つくろう、島の未来

2020年10月20日 火曜日

宮古島(みやこじま|沖縄県)出身東京在住、3人娘を子育て中で、現在次女が故郷の宮古島に島留学中の宮国優子さんによる、子どもを島留学に送り出した親としての体験記。第1回は、島の諺(ことわざ)を織り交ぜてお届けします。

ウィビア ウッンカイドゥ ブリイ(指は内側に折れる)

私が娘の島留学で感じてほしかったことのひとつは、この島の諺に集約されています。

ウィビア ウッンカイドゥ ブリイ(指は内側に折れる)。

人が結束して助け合う姿は、ちょうど指が内側に折れてできたにぎりこぶしのようなもので、力強く頼りになるものだという意味です。

この諺は、もともと親類縁者の意味で使われていました。島はみんな親類縁者のようなものなので、私は「人が」という風に訳しました。親指はリーダーシップを表していて、他の4本の指を抑えることで、内側で合わさってしっかりと固くにぎれることを意味し、また、要となる人間がいるということも表してもいます。

「宮古島の高校に行きたい」と言い出した娘

子どもたちが幼い頃、母がよく東京に来て育児を手伝ってくれました。娘たちが小学生のうちは、夏休みを宮古島でゆっくり過ごしてきたので、宮古に関する郷土史に関心をもったかなぁ、と親としてはうれしかったです。

ですが、彼女たちが10歳を超えた頃から、彼女たちを取り巻く東京の環境が私の島的な教育方針と合わないのか、ぶつかることも多くなりました。

彼女たちを取り巻く東京の環境と私の育った宮古島では大きく違うのが、人との関わり方。

娘たちは「人に深入りしない」都会のルールの中で育ってきましたが、私は、島特有の「人の近さ」「個人同士が持つ関係性や共通性の多さ」で育ったせいか、人に深入りしまくるところがあります。

娘たちに私の思う常識を話すと、彼女たちは「そんなの無理!」と騒ぎ出すのです。

わかりやすく言うと「嘘や見栄を張ってもバレるし、不都合なことを人のせいにして逃げ切れると思うな。文句を言う前に、自分で解決策を考えて行動しなさい」。

宮古島では、まるで自分に関係のない人を探すのは難しく、嫌な人だからといって排除もできないし、どんな人ともとりあえず、何とかうまくやっていく技術が必要になります。

一方、人に深入りしない都会で育ってきた娘たちは、人間関係も含め、嫌なことからは逃げるという姿勢なのに対し、私は「勇気を持って立ち向かえ」と話す、というチグハグっぷりなのです。

そして、お互いに息苦しさを感じ始め……特に、次女は中学になってから反発し、時々不登校に。

彼女が自分を変えるため、導き出した突破口は「おばあちゃんのいる宮古島の高校に行きたい」でした。

中2くらいから言い出して、話し合いを重ねながら中3の夏休みから宮古島の中学に通うことになりました。県立なので、半年前から島に住まないと高校受験がなかなか難しいという事情もありました。

実は都会とあまりかわらない宮古本島

島といっても、宮古島は「青い海、青い空、人がいない」とはちょっと違います。東京で例えると自由が丘がのっぺりと広がった形で、次の駅がないという感じ。年間の観光客も100万人を超えています。マクドナルドもドンキホーテもヴィレッジヴァンガードも大戸屋もある、娘たちが慣れ親しんだ自由が丘と何ら変わりません。

私の実家は、島の繁華街の範疇にあるので、私自身が「島のシティガール」と冗談で言っていますが、今の宮古を考えるとあながち嘘じゃないのです。宮古のまわりにある伊良部島や池間島の農村地域にいけば、本土の人が想像する島のイメージには近いかもしれませんが、人間が歩いて活動するくらいの範囲は、意外と便利なのです。

島に行くまでの娘の変化

娘が「島に行きたい」と言ったからとて、親は「はい、そうですか」というわけに……もちろんいきません。私自身、葛藤がありました。東京の方が宮古に比べて学ぶ環境もあるし、選択する自由があるのは火を見るより明らか。

