鹿児島県甑島列島で毎年夏に開催される「KOSHIKI ART PROJECT」。東京に暮らしながらプロジェクトの代表をつとめ島出身の平嶺林太郎くんにお話を伺いました。
2004年に鹿児島県上甑島でスタートした「KOSHIKI ART PROJECT」。
東京に暮らしながらプロジェクトの代表をつとめる上甑島出身の平嶺林太郎くんに、リトケイのイサモト、カメラ大久保、島好きライターのヤブシタでお話を伺いました。
①「すべてはトサカから始まった」
こしき島と林太郎くん
イサモト:
まずは自己紹介をお願いします!
林太郎くん:
・・・誕生日とかですか?
一同:
ははは。
イサモト:
島のことなどでお願いします(笑)
林太郎くん:
僕は鹿児島県にある甑島(こしきじま)の
里町(さとちょう)というところの出身です。
甑島は熊本県の天草とかの下の方、九州の左下ぐらいにあります。
イサモト:
なんでも、甑島は、上甑島、中甑島、下甑島と
3つの島に分かれているとのことです。
ヤブシタ:
甑島は列島なんですか??
林太郎くん:
そうです。甑島って言われているんですけど、
本当は甑島列島が正式名ですね。いま上甑と中甑は橋でつながっていて、
下甑と中甑をつなぐ橋の工事も始まったので、
いずれ列島がひとつながりになる予定です。
イサモト:
林太郎くんはどの島の出身ですか?
林太郎くん:
上甑です。島の一番上の集落ですね。
イサモト:
人口はどれくらいですか?
林太郎くん:
上甑と中甑で合わせて3000人、
下甑だけで3000人くらいですね。
ヤブシタ:
ということは下甑が一番大きいんですか?
林太郎くん:
林太郎くん:面積的にも下甑が一番大きいんですけど、
集落でいえば上甑にも大きいところがあります。
島の中で集落がいくつもあって、
300人規模の集落もあれば、1000人規模の集落もあったりします。
あ、でもコンビニはないです。
(パンフレットの島の地図を広げる)
上甑島までは
薩摩川内(せんだい)市からフェリーで約1時間です。
イサモト:
意外に近いですね。
林太郎くん:
僕は上甑の中でも一番上で、
本土と一番近いところの集落出身なので、
「1時間」って言えるんですが、
下甑だと、本土から3時間くらいかかかっちゃうんですよ。
イサモト:
そんなに違うんですか??
林太郎くん:
フェリーがそれぞれの島に停まりながら行くんですよ。
1時間と3時間ではだいぶ違いますよね。
同じ甑島列島なんだけど、そういう部分で、意識の違いがありますね。
ヤブシタ:
誤差というか、時差というか・・・。
イサモト:
それが橋でつながったら、だいぶ変わりそうですね。
林太郎くん:
はい。橋がかかれば上甑から
下甑まで 45分くらいで行けると思うんで、かなり時間は短縮されます。
ヤブシタ:
今までそれぞれの島は、フェリーでつながってたんですか?
林太郎くん:
そうです。いまはもうなくなってしまいましたが、
中甑にも橋がかかる前は、フェリーの着く港がありました。
イサモト:
隣の島の人たちとの交流はどんなかんじですか?
林太郎くん:
中甑には、公的な機関があって外の人が割と来るので
人との関係が、ちょっと都会的な感じはありますね。干渉しないというか。
でも僕の住んでいた上甑の集落は、プライベートにも入って来るというか。
イサモト:
下甑は?
林太郎くん:
下甑は・・・。実は昨年まであまり行ったことがなくて。
ヤブシタ:
ない??
林太郎くん:
小学生の時に遠足に行ったことがあるくらいで。
集落には行ったことがなかったんです。
イサモト:
同じ列島なのに、そんなに行かないものなんですね!
