つくろう、島の未来

2024年12月18日 水曜日

つくろう、島の未来

1549年にフランシスコ・ザビエルが日本でのキリスト教布教を始めて469年となる今年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録された。世界遺産登録を契機に、長崎県の地元自治体と観光団体が島々に点在する構成資産を巡るツアーを企画。潜伏キリシタンの足跡を訪ね、島々を巡った1泊2日の旅をリトケイ編集部の石原みどりが振り返る。
(レポート記事3はこちら)

写真・文 石原みどり

小値賀カトリック教会への入り口を示す十字架(五島列島・小値賀島)

夕日に輝く大海原を駆け、小値賀島へ

上五島に点在する教会群を車窓から眺めつつ、中通島(なかどおりじま)北端の津和崎港に到着した。ここからは小型船の海上タクシーをチャーターし、小値賀島(おぢかじま)に渡る。

上五島から小値賀島へ渡る一般的なルートは、青方港からの「フェリー太古」(所要時間約50分)か、有川港からの高速船「ありかわ2号」(所要時間約35分)だが、今回のツアーのようにまとまった人数で移動する場合は、海上タクシーの利用が効率的だ。上五島の教会群を巡礼しながら島を北上し、小値賀島へ渡ることができる。

津和崎港から小値賀島の小値賀港までは、船速24ノット(時速約45キロメートル)の小型船で約30分の航海。激しく波しぶきを上げながら、夕日に輝く海原を駆ける爽快感を味わった。

津和崎港から小値賀港へ。夕陽に輝く海上を、激しい波しぶきを上げながら進む

小値賀島に到着し、向かうは、巡礼マップにも名前しか記載されていない地元信者の祈りの場。ガイドの入口さんが「どうしても寄ってほしい」と、たっての希望で旅程に組み込んだ場所だという。

小値賀島の「家み堂」で出会った祈りの原点

訪れた「小値賀カトリック教会」は、禁教が解かれてカトリック教会堂が建立されるまでの期間、仮の教会として住宅などを使った「家御堂(いえみどう)」の面影を残す教会だった。

家御堂は、潜伏をやめたキリシタンたちが信者の家などを集会や聖書の勉強、祈りの場としたもので、教会堂の建設が始まる以前の素朴な信仰の形態だ。

広々とした庭に面し、ソテツの木が植えられた家屋は、教会であることを示す看板がなければ、外観からそれとは気づきにくい。かつては五島列島の各地に、このような教会があったという。

素朴な祈りの面影を残す「小値賀教会」

信者の一人である土川幸子さんが、やわらかな笑顔で私たちを迎え入れてくれた。長野県の修道院から小値賀島に渡ってきたという土川さんは、2〜3カ月の手伝いのつもりで来島したが「あまりにも良いところで気に入ってしまい、島に暮らしてもう44年になります」と語る。

畳敷きの部屋に祭壇が設えられた礼拝室で、土川さんの話に耳を傾けた。

小値賀島には、もともと教会がなかった。島の約2キロメートル東に位置する野崎島(のざきじま)に暮らしていた人々がこの地に教会を開き、野崎島から移り住んだ人々の子孫たちが教会を守り伝えてきたという。

小値賀協会は1960年に野崎島の野首(のくび)教会の巡回教会として始まったが、日本が高度成長期に入り、野崎島では働き口を求めて人口が流出。過疎化が進み、遂に野崎島からの集団離島が決定された。野崎島に2つあった教会も閉鎖され、舟森(ふなもり)集落にあった司祭館が小値賀島へ移築され、現在の小値賀教会となった。

祭壇に飾られた聖母子像は野崎島の舟森教会から、フランシスコ・ザビエルの像は野首教会から、それぞれ持ち出されたものだと、土川さんが教えてくれた。

家屋の中に設えられた祭壇の前で話す土川幸子さん

生活のために島を離れざるを得なかった野崎島の2集落から持ち出された信仰のシンボルは、小値賀島でひとつになり、再出発した信者たちの心の拠り所となった。小値賀教会には一時100人もの信徒がいたことを示す名簿が残されているそうだ。

「ここはお祈りの原点を感じられる場所。皆さんにも見ていただきたかったのです」と、入口さんが言う。

小さな集会場のような礼拝室にいると、人々が膝を突き合わせて集う姿や、日々の作業の合間にふらりと訪れた島人がお祈りする姿が思い浮かぶ。島の暮らしの中に息づく「祈り」の姿を感じることができた。

キリシタンたちが暮らし、誰もいなくなった野崎島へ

小値賀島で一晩を過ごし、翌朝の町営定期船「はまゆう」(小値賀島〜六島・野崎島 1日2便)で、小値賀島の東に位置する野崎島に向かった。小値賀から野崎島へは、六島(むしま)を経由し約30分の航海となる。

左:町営定期船「はまゆう」の発着場/右:朝日に光る波しぶきの向こうに島々を望む

「野崎島の集落跡」は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つで、外海から移住した潜伏キリシタンが、どのような場所を移住先として選び信仰の共同体を維持したのかを示す一例として位置付けられている。

旅の1日目は、外海から島づたいに移住した潜伏キリシタンの行程を辿りながら移動した。2日目の今日は、五島列島の小値賀島から野崎島へと、時を遡るように海を越える。朝日に光る波しぶきの向こうに、五島列島が見渡せた。

野崎島の旧野首教会(写真中央)を海上から望む

船は野崎島の北に位置する六島に立ち寄った後、野崎島の東側へ回り込む。赤い岩肌がむき出しになった島の東岸を過ぎ、しばらくすると、高台にポツリと佇む赤い教会堂が目に入った。

「旧野首教会」だ。

誰もいなくなった野崎島で、今も決然と島を守り続ける孤独な灯台のような佇まいに、心がざわつくのを覚えた。早く、近くに行ってみたい。

教会堂が見えなくなって間も無く、船は速度を緩め、野崎港に到着した。
(レポート記事5に続く)


  • 古民家ステイ(小値賀島内6カ所)
    小値賀島には武家屋敷や港を望む漁師町の家など、島の歴史を刻む古民家をリノベーションした6つの宿泊施設があり、一棟貸切で滞在できる。詳しくは、おぢかアイランドツーリズムへ。おぢかアイランドツーリズム(http://ojikajima.jp/kominka)

【関連サイト】
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

     

離島経済新聞 目次

【祝・世界遺産登録】潜伏キリシタンの足跡を訪ねて。長崎の島を巡る旅レポ

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録を契機に、長崎県の地元自治体と観光団体が島々に点在する構成資産を巡るツアーを企画した。潜伏キリシタンの足跡を訪ね、島々を巡った1泊2日の旅をリトケイ編集部の石原みどりが振り返る。

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