つくろう、島の未来

2020年08月11日 火曜日

海とヒトとを学びでつなぐ一般社団法人3710Lab(みなとラボ)を主宰する東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センター特任講師 田口康大さんによる、寄稿コラム。第1回は気仙沼大島(けせんぬまおおしま|宮城県)の「大島大橋」架橋をきっかけに始まった、地元高校生の学びの活動について。

社会や地域の課題と向き合う海洋教育

「海洋教育」という分野で実践研究を行う私が、最初に活動のテーマを強く意識したのは2014年。東日本大震災に見舞われた宮城県気仙沼市で行われた市民参加の会議に、パネリストとして招待されたときのことです。

そこでは、これからの気仙沼の地域づくりについて、有識者や市民が参加し、さまざまな意見が交わされ、世間的にも注目を浴びた「防潮堤」の是非についても話が及びました。

しかし、その場に参加していた子どもたちには、意見が求められませんでした。そこで私は「地域のこれからを担うのは子どもたちです。彼らにこそ意見を求めるべきではないでしょうか」と発言。そのせいかは分かりませんが、その後も毎年行われている会議にはお声がかからなくなってしまいました(笑)。

時を同じくして、私の仕事も徐々に活動範囲を広げ、日本全国の離島での海洋教育事業を行うようになっていました。

しかし、各地で目にしたのは、気仙沼の会議で目にしたものと似た構図でした。

「子どもには難しすぎる」「子どもには触れさせられない」「子どもが考えるべきことではない」。地元の人や先生方からはそんな声も聞こえてきました。

多くの離島では、少子化や高齢化、医療や産業の衰退など、日本の課題が一足先に顕在化しています。それに対し、さまざまな知恵を絞って島の存続を模索しています。しかしほとんどの場面で、そこに子どものリアルな姿を見ることはありませんでした。

ティーンエイジャーの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんが国連気候行動サミットの場で大人たちに「よくもそんなことを!(How dare you!)」と発言した際、トランプ大統領が「落ち着け、友達と映画でも見に行け!」とSNSで応じたことがありました。未来の住人である彼らの怒りは、今世界的に大きな渦となって、世界を動かしつつあるのはご存知の通りです。

私は社会や地域の課題に向き合う、もっと言うと「自分で考える力」を子どもたちが持つことが大事だと考えています。しかし最近強く思うのは、すでに子どもは自分で考える力は持っているのに、その機会が奪われているだけなのではないかということです。その原因は、もしかしたら大人たちにあるのかもしれないと。

そうして、私は「教える」授業ではなく「考える」授業をプログラムし、各地の離島で実践してきました。大人や子ども、年齢や立場に関係なく、同じ課題についてオープンに話し合いができる場を「教育」を通して作ることを目下の役割としています。

このコラムでは、そのいくつかの事例について、なるべくリアルなエピソードとともにお話できたらと考えています。第1回目の今回は、宮城県気仙沼市にある「大島」での実践です。

気仙沼大島大橋架橋を巡って

2019年4月、気仙沼本土と大島を結ぶ気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)が開通しました。東北最大級の有人離島である気仙沼大島は、市内から船でおよそ30分の距離にあります。この大橋の架橋は島民の50年の悲願だったと言われます。

他の離島と同様に、大島では医療的な緊急時には本土に渡る必要があります。ところが、海の荒れや、干潮時などは船を出すことができません。そのような生活の不安から、架橋の構想が立てられたのが1967年。

長い間の構想が具体化するきっかけとなったのが、東日本大震災です。震災時、大島と本土との航路は、漂流物にふさがれ、大島は孤立状態に陥りました。医療・災害の安全確保、生活の利便性向上のために、橋の建設の機運が高まります。

2016年の秋、アーチ橋本体の組み立て工事が開始した頃、知り合いの地元の方から、高校生に会って話をしてほしいと言われました。年が明けたころ、フェリー乗り場が見えるカフェで、数人の高校生と会うことに。集まっていたのは、大島で生まれ育ったり、所縁のある高校生でした。