林太郎くん:
まったくなかったですね。
中学校の部活の遠征では列島内を移動したりしますけど、
僕は柔道部で、他の島に柔道部がなかったので行く機会がなく。
イサモト:
へええ。
林太郎くん:
昨年、下甑をずっとまわってみて、
「どうして今まで知らなかったんだ!」ってびっくりして。
もっといえば、
上甑の中でも行ったことがないところもあったりします。
イサモト:
意外です。
林太郎くん:
特に本土に近かったというのもあるんですが、
意識が外を向いてたというか。
イサモト:
林太郎くんはいつまで上甑にいたんですか?
林太郎くん:
中学生までです。
島には高校がないので。
イサモト:
中甑や下甑にも?
林太郎くん:
はい。列島自体に高校がないんです。
イサモト:
6000人もいるのに?
林太郎くん:
ほとんど、
じいちゃんばあちゃんばっかりなんです(笑)。
4000人くらいが高齢者かな。
イサモト:
すごい割合ですね。
そうなると、中学を卒業したらみんな島を出ることになるんですね。
林太郎くん:
そうですね。薩摩川内市に出たり、
鹿児島市内へ出たり。
一人暮らしする人もいれば、寮に入る人もいます。
イサモト:
大変ですね。
若くしてみんな外に出なきゃいけないって・・・。
林太郎くん:
親も大変ですよね・・・。
ヤブシタ:
たった15歳で・・・。
イサモト:
島の中学校には、どれくらい人数がいたんですか?
林太郎くん:
僕のクラスは18人ですね。
中甑の中学校には、いろんな集落から人が集まるんですけど、
僕らの集落はそのまま小学校からずっと一緒で。 中学生に上がって、
ほかの小学校からも人が集まってくる感覚がわからなくて。
イサモト:
みんな兄弟みたいなものだものね。
ということは中学にあがる時などのドキドキ感は・・・?
林太郎くん:
高校に入って初めて味わいました(笑)
ヤブシタ:
クラス替えもなければ、
「あぁ、◯◯くんと離れちゃった・・・」
ってこともないということですね(笑)
イサモト:
高校はどこへ行ったんですか?
林太郎くん:
鹿児島県内の美術高校に行って、油絵をやってました。
実は、小学校5年生の頃から油絵をやっていて。
イサモト:
へえ。それはどなたの影響で?
林太郎くん:
島におじちゃんおばちゃんが集まる同好会があって、
油絵を描いてたんですよ。
のぞいたら、分厚い紙にどっさり絵の具がのってたのが
すごく気になっちゃって。
それで、中に入って、何やってるんですか?って聞いたんです。
もともと絵を描いたりするのは好きだったんですが、
そこで「ゴッホとか知ってるか?」って話になって・・・。
ヤブシタ:
それで同好会の若手として入部??
林太郎くん:
はい、入部しました(笑)
小学校5年生の林太郎くんは、
島の絵画同好会で美術に出会ったそうです。
しかし、そもそもアートに走った原点には、
あるモノの存在ががあったとのこと。そのモノとは・・・。
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アートに走った意外なワケ
イサモト:
島の同好会がキッカケで、
絵を描くことを始めたんですね。
林太郎くん:
父親なども油絵を描くことについては、
反対はしなかったんです。
実家が建設業をやっていることもあって、
建築士とかになってくれたらいいなと思っていて。
そのために美術の素養があったらいいかな?
ぐらいの軽い気持ちでOKしてくれたんだと思います。
イサモト:
なるほど。
林太郎くん:
でも、どんどん本気になってしまい・・・。
本土の高校の美術の先生も「美術科に彼を薦めてあげたい!」
となったんですが、それについて父親は大反対でした。
僕には工業系の高校に行ってほしかったようで。
それで、どうしようかと・・・。
イサモト:
難しいですね・・・。
林太郎くん:
実は油絵に夢中になる前に、
小学3年生くらいからずっとやっていたことがあるんです。
イサモト:
というと?
林太郎くん:
ニワトリの「トサカ」をつくることで。
一同:
はい???
林太郎くん:
いろんなトサカを組み合わせて、
自分の理想とするトサカをつくっていたんです。
ヤブシタ:
ニワトリを「掛け合わせる」ということですか?
林太郎くん:
はい。
イサモト:
マニアック(笑)!
