佐渡に伝わる「島の手しごと」。藁鍋敷き、藁草履(わらぞうり)、藁の筵(むしろ)……。近所のおばあちゃんたちがひとつひとつ藁で編んだ、手づくりの日用品。作り手が少なくなったという佐渡の手仕事の現場を訪ね、編み方を教わりながらお話を聞いてきました。
「習うってことねぇ、自然と覚えるの」 稲藁編み — 北見マツミさん(82歳)
9月下旬から10月中旬にかけて、稲が黄金色に輝く頃、佐渡島(さどがしま|新潟県佐渡市)では稲刈りが行われました。藁鍋敷きや藁草履を編むおばあちゃんを訪ねる前に、小倉千枚田で稲刈りをし、その稲藁を持ってご自宅へうかがいました。
お話を聞かせてくださったのは、北見マツミさん。
「いまは田んぼから藁を引きあげるのが大変でなぁ。コンバインで刈るからの、節がそろわん(節=刈り取った根のほうの切り口)。私たちは頼んでの、農家の人に長藁を刈りっ放しにしてもろうてくるの。お金を払って、ただってわけにはいかねぇなぁ」
稲刈り後の藁を持ってインタビューへ
刈られた稲藁は、一週間くらい天日干しして乾燥させ、根の方を切って節をそろえ、梳いて、それから2、3本を手の平で擦り合わせて1本の縄にします。藁を手の平で擦り合わせて1本の縄にすることを「縄をなう」と言います。
「いまの若けぇもんはこれが編めんの。縄をなええんわけや」と言われて、やってみることにしました。お手本を見せていただくのですが、簡単そうに見えて本当に難しくてできません。
1本の弱々しい藁が「縄をなう」ことで頑丈な紐になります。鍋敷きはこの縄を巻き付けてできあがります。ただグルグル巻くのではなく、ここにも編み方があり、これも慣れないとできません。
「すぐにはなええんちゃ。簡単にはできんの。年季がいるのんや。これできるようになるのに1年はかかる」と北見さん。
やり方はやってみないとわからない。メモしてもダメ。やってみて、ほどいて、またやってみることだと言われました。今度は作り方をじっと見ることにし、子ども用の藁草履を編んでいただきました。
手元を見ながら質問してみました。
——おばあちゃんも子どもの頃は、藁草履をはいて育ったんですか?
「そうや。学校は、藁草履はいてな。雪のあるときだって、藁靴だったよ、藁で編んだ長靴な。そうすると藁から雪が沁みてきて足が冷てぇなるやろ、そいで裸足になって飛んで学校へ行った。長靴(ゴム製)ってくじ引きにあたらんけりゃ履けんかった」
——昔は藁草履つくる人もたくさんいたでしょうね。
「いっぱいおったよ。親がの、私たち小せぇときからこういう仕事しとったから、そいで学校から戻ると藁すぐったり(すぐる=梳く)しておったから、毎日見とるからな。べつに習うってことねぇ、なんとなく自然と覚えるの。いまの若けぇもん以外はみんなつくれるんでね?」
——稲藁は、いまはバラバラにして堆肥にすることが多いと聞きました。でも昔は藁で、草履も鍋敷きもいろいろな日用品を作ったんですね。
「秋に稲刈りが終わったら、冬は米を出荷せんなんから、米を入れる俵(たわら)を編まんなんかったの。だから冬場はの、俵編みしとったよ。みんな昔は手ぇから縫うて。それから正月前には筵(むしろ)を替えんなんから、筵編みしとったよ。畳はねぇかったからな。小豆を干したりするのは筵が1番いいんだけどな」
鼻緒をつけて、飛び出た藁を切りそろえて整えたら、完成です。
島の手仕事は長い冬ごもりの間、土間を仕事場に3月から4月頃までコツコツと続けられてきました。つくっていただいた子ども用の藁草履は、佐渡の習慣ではありませんが、赤ちゃんが産まれると誕生祝いに藁草履を履かせる地域があるそうで全国に卸されます。身のまわりの素材を活用し、工夫して日用品を作り出す昔ながらの技術、この技術は80〜90代の大先輩たちからいま教わらなければわからなくなってしまうかもしれません。そう思うと、教えていただく時間が貴重なものに思えました。
手を見せてください。
8人兄弟で1人は戦死、80歳を過ぎて兄弟は他界し、1番上のお姉さんは90歳です。同じ集落の人と結婚し、その人は漁師でした。ヤリイカの漁獲期は夜中の12時に起きて船を見送り、9月から4月まで遠洋に出る夫の帰りを待ちながら家を守り、子どもを育て、孫も大きくなりました。働いてきた手です。
撮影協力/えんやMy Cafe
おばあちゃんの手から作り出される日用品は、全国の雑貨屋さんに卸され、店先で購入することができます。特に藁鍋敷きは若い世代に人気があるそうです。しかしその一方で作り手は高齢化し、減少の一途をたどっていると聞きました。手から手へ、暮らしの中で受け継ぐものを受け止めたいと思います。
おばあちゃん、また教えてください。
ありがとうございました。
(文・佐渡島ライター古玉かりほ / 写真・押川 毅)