つくろう、島の未来

2025年10月14日 火曜日

つくろう、島の未来

ritokei.comでは、全国の島々の広報誌やローカル誌に掲載された、地域の暮らしや文化が伝わる記事を紹介します。佐賀県では2022年から2024年にかけて、2人の地域おこし協力隊が玄界灘の7つの島を訪れ、島民から聞き取った島の文化や歴史などを記憶や記録として残し、次世代へ受け継ぐプロジェクトを実施。その成果として生まれた書籍『七つの島の聞き書きアルバム』。元・協力隊員の長谷川晶規さんが厳選した聞き書き話をお届けします。

第2回は、かつて捕鯨で栄えた小川島です。


島の高台に今も玄海灘をみおろしているのは、かつて海から浮かぶ鯨を探すために重要な役割をになっていた鯨見張小屋。島の数箇所で同様な見張り小屋があったが、その当時のまま残っている珍しい小屋。双眼鏡など高価なものはなく、窓の板を少しだけ開けて、視野を狭めて海を覗いて、鯨をさがしていたのだ。

水平線が広がる玄界灘

昭和30年代前半まで小川島では捕鯨の島として栄え、その後はイワシ巾着網で繁忙を極め、小さな島に九州各地から出稼ぎにやってくる人たちで島が人で溢れ、「島の東京」と呼ばれる時代もあったとか。

「まだこまかとき、鯨があがったと聞いたら、港に走っていって鯨を見にいったもんよ。油と血の匂いが独特で。捌いて売れない部分をもらったりして、まだ温かいんよ、ほんのりと。海はどんどんピンクから赤になって、徐々にまた薄くなって、いつもの海に戻る。」

鯨の解体作業の様子を今に伝える絵画

「イワシが獲れて獲れて、学校から帰って来ると、干してあるイワシだらけで、港がギラギラ光ってた。イワシの銀世界って、よおゆうたもんよ。遊びに行こうもんなら、手伝えって言われてね。こそこそ、干したイワシをつまみ食いして、おやつにして。なんぼ食べても減らんの。」

田嶋神社。かつて、この神社の前の広場で解体作業が行われた。


元・協力隊員の2人の振り返りは「佐賀県地域づくり公式サイトさがじかん」で読むことができます。


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