日本の島々は、知る人ぞ知るお魚天国。島々会議003では、漁業・水産業などに従事する「魚食を支える島の仕事人」にお話を伺います。3組目の参加者は八丈島(はちじょうじま|東京都)、海士町(あまちょう|島根県)、屋久島(やくしま|鹿児島県)の皆さんです。
島々会議003|3組目プロフィール
八丈島/長田隆弘(おさだ・たかひろ)
八丈島出身。北海道で11年間水産増養殖に携わり、帰島。両親の始めたくさや屋を継ぐ。八丈島の伝統文化であるくさやを次の世代に託すため、小学生から大学院生を対象にくさや文化を継承する授業・研究を行っている。
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海士町(中ノ島)/雪野瞭治(ゆきの・りょうじ)
電気通信大学工学博士課程卒業。工学博士(Doctor of Philosophy)。高専で障がい者の暮らしをサポートする福祉工学を学び、大学で半導体技術を応用した医療診断技術の研究を行う。戦略デザインコンサルティング会社で社会のあるべき姿を実現する事業の創出・共創に携わる。
2020年11月、妻と娘と共に東京より海士町へ移住、2021年1月から海士町複業協同組合職員1号としてマルチワーカーとなる。これまでに培ってきた技術と科学の視点を活かし、地域づくりを実践中。
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屋久島/中島 遼(なかしま・はるか)
北海道出身。東京のIT系企業での勤務を経て、2016年に屋久島へ移住。春牧(はるまき)集落で、漁師をしている義父が漁具倉庫として使っていた建物を改装しながら、夫の友野(ともや)さんとともに1日1組限定の「漁師の暮らし体験宿ふくの木」を営む。
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Q1.携わっているお仕事の内容を教えてください。
くさやの製造・販売をする傍ら、東京都立八丈高等学校で郷土について学ぶ特別カリキュラム「八丈学」の運営委員として活動。 家政科の生徒たちと島の食材を生かしたレシピ開発を行う『手ぶらでごはんプロジェクト』にも携わっています。
海士町複業協同組合から島内の複数事業者へ派遣されるマルチワーカーとして、さまざまな仕事に従事しています(※)。2021年1月から3月までは漁師として定置網漁業に、5月からは魚のCAS冷凍などの加工販売業と、地域づくりや人材育成事業を行う2社に従事し、2足のわらじで働いています。勤務日程は職種によって異なりますが、定時があり、給与は組合から月給で支払われ、健康保険や厚生年金の加入も保障されています。
※国内初の事例でもある海士町複業協同組合のマルチワークの仕組みについて、リトケイで取材した記事が掲載されています。
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2019年から義父の漁具倉庫の改修を始め、2020年から「漁師の暮らし体験宿ふくの木」として営業を始めました。遊漁船で海に出て地魚を捕ったり、魚をさばいて食べるなど、漁師の暮らし体験メニューにも力を入れています。2020年に屋久島ブルーツーリズム推進協議会「うお泊やくしま」を立ち上げ、島の仲間と共に、漁業を活かした地域づくりにも取り組んでいます。
Q2.日本人の食卓に並ぶ魚食を支えるお仕事をされているひとりとして、ご自身のお仕事で感じる「やりがい」「楽しさ」「面白さ」を教えてください。
漁の現場を知ってから、店頭に並ぶ魚を見ても背景が浮かぶようになり、魚をよりおいしく味わえるようになりました。また、採れた魚やイカを自分自身で購入して島外の家族や後輩らにも送ったりすることもあるのですが、大切なものを大切に扱い、大切な人に届けている実感があります。「おいしかったよ」と言ってもらえると、生産者としての幸福を感じますね。
観光客を受け入れながら、お客さまと島の漁師さんとのつなぎ役として、島の漁業や環境のことをお伝えする仕事に、やりがいを感じています。屋久島は、山と海のつながりを体感的に感じることができる場所。島で過ごし、感じたことや学びを、お客様自身がそれぞれの地域に持ち帰って活かしていただけたらうれしいです。
くさやは伊豆諸島の伝統的な食文化。八丈島では明治初期に新島から伝わり、150年の歴史があり、その一端を担っていることに誇りを感じます。
Q3.日々のお仕事のなかで、特に好きな仕事や作業があれば教えてください。
義父は魚を捕り、夫は魚のさばき方を教え、私はウェブサイトやSNSでの情報発信や問い合わせ対応と、家族で適材適所の役割分担ができています。島内の漁業、飲食、宿泊などの事業者が連携して取り組んでいる「うお泊やくしま」の活動では、運営責任者として全体の進行管理や事務作業などを担当しています。島の遊漁船や飲食店、私たちの宿でできる体験を詰め込んだショートムービー『君の魚をたべたい』を公開した際は、地元の方からも「見たよ!」とたくさんの反響があり、うれしかったです。
製造の傍ら、日々のブログ更新を続けているのですが、そのきっかけをつくってくれたのは、奄美大島でソフトウェア開発やECサイト「やっちゃば」を運営する前田守さん(※)でした。同店で果物を購入したのを機にネット上で交流するようになり「長田さんの日記、いい感じなのでできるだけ続けてください」と奨められてから、21年間途切れることなくブログを更新しています。
※前田守さんの活動をリトケイで取材した記事が掲載されています。