「大島と気仙沼の間に橋が架かるんです。でも、私は橋が架かってほしくない。大島のよさが失われてしまう」

話を聞くと、架橋によるメリットを理解はしているが、それ以上に「大島のよさ」が失われてしまうことが心配なのだと言います。高校に通学するために毎朝乗る船。子どもの練習用にたった一つだけある信号機。島民同士の距離の近さ。自分たちの原風景が失われてしまう。だからこそ、架橋には反対である。

だけど、大人たちの間でも架橋への意見が割れていて、その話には触れられない雰囲気がある。何とかしたいのだけど、自分たちに何ができるのか、何をしたらいいのかがわからない。高校生たちはそんな状況に置かれていました。

私はこの時はじめて架橋の問題を認識したのですが、「橋が架かったとしても、大島のよさを残すことはできるんじゃないか、そもそも大島のよさってなんだろう、残したいことってなんだろう?」と彼らに話しました。大島を思っているのは島民皆同じ。だからこそ、大島のよさを改めて見つめなおし、自分たちが残したいものや大島への想いを形にしてみたらどうか、と提案しました。そして、それを話し合いのきっかけにしたらどうか、と。

「もっと子どもたちの話を聞いてほしい」。高校生が発した声

私は既知の編集者がいる『島へ。』(海風舎)編集部に連絡を取り、気仙沼大島の記事を高校生自身の製作により特集できないかと相談したのです。企画は実現し、成果は『島へ。』Vol.96 (2017年12月号)に掲載されました。大島の自然、島民を救った伝統野菜、復興した養殖業、教訓を伝える民話、それらを受け継いでいく人たち……。高校生たちの想いは、記事の中に強く込められています。

1年間にも及んだ高校生たちとの活動、いくつもの印象的な場面を鮮明に思い出します。中でも強く残っているのは、大島小学校での報告会です。ある生徒の言葉です。

「自分は高校卒業後、一度大島を離れて、いろんなことを学んで、将来は大島に戻ってきて、大島のためにがんばりたいと思っている。だから、もっと大島のことについて話をしたい。大島のためを思っているみんなでもっと話をしたい。この企画がなければ、話ができないままだった。小学生や中学生だって、いろんなことを考えています。もっと子どもたちの話を聞いてほしいです。後輩たちのためにも、お願いします」

少し上ずった声で、それでも強く発せられた一言は、会場にいた全員の心に響くものでした。報告終了後、小・中学生と高校生を中心に、それを大人たちが囲むようにいくつも輪ができあがり、いつまでも話し続けている様子がとても感動的でした。

一方で高校生が、不安や緊張とともにそのようなことを願わなければいけない状況がなぜ生まれたのだろうか。なぜこのような分断が生じるのだろうか。教育学を専攻する私は、学校教育にひとつの要因があるのではないか? と考えるようになりました。このことについては、次回以降のコラムにて触れていきたいと思います。

『島へ。』の企画後、毎年大島の教育をよりよくするための会合に呼ばれるようになりました。以来大島に住む皆さんと楽しく対話をしています。

当時の高校生たちは、今は大学生や社会人です。ある生徒は街づくりについて学び、ある生徒は対話の大切さを知り、それを生かした進路に変更したそうです。気仙沼全体を見ても、若い人たちが街づくりに参加する機会が増えており、その現象自体が気仙沼の新しい魅力になりはじめていると感じます。

離島経済新聞 目次

寄稿|田口康大・東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センター特任講師

田口康大(たぐち・こうだい)
東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センター特任講師。教育学者。人と教育との関係についての研究と、教育を軸とした多様なプロジェクトの実践を連関させて行い、新たな教育のあり方を探求している。「海とヒトとを学びでつなぐ」をテーマに活動する一般社団法人3710Lab(みなとラボ)(https://3710lab.com)を主宰。全国の教育委員会や学校、自治体と協同し、新たな学びの方法を提案するプロジェクトを多数展開している。また、映像作家の福原悠介とともに、誰かに何かを聞くことをきっかけに、お互いのあいだに「対話」が生み出されていくような場づくりを目指し「対話インタビュー」プロジェクトを実施(taiwa.mystrikingly.com)。近著に、鹿児島県立与論高校の授業で制作した『与論の日々』。

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