加えて、なにせ14歳。70をとうに超えた母に問題ありの娘をすべて任せるのは、母には荷が重い。おばあちゃんの言うことを素直に聞くような娘なら、東京でも問題は解決しているはず。

さらに県立高校なので、行政の手続きも煩雑でした。ですが、娘は自分で役所の窓口まで行ったり、学校見学の手続き、飛行機のチケット手配も自分でアレンジメントを始めました。今までにそういうことはなかったので、段々と私もその熱意には答えたいという気持ちになりました。

しかし、悩む……。まわりに変えてもらおうという奢りのある娘

一番心配なのは彼女の変身願望でした。まわりが変われば自分も変わる、と思っているのではないか……。当たり前のことだけど、まわりを変えようとしても自分が変わらなければまた息詰まる。

島は逃げられない環境でもあり、頼んでいなくても介入されたりもします。それは「優しさ」からくるものだけど、うちの娘はその「優しさ」を理解できるほど育ってはいない気がしていました。

でも、彼女が自ら決めたこと。応援することにしました。甘えん坊でもやしっ子の娘自身は分かっていないけれど「自分で決めたことは自分で責任を取る」のは、実は相当高いハードルなのです。大人の自分ですら「できているか」と胸に手を当てることは多いからです。

「うわがどぅしっしゅう」(あんたがわかるさ)という人間関係のなかで

先に書いた島らしい「介入してくる優しさ」と裏腹に、宮古の人は「うわがどぅしっしゅう(あんたがわかるさ)」と言って距離をとることも多いです。それは突き放しでなく、尊重。行動するまで放っておきます。

『You can lead a horse to water, but you can’t make him drink(馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない)』に近いかもしれません。本人にその気がなければ、周囲の人間は何も出来ない、そんな主体的に行動することを島では求められるのです。

冒頭に書いた「ウィビア ウッンカイドゥ ブリイ」はまたその先の段階かもしれません。ですが、この「主体的に生きる」「まずは自分で何とかする」ということをしない限り、人と協力などできないのですから。

今も毎日がバトル

一緒に住んでいる頃は、今に比べて一対一で話すことが少なかったように思います。電話やメッセージなので、誤解も生じやすいけれど、まずは私たち親子が協力しないと何ひとつ前に進みません。些末な事務処理も彼女自身が理解していないと滞ることが娘にも分かってきたようです。まさに「ウィビア ウッンカイドゥ ブリイ」。

約束を守らなかった娘が少しずつ約束も守るようになってきました。さらにこれから先は、開放感に浸っている娘の暴走もあるだろうなと思います。ですが、今の所それ以外は順調に「島の息吹」を十分に感じているようです。話を聞いていると「友だちと一緒に海へ行った」とか「宮古と東京の違いはこうだね」とか話しています。

一番大きな収穫は、中学高校の先生、塾の先生という大人たち、そして友人にも恵まれたこと。その方たちがいなかったら彼女はとうに戻ってきたと思います。まさしく彼女の親指になってくれました。

「ウィビア ウッンカイドゥ ブリイ」につながる道は、一人ではたどり着けないと娘も気づき始めたかも……。私も今更ながら島の先人に娘と一緒に説教されている気分です。笑

離島経済新聞 目次

寄稿|宮国優子・ミャークピトゥライター

宮国優子(みやぐに・ゆうこ)
ミャークピトゥ(宮古人)ライター、プランナー。米国統治から本土復帰の前年である1971年(昭和46年)に旧平良市に生まれる。東京在住。宮古毎日新聞東京支社の記者として取材をしたり、宮古島のことを聞かれたりするうちに、島についての知識のなさに我ながら愕然。2002年に島とつながる友人たちと『読めば宮古!』(ボーダーインク刊)を出版。3人娘の次女が故郷の宮古島に島留学中。

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