林太郎くん:
はい。マニアックですね(笑)。
ニワトリを掛け合わせるのは、よくあるんですけど、
トサカだけっていう、
そういうジャンルはなかなかないと思います。
一同:
へえぇぇぇぇ。
大久保:
あのお・・・、林太郎くんの理想とするトサカとは?
林太郎くん:
当時の僕にとって、世界は島なんですが、
その世界のトップは王様みたいなもので、
そういうのがすごくかっこいいなと思ってて。
だから、トサカも王冠みたいなものをつくりたいなと。
イサモト:
王冠・・・。
林太郎くん:
いわゆる王冠っていうよりも、
なんかこう華やかなトサカ。
ふつうのトサカは、
もみじみたいなかたちをしているんですけど、
それが4枚くらい重なったようなのをつくりたいなと思って。
あるときに辞典で、
トサカの種類がたくさんあるということを知って。
こんなにあるんだったら、僕にもつくれるだろうと。
一同:
うわああ(笑)
林太郎くん:
具体的に言えば、
中国の烏骨鶏と日本のチャボをかけ合わせて行くんですけど。
烏骨鶏のトサカは、くるみ型と言って
「げんこつ」のようなかたちをしてて、
それが伸びていくと良いんじゃないか??と。
それで、研究を重ねいったところ、
中学1年のときにとうとう生まれたんですよ!
王冠のようなトサカを持つニワトリが!
一同:
おぉ〜!
林太郎くん:
当時、ワールドカップが開催されていて
みんながサッカーで盛り上がっていたんですが、
僕はトサカのスケッチばかり描いていて・・・。
みんなが集まってやっとサッカーができる人数の島なのに、
僕はニワトリにエサやってましたね。
パラパラ~パラパラ~って。
一同:
ははははは。
林太郎くん:
もちろんサッカーも好きだったんですけど、
それよりもニワトリが好きでした(笑)
高校受験のとき、父がいつもお世話になっている
本土のお坊さんに、僕の絵をみせて、
「いい」と言ったら
美術高校に行くことを許すと言われたんです。
お坊さんなら、絵や彫刻をみて
鑑識眼があるだろうということで。
イサモト:
ふむふむ。
林太郎くん:
本当は、ニワトリを持って行きたかったけど、
そういうわけにもいかないので、トサカの絵を描いたんです。
お坊さんがそれを見て「これはいい!欲しい!」と。
一同:
おおぉ!
林太郎くん:
いまでも、そのお寺に飾ってくれているんです。
ヤブシタ:
それはすごい!
林太郎くん:
それでうちの父親はがっかりして、
島に戻って来たんですよね。
「おまえはどうやら、美術の世界に行くんだな」と、
あきらめたようで・・・。
イサモト:
それはねぇ・・・。
林太郎くん:
実は、僕不在の家族会議があったらしいんです。
じいちゃん、ばぁちゃん、
お父さん、お母さんとねえちゃんと弟で・・・。
その会議の中で、弟が跡を継ぐんだぞとなって、
弟は泣きじゃくったらしいです。僕はできないって。
でも弟がいまは継いでくれています。
イサモト:
トサカに負けたか・・・。
林太郎くん:
ところでこんな話でいいんですかね?
イサモト:
おもしろいので良いです(笑)
林太郎くん:
それで結局、鹿児島の美術高校に行きました。
その時は、美術の大学があるなんて知らなかったんですが、
1年生の時にあった大学説明会で東京造形大学の存在を知って、
そこへ行こうと。
イサモト:
決めてはなんだったんですか?
