つくろう、島の未来

2024年11月24日 日曜日

つくろう、島の未来

世界自然遺産登録の候補地として注目される奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)は、島内の全市町村で地元コミュニティFM局を聴取できる「ラジオの島」でもある。草分けとなった「あまみエフエム ディ!ウェイヴ」が、この春、開局10周年を迎えた。「シマッチュの・シマッチュによる・シマッチュのための島ラジオ」として方言交じりで情報発信、災害時の緊急放送も担う「ディ!ウェイヴ」の歩みを振り返る。(写真提供:あまみエフエム)

「あまみエフエム」パーソナリティ渡陽子さん(左)、丸田泰史さん(右)

「ラジオの島」となった奄美大島

約6万人の人々が暮らす奄美大島は、島内の1市2町2村全ての自治体で聴取が可能な「ラジオの島」だ。2007年に開局した島内初のコミュニティラジオ局「あまみエフエム ディ!ウェイヴ(77.7MHz)」は、今年5月1日に開局10周年を迎えた。

「あまみエフエム」は人口約 4万人の奄美市(あまみし)と人口約1,500人の大和村(やまとそん)を放送区域とするコミュニティラジオ局で、奄美群島(あまみぐんとう)の島おこしに取り組む「特定非営利活動法人ディ」によって運営されている。

同法人の代表理事・麓憲吾(ふもと・けんご)さんは奄美大島出身。5年間の東京生活を経て23歳で帰島し建築業に従事するかたわら、公民館などで音楽イベントを企画し、自身もドラマーとして活動していた。

当時、奄美大島にはライブハウスがなかった。麓さんは「若者が音楽で盛り上がれる場所をつくりたい」との思いが募り、1998年にライブハウス「ROAD HOUSE ASIVI(アシビ)」を仲間らと立ち上げた。

「あまみエフエム」のスタッフと麓憲吾さん(中央)「ROAD HOUSE ASIVI」前で

ライブハウス開業は、本土から訪れる多くのミュージシャンが奄美の文化に触れるきっかけとなり、彼らは奄美大島で郷里の民謡を意味する「シマ唄」を絶賛した。

また、2002年には「シマ唄」出身の歌手・元(はじめ)ちとせが「ワダツミの木」でメジャーデビューを果たし、リリース後2カ月を経てシングル・チャートで1位を記録する大ヒットとなった。

こうしたきっかけで、それまでは広く知られていなかった奄美に注目が集まり、島外から評価されるのを目にする一方で、麓さんは小さな違和感を感じていたという。

「外からの目で評価されて島を知ることも、きっかけとして大切なのですが、奄美大島の人々が自らの島のことを知り、その良さを自覚できることの方が大切なんじゃないか、と思ったのです」(麓さん)。

そこで、麓さんはこれまでのライブハウス運営で関わってきた「コンテンツづくり」や「音響」などのノウハウを活かし「地元の魅力」を共有するメディアとして、コミュニティラジオ局を構想した。

2004年に「特定非営利活動法人ディ」を設立し、放送関連の技術力を持った地元企業の支援も受け、アシビの2階に放送スタジオを構築。2007年に放送免許を取得した。

開局資金の一部は寄付で募り、出資賛同者として開局までに500名超のサポーター会員を集め、2007年5月1日、奄美大島で初となるコミュニティエフエム局「あまみエフエム」として放送を開始した。現在、奄美市と大和村の全域のほか、サイマルラジオ(コミュニティFMのインターネット配信サイト)でも放送を行っている。

地域の方言を活かしたユニークな放送

「あまみエフエム」の大きな特徴は、公式パーソナリティをはじめ、島で暮らす人々や出身アーティストが多数出演する参加型メディアであることと、「島口(シマグチ)」と呼ばれる方言を活かした番組づくりだ。

朝と昼の番組中で放送される「ナキャワキャ島自慢(あなたの私の集落自慢)」コーナーでは、島内の各集落の区長や年配者が地元の「シマ(集落)」の魅力を方言で語り、夕刻のトーク番組「夕方フレンド」には、島で活躍する人や、島に関係する人が日々入れ替わりで出演する。

「夕方フレンド」に出演した株式会社しまバス運転士の浅倉光代さん(左)とパーソナリティ渡陽子さん(右)

奄美市名瀬(なぜ)出身の唄者、中(あたり)孝介の「拝(うが)みレディオ」や、奄美市笠利(かさり)町出身・在住の2人組音楽ユニット カサリンチュの「ただいまカサリン中です。」のように、全国的に活動するアーティストによる音楽番組も多い。

奄美大島では集落ごとに方言や訛りが異なるため、出演者によって、方言混じりの言葉づかいにも個性が現れる。番組タイトルやコーナー名にも、「ヒマバン・ミショシ〜ナ!(お昼ご飯食べましたか)」「きゅうぬゆしぐとぅ(今日の教訓)」など、方言が踊る。

