つくろう、島の未来

2024年04月25日 木曜日

つくろう、島の未来

漁師になりたい!といったところで、就漁の方法もさまざま。

そこで今回は、伊豆諸島の新島(にいじま|東京都)と八丈島(はちじょうじま|東京都)から、まったく異なる形で就漁した二人の漁師さんにお話を伺います。新島からは、建築業界から一転、就漁フェアで今の親方と出会い、乗り子として3年目となる熊谷雄輔さん。八丈島からは、漁師の家族親戚に囲まれて育ち、高校卒業と同時に就漁したベテラン漁師の広江篤夫さん。

同じ漁師でも、なり方も世代も異なるお二人。しかし、「漁師としての成長に必要なものはコミュニケーション」「楽しみはやっぱりお酒」と共通する部分も。同じ伊豆諸島でも、島によって異なる食文化にも注目です。

人物紹介

漁師・広江篤夫さん
生まれも育ちも八丈島、18歳で就漁、51歳の現在まで漁師一本。漁では金目鯛やカツオ、メダイを獲る。釣り客を乗せて遊漁船を出すことも。好きなものは海、趣味は泳ぐこと。釣りが好きな子(漁師希望者)募集中。

漁師・熊谷雄輔さん
埼玉出身、新島で漁師生活3年目。漁業新規就業者フェアで親方である大沼三郎さんと意気投合したことで漁師に。赤イカやクロムツ、金目鯛を獲る。風が強くて出漁できない時期は前職の経験を活かして建築現場で活躍。


ライター・ネルソン水嶋
合同会社オトナキ代表。ライターと外国人支援事業の二足のわらじ。鹿児島県・沖永良部島在住。祖母と二人暮らし、帰宅が深夜になると40歳手前なのに叱られる。
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離島経済新聞社 石原みどり
『ritokei』編集・記事執筆。離島の酒とおいしいもの巡りがライフワーク。著書に奄美群島の黒糖焼酎の本『あまみの甘み 奄美の香り』(共著・鯨本あつこ、西日本出版社)。

【前編】伊豆諸島の島寿司も島でいろいろ

広江さんは、普段どんな風に島の魚を召し上がっているんですか?伊豆諸島といえば金目鯛が有名ですが。

目鯛を食べるかな、金目鯛は出荷しちゃうから。有名な食べ方は島寿司だよね。昔からあるし、新島にもあるんじゃないかな。

島寿司は保存できるよう醤油に漬けたネタを扱う。八丈島「梁山泊」で撮影。

島寿司って初めて聞いたんですが、形は寿司ですか?

そうそう。昔はほら、冷蔵庫がないから(保存できるよう醤油に漬けた)。練りからしを混ぜまぜして食べてたな。

伊豆諸島ではわさびの栽培は難しくて、代わりに辛子を使う文化があるんですよ。新島だと、ネタの上にちょんと乗ってますよね。

そうですね、八丈島だと乗ってないんですか?

うん、ふつうの寿司と同じで間に挟んじゃう。

新島の島寿司は、ネタの上に辛子が乗っている。新島「肴なぎさ」で撮影。

伊豆諸島の居酒屋に行けば島寿司が出てきて、炙ったくさやをかじりながら東京島酒を呑むのが定番ですよね。

あとは基本、刺し身だな。醤油に唐辛子を付けて。

唐辛子ですか?

箸で潰して醤油に混ぜて、刺し身に付けて食べる。辛すぎてやばくなるときもあるけど、それもおもしろいね。唐辛子をジップロックに入れて冷凍してある家もあるよ。あとは明日葉、苦くて好き嫌いが別れるね。

明日葉は香りが強いハーブみたいな葉もの野菜なんですけど、火山が噴火したあとに生えるんですよ。

へぇーーー。

養分を取るから畑の野菜ができなくなるらしいよ。漁業の話じゃないな(笑)

漁業のこともぜひ教えてください(笑)

八丈島の大里地区にある玉石垣、流刑にあった人々が積み上げたものとされる。

深海から釣り上げるダイナミックさに魅了され

熊谷さんはどうして漁師になろうと思ったんですか?

僕は海なし県の埼玉出身で、釣りもやったことがなかったんです。建築の仕事で職人として働いていたんですけど、30歳になる前に「別のことに挑戦したい」と思い、漁業新規就業者フェアに参加。そこで今の親方の大沼さんと出会い、就職しました。

漁師のどんなところに魅力を感じたんですか?

新島で体験漁をしたときに、海の上で仕事することが新鮮すぎて。そのときは金目鯛漁だったんですけど、300~500メートルの深海から狙うんですね。東京タワーやスカイツリーくらいの高さで、そんな離れたところから釣ることがすごいなと。

スカイツリーの展望台から地面にいるなにかを狙うってことですもんね。

親方の大沼さんと後輩と、漁をする熊谷さん。

フェアに行く前に、いろんな仕事の選択肢があるじゃないですか。体験漁の前や、親方に会う前に、漁師に惹かれるきっかけはあったんですか?

今はスマホでなんでも調べられるじゃないですか。将来について悩んでいた頃にたまたま検索している中でタイミングよくヒットしたんだと思います。やったことがないことに挑戦したかったし、釣れるか釣れないか白黒ハッキリしていて良いなと。

漁師という仕事は昔からあるけど、出会い方はとても今っぽいですね。

熊谷さんがふだん乗る漁船、「大三丸」。

広江さんは18歳から漁師をされているとのことですが、漁が身近な環境で育ったんでしょうか。

そうだね。親戚一同が漁師で、毎日海で遊んでたようなもんだから。高校を卒業したら親父の跡を継ぐ、うちの場合は弟も同じだった。ただ、同級生も途中で辞めたり、親の跡を継がなかったり、悲しいよね。だから今は、若手を育てる側に回って頑張っていきたいと思ってますよ。

先輩方からはどんなことを教わったんですか?

風や海の状況、変化のひとつひとつ、月まわりのこととか、いろんなこと。今も昔も自然は変わらないから。勘を活かしていかに釣るかだね。熊谷さん、そうだよね?

すごい勉強になります(笑)

はは(笑)

広江さんがふだん乗る漁船、「松丸」。

>> 島々会議010「魚食を支える島の仕事人」10組目(新島・八丈島)若手の成長はコミュニケーションが肝心【後編】に続く


この企画は次世代へ海を引き継ぐために、海を介して人と人とがつながる“日本財団「海と日本プロジェクト」”の一環です。

日本財団「海と日本プロジェクト」

さまざまなかたちで日本人の暮らしを支え、時に心の安らぎやワクワク、ひらめきを与えてくれる海。そんな海で進行している環境の悪化などの現状を、子どもたちをはじめ全国の人が「自分ごと」としてとらえ、海を未来へ引き継ぐアクションの輪を広げていくため、オールジャパンで推進するプロジェクトです。

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