つくろう、島の未来

2024年12月03日 火曜日

つくろう、島の未来

新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の発生を機に、島の経済社会を支える企業群にも、柔軟な変化が求められている。ポストコロナ社会を臨む島の企業はどのような展望を抱いているのか。2社に聞いた。

※この記事は『季刊ritokei』33号(2020年11月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。

コロナをチャンスに拡大成長の“種類”を再考
島を知る者にしかできない仕事を展望

パラダイスプランは、沖縄産品の草分け「宮古島の雪塩」を手がける宮古島(みやこじま|沖縄県)の地元企業だ。島内外で145人を雇用する同社にも、コロナの波は押し寄せた。

株式会社パラダイスプラン 1994年創業。社員数145名。売上高26億1926万円(2018年度)。製塩事業を中心に、国内外の塩を販売する塩専門店「塩屋(まーすやー)」、「島の駅みやこ」、水の専門店「おみずやさん」等を営む

代表取締役の西里長治社長は「昨年度の年商は28億円でしたが、2020年度は中間決算で約6億と、前年の半分にも届かない可能性があります」と話す。売上の多くを占めていた那覇市内の直営店舗の売上は9割減となり、閉鎖を余儀なくされた店舗もある。しかし、西里社長の表情はおだやかだ。

コロナ前夜を振り返ると、宮古島はいわゆるバブル期にあった。人口約5万人の島に、年間114万人以上の観光客が押し寄せるようになり、ホテル建設が続き、賃貸価格は高騰。急激に拡大成長する宮古経済の中で、パラダイスプランも「東京へ」「世界へ」と事業を広げてきた。

パラダイスプランは、「宮古島のみならず沖縄全体をParadise(楽園)にしたい」という志をもとに事業を展開。東京や沖縄本島などに直営店を持ち、「宮古島発の外貨獲得企業」と呼ばれながら拡大成長を続けてきた

宮古島で生まれ育った西里社長は、「宮古島のために尽くせる人になりなさい」という父の教えをもとに進路を展望。1994年にパラダイスプランを立ち上げた。誰もが知る島のブランドを築いた視線の先には「宮古島初の上場企業となる」夢も描かれていた。

そこで起きたコロナ禍。年間180日超の島外出張が途絶えた間に、西里社長は島で「僕が見えていなかっただけで、島の中にたくさんの気づきがありました」と、足元の宝を再確認した。

バブル状態にあった宮古経済の裏側では、オーバーツーリズムなどの社会問題も生まれていた。そうした島の課題も、西里社長は「一旦、立ち止まっている今のうちに解決しなければならない」と話し、経済のあり方についても、「大きいことが良いことではない。外貨でなくても身近な需要を掘り興すことはできるのではないか」と考えている。

今、西里社長が展望するのは「宮古島を知る我々にしかできない仕事」だ。「幸い、宮古島への投資は順調。(コロナ禍で)減っても需要はあるので、やることはいっぱいあります」。コロナをチャンスに変えるべく、その経営手腕を島内に再還元していく。

コロナを機に生まれたチャレンジで
島のにぎわいを取り戻したい

緊急事態宣言を受けた4月以降、佐渡と本土をつなぐ航路の利用者数は最大8割減少。観光のピークを迎える8月の観光客数も前年比の約7割減となった。島内の企業にも影響が広がる中、ベーカリー&カフェ「しまふうみ」を営む佐渡ホンダ販売株式会社の取締役・松柴敬太さんは「島の内需に応えているので、影響はそこまで大きくなかった」と語る。

佐渡ホンダ販売株式会社 1958年創業。社員数32名。総売上高(グループ全体)12億5400万円(2018年度)。Honda Cars 佐渡を軸に、生活雑貨店、携帯電話販売、新潟沼垂の珈琲店、ベーカリー&カフェ、ゲストハウスを営む

しまふうみは、1958年に創業した同社が「地元の声」に応えるカタチで展開してきた事業のひとつ。同社は他にも雑貨店や携帯電話店、新潟沼垂の珈琲店を営んでいる。島外からの客足が途絶えても、島内のお客さんはパンを買いに来る。内需に応えてきた企業の強さを活かし、松柴さんは最近、新たなチャレンジを始めている。

「佐渡の米粉を50%配合したパンを缶詰にする実験を進めています」という。それは、島の恵みを活かした防災食品だ。感染症はもとより、地震や台風、豪雨などの災害が激甚化している昨今、非常時への備えは誰にとっても必要不可欠。島はもちろん島外にも需要がある分野で「佐渡の味」を提供できればと、松柴さんは考える。

手づくりパンとコーヒーを味わえるベーカリー「しまふうみ」。同社が自動車販売以外の事業を始めたのは「島に住むお客様に喜んでいただくため」。若者たちが島の魅力や楽しさを再発見できるよう、島に新たな価値を生み出している

とはいえ、その視線の先にあるのは自社利益の追求ではない。「今の佐渡は、昔よく遊んでいた同級生も戻ってこない状態です。この状況をなんとかするには、地元でしっかりやれる企業が必要なんです」(松柴さん)。

かつては北前船の交易で栄えた佐渡。金の採掘が隆盛を極めた時代には、爆発的に増えた島の人口を支えるために、傾斜地にも棚田がつくられた。美しい景観や豊かな生態系が存在することから、世界農業遺産にも登録される佐渡だが、その豊かさに反して、歯止めがかからない人口減少の課題を抱えている。

「観光や交流を軸にしている佐渡に、プラスアルファを生み出したい」。松柴さんのチャレンジには、コロナ禍を機に強まった社会のニーズに加え、人口減少に直面する佐渡に、新たな循環を生み出したいという願いも込められている。


【関連サイト】
株式会社パラダイスプラン
佐渡ホンダ販売株式会社

ritokei特集