林太郎くん:
造形大に合格した人たちの絵を見たら、
変な絵ばっかりで。
「こんな絵を描く人に会ってみたい!」って思ったんです。
僕自身、高校では油絵で自画像ばっかり描いてて、
静物画を描いてもなんかしっくりこなくて。
イサモト:
ということは・・・。
林太郎くん:
やっぱり一番描きたかったのはニワトリで、
もっというと、絵は描かずに、
ニワトリを育てていたかったんです(笑)
一同:
やっぱり(笑)
ヤブシタ:
それはもう、林太郎くんにとってのアートなんですね。
林太郎くん:
そうなんです。
僕にとってニワトリを育てること自体が、創造的なことで。
生物ですから、トサカだけ切り取って
ホルマリン漬けにするわけにいかない。
そもそも生命体としての遺伝の連鎖の中で、
トサカをつくるっていうのが重要なので。
僕はやっぱり、生き物に興味があって、
遺伝性だとか、生物がたどる成長の過程だとか。
単に学術的なことではなくて、
実際に生き物と触れ合わないとわからないことが知りたかった。
イサモト:
深いですね。
林太郎くん:
だから、
東京に集まる一風変わった人たちに会いたくて、
東京造形大で絵画科を専攻することになったんです。
イサモト:
そして林太郎くんは私たちの
予想をはるかに超える変わった人でした(笑)
林太郎くん:
プロジェクトの代表とかって言ってますけど、
僕は全然そういう気分じゃないですね(笑)
一同:
ははは。
ニワトリの「トサカ」、生命体の不思議・・・。
一風かわった理由から林太郎くんのアート人生は始まり、
プロジェクトへとつながっていきます。
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#03「アートプロジェクト、やります!」
イサモト:
島アートプロジェクト始めたきっかけは何ですか?
林太郎くん:
「やろう!」と決めたのが
19歳のときで、その年にあった成人式の壇上で
「アートプロジェクトを甑島でやります!」
と宣言しました。
イサモト:
いきなり?
林太郎くん:
代表としてあいさつしたんです。
成人する18名と両親や来賓の村長さんだとか、
教育委員の人が集まる中で、
「いま巷ではアートプロジェクトがアツいんです」
ともっともらしく語って。
イサモト:
ちまたではアートが流行ってると(笑)
林太郎くん:
ちょうどその頃、廃校を使った展覧会といった、
今までの美術館やギャラリーの “ホワイトキューブ”じゃない場所
でのアートイベントが始まった頃でした。
2003年、越後妻有のトリエンナーレを観にいった時、
美術館じゃなくて畑や民家とかでも作品を
発表することができるんだぁと思いました。
あと当時は美大生が作品を発表できる場所があまりなくて、
コンペに出して通るか、
自分でお金を払ってギャラリーを借りて
展示するかだったんですが、
どちらにしても学生の自分にとっては厳しかったんです。
イサモト:
なるほど。
林太郎くん:
だからみんな、
自分たちでなんかしたいなって気持ちはあって、
同時に、甑島で使われていない空き家が多いとか、
島の人の文化に対する意識を変えたい状況もあって。
イサモト:
変えたい状況?
林太郎くん:
たとえば、僕の集落では神社の手綱が切れたまま、
長い間ほったらかしにされてたりですね・・・。
そういうところを見ると、島に住んでいる人たちの、
日常の中での文化とか風習とかが崩れてきてるんじゃないか
っていう気持ちになって。
イサモト:
ぼろぼろになったままは寂しいですね。
林太郎くん:
はい。人によって差はあると思うんですけど、
僕はもっと甑島の文化を発展させていきたい
という気持ちがありました。
そんないくつかの要素が合わさって
「アートフェスをやろう!」と。
そうして外からたくさん人が来てくれれば、
意識も変わっていくかなと。
イサモト:
島を大切にしているってことが、
目に見えるように現れることっていいなと思います。
林太郎くん:
すごくお金がかかることでもないと思うんですよね。
手綱くらいだったら。
イサモト:
確かに・・・。
林太朗くん:
あと、島でやりたいと思った理由がもうひとつあって。
それは島の特徴でもあるんですけど、
甑島には「さす」が多いんですよ。
一同:
さす?
林太郎くん:
砂が堆積してできた土地のことを「砂州(さす)」
っていうんです。
島だったら、魚が美味しかったり海がきれいだったり、
人がやさしかったり・・・
と言うのは当たり前だと思うんですね。
甑島だけの特徴でいうと、地形なんですよ。
イサモト:
へぇ。知らなかった!
