2018年、ユネスコの世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録された黒島(くろしま|長崎県佐世保市)。島のシンボル「黒島天主堂」だけではない、じんわり温かな魅力があふれています。
させぼ黒島便りでは、黒島に暮らす3人が“島の住民だからこそ知っている島の魅力”を、様々な角度からご紹介。第1回目は島に嫁ぎ、島のカフェで島の魅力を伝える山内由紀さんが、「水」の魅力について前後編でお届します。
写真・文 山内由紀
相浦港から黒島へ向かうフェリーから見る島影
させぼ黒島は「水の島」
こんにちは、山内由紀です。
今回は知られざる黒島の魅力である「水」について紹介します。
島の密集度が日本一といわれる「九十九島(くじゅうくしま)」のひとつである黒島は、佐世保市の相浦港から船で50分。周囲12キロの小さな島に約400名が暮らしています。
1902年に完成した黒島天主堂
この島のシンボルは、なんと言っても国の重要文化財に指定されている「黒島天主堂」。黒島天主堂を含む黒島の集落は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されたことでご存知の方も多いと思います。
そんな黒島は、島民のおよそ8割がカトリック信者ですが、島内には神社とお寺もあり、仏教とカトリック教が共存。人口の半数以上を占めるおじいちゃんおばあちゃんたちは明るくてとっても元気です。
マルマン神父のお墓と、興禅寺。カトリック教と仏教が共存しています
江戸時代後期、平戸藩が黒島への入植を認めた時代に、住み着いた人たちのほとんどが潜伏キリシタンでした。食料や住む土地を求め、あちこちから黒島へ渡って来たのです。
彼らが黒島を選んだ理由には「水」の存在がありました。
潜伏キリシタンらは夜こっそりと船を使って島に上陸し、土地を耕し作物をつくり、小屋を建て、防風林を植え、黒島の生活を定着させていきます。黒島にはいくつもの小さな沢があり、川や谷から自然の湧水が出ているため、生活用水には困らなかったのでしょう。
島にはいくつもの小さな沢があり湧水が流れています
彼らが移り住む以前から、黒島には西氏という一族が住んでいました。一族は、神社とお寺がある本村(ほんむら)という地区に集落を築いた仏教徒ですが、平戸が見える本村を選んだ理由も、湧水が豊富だったからでした。
現在、本村地区と漁港周辺施設では、簡易水道施設で水道を使っていますが、島民のほとんどは今も井戸や貯水タンクに溜まった沢の水を生活用水として利用しています。
では、なぜ黒島は水が豊富なのでしょう?その理由を探ってみました。
豊富な水と地層の関係
黒島の地面を掘ると御影石(みかげいし)が出てきます。御影石は昔から黒島の特産品で石材業が盛んでした。この御影石は墓石などに使われるほか、黒島天主堂の入り口階段や柱の土台としても使われています。長崎港の間知石(けんちいし)や、長崎諏訪神社の階段や鳥居、また平戸亀岡神社の敷石にも黒島の御影石が使われているそうです。
黒島天主堂の階段も黒島の御影石でできています
御影石とは、いわゆる閃緑岩(せんりょくがん)や花崗岩(かこうがん)のことで、地中深くのマグマがゆっくりと固まってできた石のこと。ち密ですが隙間が多いので浸透性が高く保水力にたけているのが特徴で、水分やガスなどを保持するのに適した性質を持っています。
地表に出た御影石の表面は、まるで玉ねぎの皮がむけるようにパラパラと剥がれ落ちます。落ちて粉々になった石はやがて赤土になります。御影石の中の鉄分が酸化して赤くなるそうです。
ちなみに、黒島の赤土で育ったジャガイモやサツマイモ、玉ねぎはとても美味しいと有名。栄養があり甘いのが自慢です。
黒島の畑は御影石の鉄分が酸化してできた赤土
かつて黒島天主堂建設の際、この赤土でレンガを焼いたことがありました。ですが赤土には鉄分や塩分が含まれていたことと、焼く窯の温度も低かったことが原因で、完成度の低いレンガになってしまったといいます。
今でも、黒島天主堂正面側を見ると一部に黒っぽくみえるレンガがありますが、それがこの時のレンガだそうです。
黒島天主堂には40万個のレンガが使われています
御影石の下には深月層という固い砂岩質でできた地層があり、水を通しにくい粘土層のような性質を持っています。この地層の組み合わせこそが、黒島が水が豊富である秘密。島に降り注ぐ雨がたっぷり保水されるのです。
(記事後編に続く)
プロフィール/山内由紀
長崎出身。結婚後、大阪での生活から主人の実家がある黒島に移住。現在は「Cafe海咲」の店長。黒島のカトリックと仏教の交わる深い歴史に惹かれ、研究の日々。手描きの地図「くろしまっぷ」を製作。年に数回の「海咲通信」発行や、facebook、Twitterなどで黒島やCafe海咲の情報発信中。