つくろう、島の未来

2025年10月29日 水曜日

つくろう、島の未来

リトケイでは、理念や取り組みに共感した仲間たちのコミュニティ「うみねこ組」を運営しています(詳しくはこちら)。仕事や活動はもちろん、島に住んでいたり、行き来していたり、いつか住みたかったり、島との関わり方もさまざま。本記事は、そんなうみねこ組メンバーによる週替りのミニコラムです。

第5回は、夫婦で宮古島に暮らした後、今年に故郷である広島に帰ってきた蛭川万貴子さんです。慌ただしく過ごしていた東京を離れ、7年前に宮古島で”シマ”という存在と出会った。しかし、そんなシマは意外と離島に限らずある。東京のシマ、宮古島のシマ、そして今住まれている広島・福山でのシマについて綴ってくれました。


7年間暮らした沖縄・宮古島を離れ、生まれ故郷の広島県福山市に戻って10カ月が過ぎました。大学進学から東京に出て、約28年。本当にたくさんの方々と出会い、その中で今も素敵なご縁が続いている方が少なくありません。

先日、「未来のシマ共創会議2025」に参加するために東京を訪れ、この機会にと久しぶりに何人かの仲間と会うことができました。東京に住んでいた頃のように頻繁には会えませんが、不思議なことに、会った瞬間から距離は一気に縮まり、何気ない話が自然に始まります。再会したときにすぐに安心して笑い合えるそのひとときが、心にじんわり沁みました。

宮古島での暮らしでは、移住仲間や職場、ボランティアなど、いくつもの“シマ”に身を置いていました。そこでは一人ひとりの役割が大きく、誰もが欠かせない存在として関わり合っている実感がありました。大都市とは違う、その温度のあるつながりが心を支えてくれていたのだと思います。

今回の再会で気づいたのは、“シマ”は場所や頻度に縛られないということ。利害関係や肩書き、性別や年齢も超えて、「この人たちとなら大丈夫」と思える心理的な安心感こそが、私にとっての“シマ”なのです。

私は企業向けのコミュニケーション研修で「相手の自己重要感を満たすこと」の大切さをよくお伝えしています。人は、自分が大切にされていると感じられる場でこそ、安心し、本来の力を発揮できます。振り返れば、“シマ”もまさにそのような場所。互いに存在を認め合えるからこそ、心がほぐれ、自然に前へ進む力が湧いてくるのだと思います。

そして、“シマ”は、いつまでも居続けられる場所であると同時に、離れていてもいつでも帰ることができる場所でもあります。揺れ動くVUCA(※)の時代だからこそ、変えない大切なものと、しなやかに変えていくもの。その両方を包み込みながら続いていく“シマ”こそが、これからの私たちに必要なのだと感じます。

ありがたいことに、福山でも今、多くの新たな出会いがあります。この出会いがどんな新しい“シマ”へと育っていくのか、期待に胸がふくらませています。

蛭川万貴子(宮古島/広島県福山市)

※変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)**の頭文字をとった造語で、将来の予測が困難な状況のこと。





     

関連する記事

ritokei特集