林太郎くん:
下甑に在るは断崖絶壁があって、
そこは地層がむき出しになっているんですけど、
九州山脈から天草、
その延長線上にある甑島は同じ地質なんです。
それつまりは、九州山脈が隆起したときに
甑島もできたってことだと思うんですけど。
イサモト:
へええ。
林太郎くん:
地質学者はみんな知っていると思います。
下甑からは恐竜の骨とかも出たりしてて、
上甑の方には「トンボロ」っていう砂州があります。
(トンボロ画像検索中)
ヤブシタ:
「こしき」って入れて変換したら
「甑」って漢字が出てきた!
林太郎くん:
「甑」って、
せいろ、蒸し器のことなんです。
イサモト:
蒸し器??
林太郎くん:
はい。「甑」で画像検索すると、
昔の蒸し器の画像が出てきたりします。
ヤブシタ:
それがどうして島の名前に?
林太郎くん:
いろんな説があって、
蒸し器のかたちによく似た岩があって、
「甑大明神」っていう細長い岩なんですけど、
それが由来なんじゃないかって言われています。
ヤブシタ:
それぞれの島の由来って、
よくよく考えると面白いですね。
林太郎くん:
(島の画像を見ながら)ここがトンボロです。
日本三大トンボロっていうのがあって、
それは函館と、僕の住んでいた集落と、
和歌山県の串本にあります。
トンボロは島と島の間に波の作用で砂が
堆積してできた土地で平地だから、
人間が住みやすいところでもあって、
島の中で一番最初に人が住み着き始めた場所でもあるんです。
弥生時代の人骨も出て来ているくらいなので。
ヤブシタ:
トンボロがなかったら、
島と島が完全に分離してますね。
林太郎くん:
島と島をつなぐポイントが
トンボロであり、町なんです。
自然がつくりだしたトンボロが、
“つながり”を表しているんじゃないかと。
だからそういう場所で、
人と人をつなぐコミュニケーションや、
ネットワークがつくられていくといいなと思ったんです。
イサモト:
「つながりの場」なんですね。
林太郎くん:
そうです。だからこの島で人と人、
島と人をつなぐようなイベントができないかなと思って、
2004年の成人式に宣言して、
その年の8月にアートプロジェクトを開催したんです。
甑列島の「トンボロ」や、文化を大事にしたいという
願いからアートプロジェクトがはじまります。
そこには林太郎くんらしい密かな思惑もあったようです。
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#04 林太郎くんの密かな思惑
林太郎くん:
このアートプロジェクトは、
ただ作品を展示するだけじゃなくて、
アーティストがそこに滞在して、
島の人たちと関わりを持ちながら作品をつくって、
展示して、そこにいろんな人が観にきてくれるような、
そんな場にしたいと思っていました。
アートのイベントは東京でもできると思います。
でも、いろんな効果を狙うなら、やっぱり島なんですよね。
イサモト:
効果というと?
林太郎くん:
フェスの開催は8月にしようと思ったんですが
それはみんなが来ているときに、
台風が来るといいなと思ったからです。
イサモト:
なんでまた(笑)
林太郎くん:
台風が来ることによって、
みんなに団結してほしくて(笑)
たとえば、恋愛が始まっちゃったり・・・。
一同:
ははは。
林太郎くん:
男が男らしく女の人を守るだとか
そういうのとかいいなって思ったんです。
それもまた、ニワトリが関わってくるんですけど・・・。
イサモト:
また!(笑)
林太郎くん:
そういった、生き物がある状況において
何かしらの効果や影響を及ぼす、
という意味でも面白いんじゃないかと。
そこで人がより生物らしく、より人間らしくなったり。
イサモト:
ある意味で島は、人がより人らしくなる場所だと。
林太郎くん:
台風とか、そういう危機的な状況下じゃないと、
人間の本性って実は出てこないのかな。
イサモト:
甑島で台風に遭遇すると、
出てくるかもしれないと(笑)
林太郎くん:
でも実は、
一番失敗したところがそこで・・・。
台風が当らなくなったんです。
このイベントを始めてから。
イサモト:
それは
ずっと天気に恵まれているということですか?