島の人々がそれぞれ自然体の方言で島の情報や文化を伝え、出身のアーティストたちがつくる音楽を放送することで、奄美大島の空気感が音に乗って世界に発信される。

奄美大島観光協会の島コーディネーター・山下久美子さんは、友人や取材で来島する方を案内することが多く、交通情報なども参考にしているという。「車内であまみエフエムを流すと『これ何?』と興味をもっていただけます。ラジオはレンタカーの車内でも奄美らしさを感じることができるので、ぜひ島の音楽や言葉に触れてみてほしいです」と話す。

災害時にFM放送が効果を発揮

2007年の開局当初、「あまみエフエム」が認可を受けていた送信電波の出力は20 ワットで、送信範囲は半径10キロメートル程度まで。2006年の市町村合併で奄美市となった市北部の笠利地区と市南部の住用(すみよう)地区には電波が届かず、放送は市内でも役所や商店などの集まる中心地の名瀬からのスタートだった。

2009年、「あまみエフエム」は奄美市と防災協定を締結。翌2010年5月に鹿児島県と奄美市の地域振興事業を活用して住用地区と笠利地区に中継局を増設し、開局3年後に奄美市内全域をカバーできるようになった。

それからわずか5カ月後の10月、奄美大島を記録的な豪雨が襲い、島内各地で発生した土砂崩れで道路が寸断。河川から水があふれて洪水が起き、一部地域では交通や通信が途絶えた。

こうした状況のなか、「あまみエフエム」はCMを入れない24時間生放送に体制を切り替え、行政の災害対策本部や名瀬測候所、警察、消防、海上保安庁、九州電力やNTTなどライフライン関係企業などと連絡を取りながら、各機関からの発表やリスナーから寄せられる安否情報などの放送を5日間に渡って続けた。

この災害放送が高く評価され、国土交通省(土砂災害防止功労者表彰)や奄美市(感謝状)などから表彰を受けるとともに、奄美市と「あまみエフエム」間では、災害発生時における情報提供や連携協力の体制構築が固められた。さらに、翌2011年3月末には名瀬測候所とも防災協定を締結。その年9月に発生した集中豪雨災害の対応に活かされた。

放送局により活気を取り戻した2つの市場

末広市場ディ!放送所

「あまみエフエム」の存在は、市街地の活性化にも一役買っている。2012年に旧名瀬市末広町(現・奄美市)の末広市場に開設された放送所「末広市場ディ!放送所」では、毎日昼(ヒマバン・ミショシ〜ナ!)と土日夕方の生ワイド番組(ゆぶぃニングアワー)を公開生放送している。

生放送の音声には時に市場の物音が混じり、街の気配を伝える。放送を見に来たリスナーが招かれて番組に出演したり、社会科見学に訪れた小学生たちが生出演したりすることもある。

放送所には駄菓子屋も併設されていて、学校帰りの子どもたちが立ち寄る。近年、空き店舗が目立ち閑散としていた末広市場と隣接する永田橋市場にも人通りが生まれ、若手店主たちが次々とコーヒー店や雑貨店、立ち飲みバーなどを開店させるなど、市場に新たな命が吹き込まれている。

名瀬で生まれ育ち、古くから両市場を知る詩人の仲川文子さんは、「昭和30年代ごろの市場は、川の上まで店が張り出して肉屋、魚屋、八百屋、豆腐屋などがひしめき合い、食材が何でも揃いました。その頃は子どもたちや、犬、猫、ニワトリが市場の中を遊びまわって、とても賑やかだったのを覚えています。時代が変わり、最近はおしゃれなお店が増えて楽しめる場所になってきましたね。昔から頑張っているお肉屋さんやお惣菜屋さん、乾物屋さんなどのお店もあるので応援しています」と市場への思いを語る。

奄美大島観光協会 島コーディネーターの山下さんは「島外でインターネット放送を聞いていた方が、『やっと奄美に来られました』と末広市場放送所を訪ねてくることもあるそうです」と話す。

放送局の存在により、にぎわいが消えかけていたふたつの市場に地元客や観光客が集まるようになり、奄美大島の新たな名所になりつつある。

記事 中編 に続く

参考資料:
コミュニティFMの災害放送におけるクロスメディア活用の可能性と課題〜2010年・奄美豪雨水害を事例として〜/東京大学大学院情報学環 古川柳子(2011年)
ラジオの島・奄美-「あまみエフエムから始まる島の自文化語り」/中京大学 加藤晴明(2017年)


【関連サイト】

あまみエフエムディ!ウェイヴ

     

離島経済新聞 目次

ラジオの島 奄美大島

世界自然遺産登録の候補地として注目される奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)は、島内の全市町村で地元コミュニティFM局を聴取できる「ラジオの島」でもある。草分けとなった「あまみエフエム ディ!ウェイヴ」に続き、島内各地で次々とコミュニティFM局が開局するなど、あまみエフエムが開局して10年の広がりを追った。

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