島を想う人々はさまざまで、老若男女や居住地を問わない。ここでは、島の住人や出身者が支え合う伝統的なコミュニティや、島の特産品や島外の飲食店をハブとしてつながる島と島外のファンのコミュニティ、島々が海路で結ばれていた頃のような横のつながりを島づくりに活かす、取り組みを紹介したい。(文・石原みどり)
※この記事は『季刊ritokei』34号(2021年2月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。
島の出身者が支え合う伝統的なつながり
故郷を同じくする者が集まる郷友会は、進学や就職で島を離れた出身者が支え合うコミュニティとして伝統的に機能してきた。なかでも、有人島8島を有し、関東に約20万人、関西で30万人ほどの縁故者がいると推定される奄美群島(あまみぐんとう|鹿児島県)には、集落単位から市町村単位、島単位、群島全体までさまざまな規模の郷友会が全国にあり、歴史も長い。
そのひとつ、2018年に創設120年を迎えた東京奄美会では、約1,500人が集う総会や、群島出身のアーティストらを集めて催される芸能祭(隔年)、島対抗で競い合う運動会(隔年)などの年間行事を通して、関東在住の出身者が親睦を深めており、そこでの縁から就職や結婚などにつながることもあるという。
少し前までは会員の高齢化と青年部の若手人材不足が課題だったという同会だが、近年、20代など若者の参加が増えてきている。戦後、米軍統治下に置かれた奄美群島で復帰運動が興った時、郷友会組織はその動きを本土側で支えた。その精神は今に受け継がれ、豪雨災害などの非常事態がおきた際は、義援金を集めて島へ寄付を送るなど、強い力となっている。
現在、東京奄美会青年部では、奄美群島の観光物産PRや移住支援に力を注ぐ。その姿に共感し、地元に貢献したいという若手出身者や島をルーツとする持つ2世3世が増加。島外から島を想う人の縁がつながっている。
飲食店や産品が結ぶ島外とのつながり
出身者が島外で経営する島料理の飲食店や物産の販売店には、出身者やその島を愛する人が集い、新たな島のファンを増やすきっかけとなることも多い。伊勢原市で「奄美居酒屋ルリカケス」を営む秋田将志さんは、島出身の両親を持つ島2世。ある島料理の店を気に入って通ううちに、郷土愛が深まった。そして、郷友会の手伝いや郷土芸能のイベントを自主企画するようになり、自ら島料理の店を出すに至ったという。
島の特産品を軸に、ファン同士で楽しみを分かち合い、産地を訪れ交流する人たちもいる。2008年から続く「泡盛部」は、東京都世田谷区の住宅街にある酒屋を拠点に愛好者が週に1回集い、1年かけて全蔵の泡盛を味わうサークル活動。年に1度の合宿で泡盛蔵を巡り、沖縄本島をはじめ、さまざまな島を訪れてきたが、コロナ禍の現在は、オンラインで活動を継続している。
近年は、特産品を介して島に貢献できる「ふるさと納税」でも、島を想う人々と島のつながりが活発になっている。ふるさと納税を積極的に島づくりに活用する鹿児島県徳之島町の担当者によると、返礼品として農産物や加工品の販路が広がるだけでなく、寄付者から寄せられる温かなメッセージに事業者や生産者が励まされているという。そんな島を想う人々の声は、島に内包されているさまざまな魅力を社会に届けていく一翼にもなるはずだ。
島と島、島で暮らす住人の横のつながり
海路上での島々の交流が活発だったかつてのように、島々の横のつながりを取り戻す動きもみられる。
瀬戸内海の島々で活動する若手世代が中心になって発足した「瀬戸内横串サミット」では、島々が集まりそれぞれの活動や課題を共有。2015年に開催された第3回サミットのテーマは「教育で島をつなぐ」。瀬戸内海の各島で教育事業や研究を行う講師が登壇し、大学進学を機に島を離れる子どもたちが、将来、島へ帰り島外で学んだことを還元したいと思える教育の在り方について話し合われた。
オンラインを活用し島同士がつながる試みも。2020年5月、コロナ禍による外出自粛期間中には、本土出身で「人と人をつなぐこと」をライフワークに活動する奥祐斉さんの呼びかけで、全国の島々が集まるイベント「zoomショッキング 離島と出会う会 vol.1」が開催され、北海道、伊豆諸島、四国、九州、沖縄などから14島の住人がオンラインに集い交流した。
小笠原諸島・母島(ははじま|東京都)では、島の住民一人ひとりが幸せに暮らせる島づくりを目指す「母島部活堂」が発足。月に1度のペースで住人同士の座談会を開き、島の魅力を再認識して共有し、未来に向けた話し合いを進める。コロナ禍における感染防止策のためオンライン会議を導入したことで、島外からのゲストを会に招くことも容易になった。島内だけでは手に余る課題も、島同士のつながりや島外の知恵を活用すれば、打開していけるだろう。