林太朗くん:
そうなんです。ほんと良くて。
開催する1年前とかは、ほんとにひどい台風で、
山が削れたり、竜巻が走ったり、
木も全部葉っぱがなくなったり、
根こそぎぶっ飛ぶような感じだったのに、
展覧会をはじめてからはパッタリと台風がこなくて・・・。
もちろん島の人からしたら、
台風は来ないほうがいいんですけどね。
一同:
そりゃそうです(笑)
林太郎くん:
展覧会後に、
ちょっとした台風が来たりはしたんですけど、
大被害になるような台風はここ7年はなくて。
それが、 僕としてはかなり大失敗というか。
一同:
ははははは。
イサモト:
ところで、
プロジェクトに参加するアーティストは
東京から連れて行くんですか?
林太郎くん:
そうですね。
イサモト:
どうやって声をかけていくんですか??
林太郎くん:
単純に作品を観て・・・。
イサモト:
ナンパ的な?
林太郎くん:
そうナンパですね(笑)
「これは変わってる『トサカ』だな」みたいな。
イサモト:
またまた!(爆笑)
ヤブシタ:
ずっと追い求めているんですね!
林太郎くん:
そうですね。
僕の中にはずっとあります。
作家の表現そのものがトサカの部分にあたるんです。
その人からなにかにじみ出ているような作品が好きなので、
基本的には単純な作品は選ばないですね。
「なんか変だな・・・」って、引っかかる作品で、
作家さんと話をして「やっぱり変だ!」と思ったら、
甑島に連れて行きます。
相手もきっと「この人は変だ」って思ってますよ(笑)
林太郎くん:
思ってると思います(笑)
お互い変なもん同士で反応し合っているので。
イサモト:
つまり林太郎くんの「トサカ探し」という訳ですね(笑)
ヤブシタ:
その「トサカ探し」は、すべて林太郎くんなんですか?
林太郎くん:
僕が全部やっていますね。
副代表をやっている僕の親戚の山下が、京都造形大に行っていたので、
一時期、京都のアーティストを連れて行ったこともありますが、
いまは僕がひとりで探しています。
イサモト:
一番はじめはどういう方を集めたんですか?
林太郎くん:
1年目は、
まわりにいた東京造形大のメンバーがほとんどでしたね。
変わった作品をつくっている人や先輩に声をかけたり。
甑島での最初の交流っていう意味でも、
なるべく出身地もバラバラにしたかったんです。
イサモト:
面白そうですね。
林太郎くん:
大学には日本全国から人が集まって来てたんで、
全国のそれぞれの土地柄がでてほしかったし、
島に滞在している間、島の食べ物がうまいだとか、
醤油が甘い!だとか、方言が自分の地元と似てるとか、
そういうことを発見してもらえたらいいなって思ったんです。
なので全国各地の出身者を15人を集めました。
イサモト:
その人たちが島に滞在するというわけですね。
「トサカ探し」や「台風来襲」など、
林太郎くんの思惑を経て、
いよいよプロジェクトが始動します。
でも実際にゼロからはじまるアートプロジェクトは、
どのように実現していったのでしょう?
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#05 家族総動員でイベントが始動!
イサモト:
アートプロジェクトをやろうとしても、
実際にひとりで出来るわけもないと思いますが、
仲間を集めたりしたんですか?
林太郎くん:
実はそこらへんのことをはあんまり考えてなくて。
それは僕が島で育ったからっていうも
あるかもしれないんですけど・・・。
島にアーティストを連れて行けば、
絶対親戚が手伝ってくれるなっていうのがあったんですね。
それを、両親はもうわかってましたね。
「こいつ、また甘えてるな」って。
イサモト:
そういうことですか(笑)
林太郎くん:
成人式で「やる!」
と宣言する前に、家族に話をしたんですけど、
その時も大反対をくらってて・・・。
親戚中に迷惑をかけることになるし、
ケガしたりしたらどうするんだって。
親は僕を見ていたのもあって
「アーティストは変なやつがいっぱいだ」と思っていて。
当らずも遠からずって感じなんですけど、
なんか色々とやらかすんじゃないかと思ったみたいで・・・。
イサモト:
確かに・・・。
林太郎くん:
うちは島で建設会社をやっているから、
会社のイメージが崩れるとか、すごく体面的なことも気にしていて。
イサモト:
島だと特にいろいろあるのかもしれない。
林太郎くん:
でも、最終的に「やらせてあげなよ」
って言ってくれたのが、
うちの姉ちゃんで、弟も「やればいいんじゃない?」って。
姉弟はすごく応援してくれて。
ヤブシタ:
やっぱり島にいる若い人は、
何か面白いことをやってほしいって思ってたんじゃないですか?
