2014年7月18日〜31日に銀座・有楽町界隈の飲食店で奄美黒糖焼酎のPRキャンペーン「奄美黒糖焼酎 島酒Week」を開催。本連載では、奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)に7年暮らすなかで奄美群島の酒蔵をめぐった「くっかる」が奄美黒糖焼酎の魅力をご紹介します。最終回の今回は、島々の暮らしを彩る祭りや行事と奄美黒糖焼酎の関わりをご紹介します。
■奄美大島・八月踊り(あまみおおしま・はちがつおどり)
奄美大島で旧暦の八月の初丙(ひのえ)・丁(ひのと)をアラセツ、その後の壬(みずのえ)・癸(みずのと)をシバサシ、甲子(きのえね)をドゥンガといい、合わせてミハチガツ(八月三節)と呼ばれます。農作物の収穫が終わり食物の豊富な時期で、夏の暑さが和らぎ月の美しく輝く季節、島の各地で豊年を祝い先祖をまつる祭が催されます。
(写真提供:中山清美)
祭は各集落で催され、集落の男女が唄を掛け合いながら輪になって踊る「八月踊り」を踊り、ごちそうを食べ、黒糖焼酎を飲み交します。八月踊りは、現在では地域により集落の公民館など決まった場所で踊るなど簡素化されていますが、かつてはマツリビ(祭りをする日)に三日三晩家々を廻りながら踊られるのが普通でした。各家々の庭で八月踊りが踊られ、迎える家ではご馳走や酒を用意し、人々にふるまいます。祭りの場に黒糖焼酎は欠かせません。
■喜界島・高祖祭(きかいじま・シバサシ/ウヤンコー)
喜界島では、秋になると先祖を祭り敬う「高祖祭」が催されます。喜界島の「高祖祭」には2種類有り、島の東部では「シバサシ」、島の西部では「ウヤンコー」と呼ばれ、時期も異なります。日程は集落により異なりますが、各集落の住民が時間を合わせて一斉に集落の墓所へ集合し、先祖のお墓に供え物をします。この際、自分の家のお墓参りだけでなく黒糖焼酎の瓶を持って次々に墓所の墓を廻り、供えてあるコップに焼酎を注いでお参りします。島東部の「シバサシ」ではお墓の前で宴会をします。この時期は島外で暮らす親戚なども多く帰省し、島中が賑わいます。
(写真提供:喜界島観光物産協会)
高祖祭から数えて三日目の日は、豊年を祝う「島遊び」の日です。各集落で「八月踊り」や相撲大会が催されます。中里集落では、集会場の広場での踊りや相撲のあと一旦お開きとなり、夕刻から再度集まり「ソーミンガブー」で盛り上がります。太鼓の音に合わせて人々が踊る中、広場に組んだやぐらや集会場の屋根の上からソーメンの包みが投げられ、参加者がソーメンを奪い合います。ソーメンは上手に踊っている人を狙って投げているのだとか。祭りの晩は、家に帰ってからもめいめい集まり飲食します。宴の場には黒糖焼酎が欠かせません。ソーメンの奪い合いは一晩中続くのがルール。台所で茹であがったソーメンを、目を離したすきに盗まれてしまうことも。この日に限っては、油断は禁物なのです。
■徳之島・闘牛大会(とくのしま・とうぎゅうたいかい)
徳之島は、奄美群島で唯一闘牛の文化が残っている島です。現在、島内各所に設けられた闘牛場では年3回の全島一大会(1月5月10月)を含む年20回ほどの闘牛大会が開催されています。かつては農作業がひと段落する節目の娯楽行事「牛なくさみ」として浜辺や河原に仮設した闘牛場で催されたといいます。
奄美群島の闘牛に関する最も古い記録としては、江戸時代に奄美大島に遠島された名越左源太(なごや・さげんた)が記した『南島雑話』(1850~1855)に「闘牛(うしとらせ)図」が記載されています。当時、薩摩藩への砂糖納税に苦しむ農民が、やっとの思いで税を納められた喜びを祝って闘牛が行われたといわれており、今でも徳之島の人々は闘牛に熱い情熱を注ぎます。島の人々にとって闘牛は身近な存在で、島の子どもたちの間では牛の世話をするのがステイタスなのだとか。闘牛試合の前、牛主は牛の角にヤスリをかけて尖るほどに研ぎ上げ、塩と黒糖焼酎を角に振り掛けて清め、勝利を祈ります。闘牛試合では、牛と勢子(セコ)、観客が一体となり闘牛場は熱気に包まれます。
■沖永良部島・墓正月(おきのえらぶじま・ジュールクニチ)
沖永良部島には、お正月が二回あります。一つは生きている人のためのお正月、もう一つは「墓正月」と呼ばれるご先祖様のためのお正月です。祖先を敬い一族のきずなを深めるための行事で、一年の無病息災を願う意味もあるといわれます。沖縄の本島北部や宮古・八重山地方にも同様の習慣があり、琉球文化の影響が強く残る沖永良部島では、瀬利覚(せりかく)や田皆(たみな)など一部の集落で行われています。八月のお盆にも同じように「墓盆」を行いますので、沖永良部島では年二回先祖の供養をしているということになります。
(写真提供:知名町役場)
旧暦1月16日の「墓正月」の日には、集落の外れにある墓地に次々と住民が訪れます。一族の墓前を掃き清め、花やお弁当、お菓子、黒糖焼酎などをお供えします。墓参りが済むと、集まった親族はお墓の前でお弁当を広げて宴会をし、先祖と一緒にお正月をお祝いします。この日に合わせて帰省する出身者も交え、黒糖焼酎を酌み交わしながら近況を語り合います。
■与論島・与論の十五夜踊(よろんじま・よろんのじゅうごやおどり)
与論島では、毎年旧暦の三月・八月・十月の十五日の豊年祭に奉納される「与論の十五夜踊」という芸能があり、国の重要無形民俗文化財に指定されています。十五夜踊りは琉球時代の城跡である与論城(グスク)にある地主(とこぬし)神社で行われ、雨乞いと島の平和を祈願して奉納されます。この日には島内外から人が集まり、神社の境内で踊りを見物する宴が催されます。
与論島には、島の繁栄を願い、客人を歓迎し、真心を献上する意味を持つ独特の焼酎の飲み方「与論献奉(よろんけんぽう)」が伝えられています。手順は、先ず杯に焼酎を満たし、親(主人)が自己紹介を兼ねた口上(こうじょう)を述べて一息に杯を飲み干します。次に、子(客)に杯を渡し、杯を受け取った子は同じようにして口上を述べて杯を飲み干し、盃にわずかに残った酒は髪の毛に撫でつけます。これは酒を髪(かみ)=神に捧げる意味があるといわれています。そのようにして、その場にいる全員に杯を回していきます。十五夜踊りの日には、まだ明るいうちから境内のあちこちで与論献奉の杯が交わされ、祭りの晩は次第に熱気を帯びていきます。
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10回にわたり奄美黒糖焼酎とそれを生み出している個性的な島々の魅力をお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。多くの方が奄美黒糖焼酎を味わい、いつの日か、奄美群島の島々を訪れて島人とともに黒糖焼酎を楽しんでいただければ幸いです。ご愛読ありがとうございました。
(文・写真/くっかる)