得られた収入を全額、集落の運営費に充てる平等な集落運営が続けられていたという。

この島で生まれ育った山田定稔さんを訪ねると、興味深い話を教えてくれた。「ここは住民みんながPTAで、全世帯がPTA会費を払っているんです」。現在、子どものいる世帯は20世帯のうち2世帯のみ。けれど子どもの有無に関わらず、皆が子育てに参加する。

「PTAじゃなくてCTAなんですよ」と山田さん。「P(ペアレンツ)」ではなく「C(コミュニティ)」であるのは、学校と地域の連携を推進する国(※)にとっても理想といえる。そんな大島分校では、総合的な学習で「自立更生」の歴史を学び、実際に宇々島に行ってみるという体験学習も行われているそうだ。

※ 文科省は地域とともにある学校づくり「コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)」や、学校を軸にした地域づくりを推進している

山田さんの背後に建つのが「自立更生」の碑。大島はブロッコリーや豆類などの農業が盛んで山田さんも農家のひとり

大島分校の脇には「愛道の碑」という石碑もあった。「昔は人間が通るくらいの道しかなくて、畑をつぶして道を拡張する時に、島の人が無償で土地を譲って道ができたんです」。曰く、自立更生の石碑も特別なものというよりは「あるねぇ」という感覚らしいが、「ブロッコリーの出荷も一軒一軒じゃなくて、みんなでまとめて助け合いながらやる。ここにおったら当たり前で、歴史的にそげんなっととです」という言葉に、島が誇る豊かな価値観が健在であることを確めた。


<宇々島での自立更生制度とは?>
始まりは江戸時代の飢饉にさかのぼる。大島で生活に困窮した世帯が手を挙げると、住民同士の話し合いにより1、2世帯が宇々島行きの切符を手にできた。宇々島では海産物や農産物を自由に採取でき、そこで生活する間は納税や奉仕作業なども免除されたという。貧かった家庭も数年を経て大島に戻る頃には貧困を脱することができたというこの制度は、1964年に最後の居住者が宇々島を離れたのち、1971年に廃止された。

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