林太郎くん:
僕らの世代は特に「島で何かやりたい!」
っていうのがありましたね。
うちの父親は団塊の世代なんですが、
その世代とは違うのかもしれないです。
島に戻ることは実家の家業を継ぐということで、そうでない人たちは、
本土から帰って来ること自体に、
ネガティブなイメージがあったみたいです。
僕らの世代は、島を盛り上げていくことを、
すごい面白いことだと思ってやろうとするんですけどね。
ヤブシタ:
林太郎くんたちの若い世代というのは、
島の中で抜け落ちちゃってるってことなんですか?
林太郎くん:
そうですね。やっぱり仕事がないですよね。
探そうと思えば何かしらあるとは思います。
でも、子どもを育てて、高校は外に出して、
下宿させて、学費払ってということは、
経済的に難しい状況かもしれません。
イサモト:
それって、かなりピンチな状況ってことですよね。
一体これから誰が島に戻ってくるんだろうという話で・・・。
林太郎くん:
そうなんですよね・・・。
イサモト:
アートプロジェクトの第1回目はどうでしたか?
林太朗くん:
開催した僕の集落が人口1400人くらいなんですけど、
その中で観に来てくれたのが190人くらいでした。
お盆の時期にも展覧会をやっていたので、帰省客もきてくれたり。
集落の中でも小組合(こぐみあい)ってのがあるんですが、
その小さな範囲でしか生活しない方々がいて、
その人たちは、自分の家の近くにある作品は観てたりするんですけど、
ちょっと離れたところにある作品をわざわざ観に行くってことが、
習慣としてないんですよね。
ヤブシタ:
展覧会はどれぐらいの範囲の中でやってたんですか?)
林太郎くん:
第1回目はトンボロにある集落全体でやったんですけど、
違う集落には行かなかったり、世界がかなり狭いんですよね。
ヤブシタ:
島民の方の移動は?
林太郎くん:
じいちゃんばあちゃんはほとんど歩きになりますね。
車持ってる人も、特に目的がないと動かないですね。
自分の家と畑とお墓、ときどき温泉行くかスーパー行くかくらいで。
だから展覧会をやることで、いろんな人がぐるぐる回るような、
人を動かせる仕掛けをつくりたかったんですが、
1年目は「やっぱり来ないか・・・」っていう感じでしたね。
イサモト:
PRはどんなことを?
林太郎くん:
作家自身が配れる分のDMと、
本土側のJRの駅にポスターを貼ってもらったり。
役所とか港のできる範囲でポスター貼って、
チラシをまく感じでしたね。
イサモト:
スタッフも親戚にお願いして?
林太郎くん:
そうですね。 基本的に運営自体も、
アーティストが主体になってやって。
サポートとして車を親戚が出したり、会社の車を搬出に使ったり。
ヤブシタ:
林太郎くんのかつての同級生だった
18人の人たちっていうのは、もちろん島にはいないわけなんですよね?
林太郎くん:
いないです、いないです。
ヤブシタ:
みんな出て行ってるわけですもんね。手伝ってもらえないのか。
林太郎くん:
もらえないです。
ただ、当時はみんな学生だったんで、帰省しているタイミングで、
「ちょっと手伝って」って声をかけて、少し手伝ってもらいましたね。
イサモト:
成人式のときに聞いていたわけだから、
「ほんとにやってる!」って(笑)
林太郎くん:
「またなんかやってる!」
「またサッカーもせずなんかやってる」
イサモト:
「またトサカつくってる!」って(笑)
一同:
ははははは。
林太郎くん:
いま考えると、いわゆるKYというか、
自己中なやつだって思われてたんじゃないかな。
ヤブシタ:
でもそういう人がいないと、何も変わらないのかも。
(下)につづきます>>