つくろう、島の未来

2024年12月10日 火曜日

つくろう、島の未来

気仙沼大島の港につくと、荒廃した場所に、大きな船が「桟橋」ごと打ち上げられ、廃車になった車が山積みになっていました。

  • Exif_JPEG_PICTURE
  • 大島の港につくと、荒廃した場所に、大きな船が「桟橋」ごと打ち上げられ、廃車になった車が山積みになっていました。

私たちはまず、島の「災害対策本部」に向かい、そこで気仙沼市議の菅原さんと、災害対策本部長の白幡さん、大島地区振興協議会で事務局長を務めながら島で椿を栽培している小野寺さんという、島のキーマンに出逢いました。

#02 島のキーマンの話

部屋の壁にかかった賞状やトロフィーは歪んだまま。数ヶ月経っても未だ手をつけられてないことが山積しているように思えました。
大島に来た目的を私たちが話すと、キーマンたちは静かに聞いた後、島のことを話してくれました。

「昭和34年の合併まで大島村だったこの島は、周囲24kmの土地の中に1200軒ほどの家が建っている。」
「標高235mの”亀山”という山があって、鳴き砂のある浜はもうじき国の天然記念物に指定される予定だった。」
「船着き場には商店会があって、観光の受け入れはそこですべて行っていました。」
「産業の中心は漁業と観光。」
「平成30年には、内地と島をつなぐ橋が架かる計画がある。」

「今回も、橋さえあれば・・・。」と、市議の菅原さんが言いました。菅原さんは低くしゃがれた声が特徴的で、島人の貫禄と厚みがにじみでる方でした。
25分で渡れる大島では日中、島を離れて仕事をする人も多く、あの日もたくさんの人が島を離れている時間に震災が起きました。
何千隻という船はことごとく津波に流され、そのまま島は孤立。すべてのライフラインが止まり、外部との連絡手段は、消防と警察の無線しかない。その非常事態を前に、白幡さんは「我々は全島避難もかんがえたんですよ。」と言い、「でも、やろうとしても、島には誰も迎えにこないんです。」と付け加えました。

震災後、気仙沼は大規模な火災に見舞われ、その火は湾内にあった養殖用イカダの浮き球や発砲スチロールに飛び火。湾内は火の海となり、島にも火をつけました。
山裾から風にあおられ「亀山」の頂上に向かう火を消すため、菅原さんたちは、拡声器と消防無線で火事の発生を知らせ、女性や中学生も含む、200~300人の島人が消火に向かいました。
島中の消火器、海の水を汲んだミキサー車、消防ポンプ、ペットボトルに入れた水、杉の葉っぱ・・・、使えるものをすべて使った消火活動は、4日間続きました。「”下草”でくすぶる火は暗くならないと見えないため、多くの島人が寝ずに火を消し続けたんです。」と、キーマンは話しました。

島が壮絶な事態にあっても、東北地方全域が被災下にあった当時、船も寄りつけない島からの救援要請はなかなか届かず、県とつながる無線に向かい、菅原さんは「全島民3200人を見殺しにする気か」と叫び続けたそうです。菅原さんの枯れた声は、この時のことが原因なんだと、後に出逢った島人に聞きました。

山火事、余震、食料不足・・・。港には船もなく、物資も届かないなか、島に2つできた避難所は、家を流された人などで一時は満杯状態になり、けが人を出さないよう入り口を閉ざすこともあったといいます。

避難所に集まった750名分の米の備蓄は2日分しかなく、水もストップ。島民は、旅館や民宿にあった食料を分け合い、プールやさわの水を濾過して飲み水を確保しました。20日間は誰も風呂にも入れず、キーマンたちは、自衛隊に要請し、100人ずつ自衛隊の船のお風呂にはいれるようにしました。

「未だに、あんな津波があるのかと、信じられない」
ここで起きたことを振り返るように、小野寺さんが言いました。

4月末に送水管が復旧し、少しずつインフラが整ってきたとはいえ、島中に復旧を要する場所が数多く残され、かなりの島人が仕事を失ったままです。
「これまで、稼ぎの中心は漁業でした。だから今からは、船が問題になってくるんです。島に残った船は10隻あるかないか。何千隻あったものが、根こそぎやられて、もう、どこにいったかわからない。」
「船といっても、養殖に適した作業船が必要。」
「養殖を復活させようとしても、船も資材もない。 イカダをつくるロープも、浮きも・・・。」

東北地方全体が同じように被害をうけているなか、島だけが優先して支援を求めることは難しいかもしれません。しかし、島にとって船は足であり、生活の基盤になるものです。
「何隻くらいあったらどうにかなるか?」という質問に対して、「500隻あったら・・・。」「だけど、はっきりいって資金がない。」という状況を、どうしたら好転させられるのか、事の深刻さだけが頭を巡り続けました。

「観光で売っていた食材は全部ありません。」
「これからウニのシーズンだけど、海がどうなってるかわからない。」
「海藻がダメになったらウニはダメですからね。海藻もやられてます。」
「仮に復活しても、放射能の問題もある・・・。」

たとえば、漁業にはたくさんの決まり事や法律があります。しかし、この状況をいち早く越えていくには、これまでのルールを変えるような手段が必要になるのかもしれません。それには、行政や国との話し合いにもなり、難しい問題が立ちはだかります。

「これからどうすればいいのか?」という、同行メンバーとの話合いはしばらく続き、その中で菅原さんが言いました。

「元に戻ったって仕方がないわけ。」
「起きたことは大きすぎるから、元に戻るんじゃなくて、 ずっと前に進まなければいけない。」

     

関連する記事

ritokei特集