つくろう、島の未来

2020年09月29日 火曜日

ある日、「おばあちゃんの暮らす島に行きたい」と訴え、宮古島(みやこじま|沖縄県)の高校に留学した東京育ちの次女とのやりとりを綴るミャークピトゥ(宮古人)ライター・宮国優子さんのコラム。第2回は、道具にまつわる島の諺(ことわざ)から島の価値観を紐解きます。記事前編です。
第1回『ウィビア ウッンカイドゥ ブリイ(指は内側に折れる)の巻』はこちらから)

ドゥー ア ツコウドゥ パダの巻

今回も宮古島のことわざから始めます。現代だと、人間とモノを一緒にするとはいかがなものか、というお叱りを受けそうですが、昔から道具も人間も同じように島にとっては「大切な資源」だったのです。

ドゥー ア ツコウドゥ パダ(道具は使うほどよい)。

この道具というのは、主に金物、鉄製品を指してのこと。いわゆる、鋤(くわ)や鍬(すき)などの農機具や銛(もり)や鎗(やり)などの漁具も含みます。

鉄の道具は使えば使うほど良くなるものの、使わなければサビついて、あとは役に立たないものになってしまう、という意味が込められています。

「パダ」は、ほどよい、おだやか、無事、無難、温和、素直、安らか、などの意味で用いられ、「物事が望ましいような適当さ」があることを表します。非常に緩やかな雰囲気でもあります。

島ではこのような考えを、人間にもあてはめて表現します。 「ヤラビ ア ツコーウ ドゥ パダ(子どもは使えばよくなる)」。 宮古の親は、普段からその子の発達段階に見合った仕事を言い付け、それを果たすようにしつけようとします。

「道具が手入れをされ、よく使えるようになること」は、子どもでも一緒。島の教育とは、幼児以外は自立を促す方向に舵を切っているように思います。

鉄の道具といっても、フフガニ(黒金)オオガニ(青金)クガニ(貴金)ナンザ(銀)と呼び方もさまざま。道具も使用法や用途など千差万別ですが、まるで子どもにいろんな個性があると考えていたのでしょう。

また、島では農業や漁業が一般的だったせいか、仕事は定年で引退するというより、老化の過程で現役でできることが徐々に少なくなる感じです。「仕事は一生もの」という意識が島の人にはあるのだと思います。

そのため、仕事で使う道具は、人を育てることと同じで、人生における大事なパートナーでもあったのでしょう。

私たちは「島留学の孫戻し型」

さて、次女の島留学の話に移ります。留学の希望は、私から持ち出したのではなく、娘からの希望だったので、私は特に事前に情報収集も行っていませんでした。

調べてみて初めて、島留学という言葉も知りました。

大きくカテゴライズすると、留学の方法には以下の4つがあるそうです。

①里親型(島の里親のもとから通学)
②合宿型(島の寮などから通学)
③親子型(親子で島に移住して通学)
④孫もどし型(島の祖父母宅から通学)

うちの場合は、④孫もどし型(島の祖父母宅から通学)です。父が亡くなり、母一人なので次女と母(次女にとっては祖母)の二人暮らしになりました。

母は掃除魔で、私は子どもの頃から塵一つ落ちていない家に育ちました。それは、別のコラム(宮古諸島に学ぶ、島の守りかた。1919年の池間島ロックダウンを振り返る)で書きましたが、昔から感染症と戦ってきた島では、清潔さに注意を払う生活様式が根付いているのです。

残念ながら、娘は超がつくほどの「片付けられない女」。日々、私が注意しても「うるさい」と一蹴されることも多く、よくぶつかっていたので、島留学での一番の懸念点は、この生活態度の違いでした。

実際、次女は祖母と何度もぶつかり、留学前に抱いていた「おばあちゃんと一緒だから大丈夫!」という甘い期待はガラガラと音を立てて崩れていきました。将来設計や進路どころか、三代で日々をまわしていくことで精一杯という現実に……。

その点、島留学はオーダーメイドなのかもしれません。子どもの個性と留学先がフィットするまでには、互いに研鑽が必要。正直、骨が折れますが、親である私自身も学ぶことはたくさんあります。

そして、私自身が行き当たりばったりな人生なので、子どもに説教するのが苦手。せいぜい注意か小言(たまに大爆発)を言う程度でした。ですが、今や面と向かっていない分、文章や会話などで、何度も同じことを理路整然と娘に伝えることの必要性を感じています。

「島留学」に失敗も成功もない?

