つくろう、島の未来

2024年11月21日 木曜日

つくろう、島の未来

2014年7月18日〜31日に銀座・有楽町界隈の飲食店で奄美黒糖焼酎のPRキャンペーン「奄美黒糖焼酎 島酒Week」を開催。本連載では、奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)に7年暮らすなかで奄美群島の酒蔵をめぐった「くっかる」が奄美黒糖焼酎の魅力をご紹介します。前回に引き続き、奄美大島で酒造りに励む奄美黒糖焼酎の蔵をご紹介します。

■奄美大島(あまみおおしま)

奄美大島は、原生的な亜熱帯性多雨林に恵まれ、水の豊かな島です。前回ご紹介した奄美大島北部の蔵に続き、今回は奄美大島の中心地・名瀬や南部の宇検村・瀬戸内町にある蔵など、個性豊かな5つの蔵をご紹介します。

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■有限会社富田酒造場

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奄美群島最大の繁華街、奄美市・屋仁川(やにがわ)通りから裏路地に入った「らんかん山」のふもとにひっそりと佇む富田酒造場。創業は昭和26(1951)年。昔ながらの黒麹(こうじ)と創業時から受け継ぐ甕壺(かめつぼ)40個を使い、一次仕込み・二次仕込みとも甕仕込みで黒糖焼酎を造っています。甕仕込みにこだわる理由は、焼酎に厚みのあるボディをもたらしてくれるから。蔵子に「甕は大切に使えば千年持つ」と言い聞かせ、手入れをしながら大切に使用しているそうです。麹には国産のうるち米、仕込み水と割り水には金作原(きんさくばる)原生林を水源とする軟水を使用しています。徳之島(とくのしま|鹿児島県)産の黒糖を使用した「まーらん舟」や「らんかん」など一部の銘柄のラベルは一枚一枚和紙に筆書きされていて、造り手のぬくもりを感じます。

■西平酒造株式会社

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西平酒造は、昭和2(1927)年に喜界島(きかいじま|鹿児島県)で泡盛の酒造場として創業されました。太平洋戦争終戦後、奄美大島・名瀬の現在地に移転。本土との流通が閉ざされた軍政下の奄美で、島民の求めるサイダーや乳酸飲料などの嗜好品を製造し、奄美の日本復帰と共に消えた幻の地ビール「トモエビール」などを生み出しました。造りは、初代杜氏(とうじ)で現代表の祖母に当たる西平トミさんより伝わる昔ながらのやり方を継承しています。仕込みは三回に分けてゆっくりと麹(こうじ)を糖化させる三段仕込みで、じっくりと麹の旨味を引き出します。蒸留後は長期貯蔵しながら浮いてくる油脂分をその都度手で取り除き、取りすぎずに残した油脂分が熟成すると、豊かな香りとコクをもたらします。どっしりとした飲み応えは、丹念な手仕事のたまものです。

■株式会社西平本家

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西平本家は、大正14(1925)年に喜界島で泡盛の酒造場として創業されました。昭和2(1927)年に奄美大島・名瀬の現在地へ移転し、以来同じ場所で焼酎造りを続けています。蒸留には蔵独自の「可変式三方弁蒸留器」を使い、異なる風味の原酒をミックスし味に奥行きをもたらしています。蔵の近くで育った写真家・作家の島尾伸三(しまお・しんぞう)氏の小説「ケンムンの島」には、蔵がモデルとおぼしき「ニシピーラ酒造」が登場します。「ニシピーラ酒造のセヘ(焼酎)は世界一の蒸留酒」だと誇らしげに描かれていて、この蔵が地元で愛されて来た様子が伝わってきます。蔵近くの鹿児島県立奄美図書館には島尾伸三氏の父で作家の島尾敏雄(しまお・としお)氏の記念室が設けられており、「ケンムンの島」など島尾家の関連作品を閲覧することができます。

■株式会社奄美大島開運酒造

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奄美大島南部の宇検村・湯湾(ゆわん)の穏やかな焼内(やけうち)湾の入り江を臨む、奄美大島開運酒造の蔵。創業は昭和29(1954)年。仕込み水と割り水には、奄美の島建て伝説が残る霊峰・湯湾岳から引いた天然水を使用しています。ブルーのボトルが見た目にも爽やかな代表銘柄「れんと」は、音楽用語で「ゆっくりと」という意味。貯蔵後の原酒を割り水しクラシック音楽を聴かせる音響熟成を行い、瓶詰めしています。音響熟成によりアルコールと水の分子がよく混じり合い、口当たりが良くなるそうです。蔵では随時見学を受け付けており、音響熟成中のタンクなどを見学することができます。また、黒麹(こうじ)仕込みの「うかれけんむん」は奄美大島内だけの限定販売。ぜひ島で味わってみてください。

■株式会社天海の蔵

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奄美大島の南部・瀬戸内(せとうち)町の、波穏やかな大島海峡を臨む天海の蔵。創業は昭和25(1950)年。沖縄より喜界島へ渡り、後に名瀬で泡盛の酒造場を開いた西平家より分家し、旧瀬戸内村の現在地に量り売りの泡盛酒造場として蔵を開きました。戦後の法改正に伴い黒糖焼酎「瀬戸の灘(なだ)」を造るようになり、地の酒として長年瀬戸内の人々に愛飲されてきました。平成16(2004)年より社名を「天海の蔵」に変更し、樽(たる)貯蔵の「天海」を代表銘柄としています。蔵の中は蒸留器などの配管が入り組み、迷宮のよう。昭和50年代の蒸留器やホーロータンクなど、年代物の機器が残されています。蔵の前から海へと伸びるスロープは太平洋戦争中に旧日本海軍航空隊が整備したもので、付近の海岸から特攻機が20回以上出撃したそうです。古仁屋(こにや)の瀬戸内町立図書館・郷土館では蔵が創業された頃の時代背景について分かりやすく展示されています。

いかがでしたか?次回は、「奄美黒糖焼酎蔵元紹介3」として喜界島(きかいじま)と徳之島(とくのしま)の黒糖焼酎蔵をご紹介します。

(文・写真/くっかる)

(「奄美黒糖焼酎蔵元紹介3 喜界島・徳之島」へ続く)

     

離島経済新聞 目次

【奄美黒糖焼酎 島酒Week2014 特別企画】

2014年7月18日〜31日に銀座・有楽町界隈の飲食店で奄美黒糖焼酎のPRキャンペーン「奄美黒糖焼酎 島酒Week」の開催を記念し、奄美大島在住歴7年のくっかるが、群島の酒蔵めぐりで培った奄美黒糖焼酎の魅力をご紹介します。

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