【離島マンガ「南国トムソーヤ」うめ先生鼎談③】フィクションと新聞、異なる立場からそれぞれが「離島の今」を描く『南国トムソーヤ』作者の「うめ」先生と、リトケイ編集長鯨本。マンガだからこそ、新聞だからこその、離島を表現する苦労と喜びを語りました。
フィクションと離島、“付かず離れず”な関係
鯨本:マンガを書き始める前と後で、島への見方が変わったというのはありますか?
妹尾(うめ):連載の直前に行ったので…
逆に、どんなふうにこのマンガを見てもらえるのか、ちょっとドキドキです。
本人たちに「違う」って言われちゃったら…
—怖いですね!
鯨本:リトケイでは記事にする際、島に迷惑をかけないよう事前に確認を取りますが、
媒体を作った後にどんな反応されるか、やはりドキドキしています。
小さな島にとって、その島の名前がメディアに出るというのは一大事なので。
うめ(小沢):そのことについては、マンガであること、フィクションがゆえの
強みがあって。
鯨本:ほう。
うめ(小沢):何を描いてもフィクションですと言える故に、
却ってリアルに切り込めることがある。
—ああ、例えばヤギをツブすシーンが描かれてましたよね(笑)
うめ(小沢):そう(笑)事実オンリーだと、あれは描いちゃいけない、
表現しちゃいけない、という事情に縛られてしまうけど、
あくまでこれは架空の島の架空のお話。
それを描けるのは、マンガというメディアの強みかもしれない。
鯨本:ああ、こういうことって、実際にあるかもなぁ、みたいな。
それはマンガだからこそですね!
—そういったネタがトムソーヤには散りばめられている(笑)
鯨本:その視点で読むと、また面白いですね。
—逆に、島の事情について「これを描いていいのかな?」という迷いはありますか?
うめ(小沢):うーん、最終的には、自分たちの見てきたものを信じる。
「描くことを怖がらない」ことですね。
島の人に監修を頼むと、丸められた表現になっちゃうので、自分たちの感じた
ディティールを大事にする。見る目としての自分を信じて描かないと、
自分が描く意味がなくなっちゃう。
鯨本:なるほど。島の人に遠慮しない。
うめ(小沢):一面的に描くと、「島の人はみんないい人」になっちゃう。
そんなの薄っぺらい。島の人の中にだって、良い人、悪い人、
自分には合わない人もいるじゃないですか。
鯨本:それは当然ですよね。同じ島の中にも、いろんな人がいて。
うめ(小沢):そう。そういう違いが個々にあった上で、
その上でもう1段階上の概念で「この島の人たち、こうだよね」というのがある。
鯨本:うんうん。島々の違いもあるし。一絡げに「島」といっても、
一概に「島の人はおだやかで、のんびりしていて、明るくて」というわけではない。
島人に言わせれば「あそこはのんびり」「あそこは芸達者」「あそこは働き者」とか(笑)
気性の荒い島民性も、寡黙な島民性もある。本当はこうなんだよというのを伝えたい。
うめ(小沢):そうですね。それをまるごと描きたいな。
島が好き、でも“賛歌”ではなく
鯨本:この先、マンガの中で近くの島が出てきたりも?
うめ(小沢):ああ、それはやってみたいですね。「隣の島」編とか。
マンガの登場人物にも、それぞれ違った視点や役割を持たせていて面白いですよね。
『仕方なく島に来た人』『島にフクザツな思いを持って来た人』
『野心を持って島に来た人』…。
うめ(小沢):はい。同じようなキャラクターを二人と配置しないようにしているので。
妹尾(うめ):実際の島の中にも、それぞれ複雑な背景を持って住んでいる人がいる。
島出身の人かと思ったら、実は違う。みたいな人もたくさんいますしね。
鯨本:すごい背景を持って島に来ている方もいますしね。
妹尾(うめ):ぱっと見じゃ分からなかったりしますもんね。
—神事も、「神聖な触れ難いもの」でもなく、「気軽に参加できるもの」という
感じでもなく、近すぎず遠すぎずの絶妙な距離感で描かれているな、と…。
妹尾(うめ):さすがに行くときは作法もあるし、緊張しましたが、
もし実際に見ないで想像で描いていたら、たんに「神聖なもの」という
描き方になったと思います。
でも実際に行ってみたら、司のおばあがユンケル飲んでたりとかして(笑)
(一同、笑)
うめ(小沢):おばあ、頑張ってるなぁ!みたいな。
妹尾(うめ):実は島の人、ケータイで撮ってる!とか。
—行かないと分からない。
鯨本:島のことについて、先入観で、さも大変なことのように、
オーバーに描かれないのが良いなと思います。
リトケイは島の人にとって役に立つか、立たないかという視点で
掲載内容を選んでいるので、よい部分があればより伝わるように素直に出すし、
悪い部分があれば、出口のない記事にするのではなく、
どうしたらいいのかを考える、建設的な書き方をするように気をつけています。
うめ(小沢):僕たちは、逆に、良い人すぎる描き方、
“賛歌”にならないよう気をつけている。
気にしている点は逆かもしれないですね。
鯨本:でもお二人が島好きなのが根底にあるから悪い事はないですよね。
うめ(小沢):うん。
我々の中の、島を好きという気持ちがあれば、そのへんは怖くないかな。
悪いとこもすき、みたいな笑
—最後に、島好き、島関係者へのメッセージは?
うめ(小沢):リトケイを読んでいる人は色んな距離感で島と関わりを
持っていると思いますが、『南国トムソーヤ』も、それぞれの立場、
色んな視点、距離感から読めるようになっています。
それともうひとつ、僕たちは、島ナイチャー、観光客からもう一歩踏み込んだ
視点で描いているので、そういう人たちの視点を楽しんでいただければと思います。
—今日はありがとうございました!