かつての私は、冗談で「島留学」という言葉を使っていました。なぜなら、同じ日本とはいえ留学さながらのカルチャーギャップがあるからです。単に言葉の違い、習慣の違いなど、表面的なこともありますが、一番の大きな原因はその「ものごとの背景」や「地域固有の文脈」を知らないということです。次女とその祖母との生活は、そのすれ違いが争いを生んでいるとも言えます。

対人関係でよくわからないことがあった時に、負の感情が重なると、人は不安になったり怒りを覚えることが多いと思います。娘は、14歳ということもありますが、まだまだその感情をコントロールできるという感じがせず、私は心配していました。

まったく同じ環境にいても、前提が違えば、コミュニケーションは難しいこともあるでしょう。大人だって職場や家庭のコミュニケーションに一点の曇りもなく問題を抱えていない人など、まずいないと思います。いわんや「10代の子どもたちはどうだろうか?」と次女が島留学する前は考えていました。

ですが、最近、考え方が変わってきました。逆説的でもあるし、コロナ禍の状況だからこそわかったことかもしれません。本人の言う「めんどくさいこと」から逃げ回る次女を私は電話越しに叱ってきましたが、これは実は私自身が知らなかった次女独自の「新しい柔軟性や適応力」かもしれない、と。

親である私は、彼女の生活は見えないので不安になります。ですが、信頼して放っておいた方が彼女らしい「新しい柔軟性や適応力」が育つかも、と思うようになりました。スマホの使いすぎ、生活習慣による祖母の小言から始まる口喧嘩、遅くなるときに祖母への連絡なし、塾の無断欠席、親(私)に部活動やお金の使い方など相談がない、などいろいろな細かいことで携帯越しで親子喧嘩になります。
このままだと彼女は周りの人とトラブルを起こし続けますが、それが自分に跳ね返ってくるのは時間の問題です。周りの人には申し訳ないのですが、それすらも経験のひとつとしていつか糧になるかもしれません。

私や母は、安定的かつ常識的な良い生活環境を維持しようとしますが、もしかしたらそんなものは娘には余計なお世話かもしれない。私自身が「今までの自分にはなかった常識」を学んでいるような気もします。

トラブルの解決法や背景に関しては、娘に言語化してもらわないといけないのですが、島留学をきっかけに、今までの親→子というベクトルが自然なカタチで反転したような気がします。互いに良い経験になるよう、ネット上での公開交換日記の形で記録しておこう、今現在、起こっているようなトラブルもしばらくすれば、ある一定の答えがでるのではないかと思っています。失敗も成功もなく、娘の長い前途を考えるとすべてが「得がたい経験」になるのは間違いありません。

前述したとおり、新型コロナという今までにない状況も親子ともども話し合うこともありました。中学の卒業式や高校の入学式にもいけませんでしたが、昔と違ってスマホやパソコンなどでやりとりもできることは島留学には安心材料です。

逆にこれだけ通信が担保されているのに、連絡を取らないのは「便りがないのが良い便り」だと考えられるかもしれません。互いに初めてのことで余裕がないのですから。経験はありませんが、長距離恋愛ってこんな感じなのかなとも思いました。

新型コロナに関しては2020年8月16日現在、宮古島では感染者累計が39人。

離れていても、お互いがその持ち場でできることをして、助けあうという気持ちが少しずつ育ってきたのではないかと思います。「ヤラビ ア ツウコードゥ パダ(子どもは使えばよくなる)」を基本に、最近は家事なども祖母の助けをするようになったと聞いて、うれしく思っています。(後編に続く)

離島経済新聞 目次

寄稿|宮国優子・ミャークピトゥライター

宮国優子(みやぐに・ゆうこ)
ミャークピトゥ(宮古人)ライター、プランナー。米国統治から本土復帰の前年である1971年(昭和46年)に旧平良市に生まれる。東京在住。宮古毎日新聞東京支社の記者として取材をしたり、宮古島のことを聞かれたりするうちに、島についての知識のなさに我ながら愕然。2002年に島とつながる友人たちと『読めば宮古!』(ボーダーインク刊)を出版。3人娘の次女が故郷の宮古島に島留学中。

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