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予測を立てること。漁師さんたちと海を見ながらその日の漁を予測するのはおもしろいですね。彼らが何気なくしているように見える判断には、気温、水温、潮の流れ、月齢などの、言語化されていない知恵が反映されているんです。外国漁船の動きなども魚に影響を与えており、島が海を通じて世界とつながっていることを感じました。
また、数字を見ながら予測を立てて戦略を練るのも好きな仕事です。5月から勤務している加工会社では、色々なことが重なり従来の約3〜4倍の売上が実現してみんなで喜びました。結果が数字に表れると非常にうれしく、くせになる楽しさです。
Q4.日々のお仕事のなかで、特に大変な仕事や苦手な作業があれば教えてください。
季節の鮮魚を加工するため、たとえギックリ腰になってでも魚の時期に合わせて製造しないといけません。くさやづくりの作業は時間との格闘で、深夜1時、おにぎり片手に作業を開始。6時に漁港で魚を仕入れ、製造がひと段落するのは午後2時を回るくらいになります。昼食の後に夕方まで作業して、夕食を挟んでまた仕事に戻り、3時間ほどしか寝られない日も。自分の都合は二の次で、くさやづくりの都合に合わせて動く、くさや中心の生活です。
漁船に乗っていた時期は、水揚げしたイカを大きさ別に100〜200箱詰めては積んでいく箱詰め作業が本当に大変でした。意味の無い動きをしているとしっかり指摘されるし、淡々とした作業に見えて、実は体も頭も使うシステマチックな作業でした。
現在は加工会社で自社のECサイトを運営していますが、何百枚も延々と商品写真を正方形に切り抜いてサイトに反映するという作業があります。淡々とした作業はあまり得意ではなく……。必要なことと分かってはいるのですが……。
漁師の暮らし体験は自然相手なので、予定通りにいかないことも多いです。遊漁船を出すことができない日は、代わりに陸釣りをしていただいたり、魚をさばく体験で楽しんでいただけるよう工夫していますが、思うようにならない大自然の力を感じられることも魅力と捉えてもらえると良いなと思っています。
Q5.ご自身が暮らしている島で生きる日々のなかで、特に「いいなあ」と感じる瞬間を教えてください。
早朝、水平線に昇る朝日を迎える時間は、地球の回転を実感し宇宙のことわりの美しさを感じられる瞬間です。このような体験は、都会で暮らしているときには得られませんでした。また、1人の親として、地域の人が子どもに温く接してくれる環境で子育てができることは、都会から島に移り住んで得られた一番の価値だと実感しています。
二足の草鞋と言いますが、島の人は、個性やスキルを活かして何足もの草鞋を履き、さまざまなことで活躍している方が多くいらっしゃいます。かくいう私も、島に来てから宿を始めたり、経験を活かしてライターとして島の情報を発信したり、カフェのホームページ作成を頼まれるようになりました。屋久島に移住して6年になりますが、退屈することがありません!
くさやの製造販売の傍ら、小中学生の見学や職場体験、高校での郷土学習のプロジェクトなどで地域の子どもたちに関わり、小さい頃から見知っている子どもたちの成長を身近に感じられることが喜びです。大人になって、いつか島に戻ってきてくれるかなと、楽しみにしています。
Q6.20年後の未来を展望するとき、ご自身の仕事あるいは島にとって必要だと感じている事柄があれば教えてください。
1人でできることは限られますが、仲間を増やすことで可能性が広がります。「うお泊やくしま」は、私たちと近い考えを持った仲間を増やしたいと思い、始めました。はじめはPRや誘客など島の外に向けた取り組みが中心でしたが、新型コロナウイルスの影響もあり、地元のことに気持ちが向かっています。子どもたちに、島への関心と誇りを持ってもらえるようなことを考えたいです。
インフラが整備され、昔に比べて暮らしは楽になりましたが、若い人や移住者にとっては今あるものが当たり前で、過去の経緯を知らなかったり、ありがたみが薄れてきていてるのではないかと感じます。
例えば神湊(かみなと)漁港は、たくさんの発破を使用して広げた港です。台風時も安全に漁船を係留しておけるようになり心配は減りましたが、フクトコブシの産卵場をはじめ、かつてそこにあった禁漁区は消滅してしまいました。
過去に学び、同じようなことを繰り返さないためにも、さまざまな方面の地元の識者と子どもたちが交流する機会が必要だと感じます。私が関わっている八丈高校の「八丈学」でも、そうした活動に取り組んでいます。
若い世代にもっとUターンしてほしいものの、夢を持ちたい年代の若者にとって魅力的に映る仕事が島内に少ないことが課題だと考えます。若者世代の定住を促す上でも、島の未来をつくるような仕事が必要なので、マルチワーカーとして島の一次産業の現場を知り、これまで培ってきた科学技術やコンサルの視点を取り入れながら、島に新しい仕事をつくっていきたいです。
Q7.島が大好きなリトケイ読者の方へのメッセージをお願いします。
日本の人口の約0.5パーセントは島に暮らしているといいますが、島に暮らす僕たちはもっと堂々と、島の暮らしを守ることを世に訴えてもよいのではないでしょうか。政策も地域を全国一律に扱うようなものが主だけれど、島々にあるような独自の生活文化を尊重する価値観を皆が共有すれば、世界はもっと居心地のいい場所になると思っています。
>>長田商店 http://kusayaya.com/
海士町には海があり山もあり、町もコンパクトで、さまざまな研究や実証のフィールドとして最適な地域です。よりよい島の未来を実現するべく、共感してくださるパートナー企業や団体と、共同研究や新規事業の創出を目指します。そのために、島の有志で課題の抽出や将来ビジョンを発信していきます。お問い合わせやご相談をお待ちしています!
>>株式会社ふるさと海士 https://www.shimakazelife.com/