つくろう、島の未来

2024年11月21日 木曜日

つくろう、島の未来

5島目の「三宅島」。島の若者たちがつくった歌「離島ブルース」は、どうしようもなく私の心をとらえた。

#05 三宅島 この島を選び、この島で暮らし、この島を愛す。

イセエビも、トコブシも食い飽きた
ピィーチクパァーチク鳥も聞き飽きたぜ
噴火にも慣れた
青い海も、ピチピチの魚もうまい空気も
この島で生まれ この島で育ち
この島に戻り この島を愛す
リズムにあわせて 今夜も踊るよ
リズムにあわせて 酒をなぐるよ

島の若者たちがつくった歌、離島ブルース。
私たちはこの歌を、真夜中の三宅島(みやけじま|東京都)で聞いた。
島の若者が集まる飲み屋『リターノ』の、風が吹く庭で、
ギターとジャンベのシンプルなリズムにあわせて歌うその歌は、
どうしようもなく私の心をとらえた。

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  • 5島目。三宅島。
    滞在時間17時間という弾丸スケジュールで
    この島のことを少しは理解できるだろうか?
    そんな不安を抱きながら、島についた。

旅をともにしてきた三宅島出身の島ガール、なっちゃんの先導で
まずはなっちゃんの友達のくさや屋さんへ行ってみることにした。

溢れんばかりの笑顔で迎えてくれたのが、清漁水産の看板娘、このみちゃん。
このみってどんな字書くの?と聞くと「恋乃実です!」と。
さ、さぞかしご両親が愛しあって生まれた子なのね…と
その笑顔に納得しつつ、くさやをつくっているところへ案内してもらう。

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  • 伊豆諸島名物といえば、強烈な匂いを発する珍味、くさやである。
    こどもはおやつに、大人はアテに、くさやは毎日の生活に欠かせない。
    島の人はこの匂いを嗅ぐと、ご飯が欲しくなるというけれど、正直あまりこの匂いが得意ではない私は、できればごはんより焼酎を所望したいところ。

しかし一口にくさやといっても、伊豆諸島の島々で食べ歩いているうちに、
島によって微妙に香りや味、干し加減などが違うことに気がついた。
(個人的には八丈島のくさやが食べやすいように思います)
伊豆諸島めぐりをされる方は食べ比べてみるのも旅の楽しみ。
くさや道はなかなか深い。

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  • さて、くさやの香りの充満する清漁水産の工場で、恋乃実ちゃんの説明を聞く。
    鼻で息をしているとすぐにクラクラしてくるから、口呼吸でしのぎながら、である。

くさやの起源は江戸時代頃までさかのぼる。
当時貴重であった塩を節約するため、
干物を作る際に、同じ塩水を何度も繰り返し使ったため
魚の成分が蓄積し、発酵して独特のくさや液ができた。

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  • このくさや液、熟成までには非常に長い時間がかかるため、中には継ぎたし継ぎたしして400年近く、同じくさや液を引き継いでいるところもあるそうだ。
    うなぎのタレよろしく、くさや液はくさや屋の家宝。その製法は各店の秘伝とされる。

しかし、ご存知のとおり三宅島の住人は2000年の噴火から、
4年半もの間、島から避難しなくてはならなかった。
もちろんくさや屋だって例外ではない。
発酵しているくさや液は、絶えず混ぜ続けなくてはならないため
帰島後には、ほとんどの液が使えなくなってしまっていたという。
島には噴火の前には4軒のくさや屋があったそうだが
現在は、2軒になってしまった。

新島で避難生活を送っていた恋乃実ちゃん一家は、
新島のいろんなくさや屋からくさや汁をわけてもらい、
それに自分の店の汁を混ぜて、新たなくさやをつくりあげた。
新島のくさや屋も、門外不出の液を外に出すのだから、
そこにはいろんなドラマがあったのだろう。

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  • 三宅島で営業を再開できたのは、離島してから5年後のことだったそうだ。
    今でも清漁水産のくさやのパックの裏面には、ひとつひとつこんなコメントが書いてある。

実際、避難解除から7年の月日が流れても、
その爪あとはまだ島のあちらこちらに生々しく残っていた。
山肌の木々は黒く枯れたままで、日に何度もガスマスク着用を促すアナウンスが響く。
人口は噴火前の6割程度に減り、観光客も半数程度になった。
3つあった小学校も今では1つだ。
避難先で就職や就学をした多くの若年層は
いまだ帰島していないため、高齢化も進んでいる。

それでも島の若者たちは、ものすごく元気だ。
島全体を大学にみたてて、魚のさばき方から史跡を学ぶ授業まで
多彩な講座が受けられる三宅島大学の開校、
女性による女性のためのランニングイベント、“三宅島レディース・ラン”など
様々な試みを若者が中心となって考え、周りの人々を巻き込みながら進行している。

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  • ちなみに私たちが訪れた時は、ちょうど三宅島を舞台に、たくさんの地元の人が出演した佐藤隆太主演の映画「ロック~わんこの島」の上映直前でその話題でもちきりだった。

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  • 島の人はみんな、明るくて、前向きで、島のために一生懸命だ。
    その日の夜は、島の若者たちの兄貴的存在、健一郎さんが営む飲み屋『リターノ』にたくさんの若者が集まって宴会になった。
    そこで出会った、島の信用組合に勤める茂さんこと、津村茂久さんは、島の若い子はみんな兄弟みたいなもん、と言う。

「みんなでいかだを作って遊んだり、釣りをしたり、
30過ぎてもほんと真剣にバカなことして遊んでそんな時間が楽しくて仕方ないんだよね。
東京で働いてたこともあるけど、島に帰ってきてよかったと思うよ。」

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  • 茂さんは、信用組合という仕事柄、避難解除が
    出る前に帰島し、廃墟と化したふるさとに言葉を失ったという。
    自分の家は灰がつもってドアがあかない。アルバムもなくなっていた。
    その状態から今に至るまでには、言葉につくせないいろいろな想いがあったのだろう。

その夜たくさんの人が「島の祭りは本当に熱いよ!絶対また見に来て!」と言ってくれた。
いろいろなものを乗り越えてなお、島を愛してやまない人達が熱い島人魂をぶつけあう三宅島のお祭り。
いつか必ず見にこようと思う。

ところで、離島ブルースには続きがある。

ガソリンも物価もたけぇ
時化れば船は当分こねぇ
しがらみや派閥はがんじがらめだ
刺激は少ねぇGALはいねぇ
この島を選び この島で暮らし
この島で老いて この島を愛す
リズムにあわせて 今夜も踊るよ
リズムにあわせて 酒をなぐるよ
死ぬまで一緒に 遊んでくれよ
死んだらここの 土になるから

いまこの国で暮らす人で、はたしてどのくらいの人が
死ぬまで一緒に遊んでくれと言える仲間がいるだろうか。
この土にかえりたいと思う場所を持っているだろうか。

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  • 旅が終わって、日常の生活に戻っても、
    いまでも私はときどき、この歌を思い出す。

     

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