つくろう、島の未来

2024年11月23日 土曜日

つくろう、島の未来

奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)南部の離島・請島(うけしま|鹿児島県)で、休校となっていた小学校が3年ぶりに再開した。児童2名の入学式には、学校再開を心待ちにしていた集落の住民も集まり、子どもたちの門出と島唯一の学校再開を祝福。にぎやかな春を迎えた。

休校から3年ぶりに再開された、請島の池地小学校(写真提供:瀬戸内町教育委員会)

地域とも関わり深い島の学校

請島は、奄美大島の南方21kmに位置し、奄美大島南部の瀬戸内町(せとうちちょう)の港町・古仁屋(こにや)から1日1便の定期船で約40分。日本本土と直接つながる交通手段がない2次離島だ。

面積13.34キロ平方メートルの島内には、郵便局や町立診療所があるが、医師は常駐しておらず、警察署や消防署もない。約90人いる住民の高齢化率(総人口における65歳以上の割合)は6割を超える。

瀬戸内町内の2次離島である請島と与路島(よろしま)では、地理的条件から島外への通学が難しく、「1島1校」とされてきた。

請島で唯一の池地(いけじ)小学校は、1897(明治30)年に開校した歴史ある学校だ。併設する中学校と合わせると、最盛期の1951年には270名の児童生徒が通っていたという。

運動会などの学校行事には地域住民も参加。集落で管理する「ウケユリ」の観察会を開くなど、地域コミュニティと密接な学校は、島の人々の心の拠り所になっていた。

しかし、請島には高校がなく就職先も限られるため、中学を卒業した生徒のほとんどは進学や就職で島を離れる。若年層の流出が続いた結果、2004年以降、池地小中学校に通う在校生の数は1桁台まで落ち込んでいた。

体育の授業に集落住民も参加するなど、地域の協力を得ながら学校運営を続けてきたが、児童生徒の卒業と転出により2014年3月末で小中学校ともに休校。島から子どもたちの姿が消えた。

請島に多く自生し6月上旬に開花するウケユリ。鹿児島県指定天然記念物(写真提供:ぐーんと奄美)

3年ぶりの小学校再開を祝う

それから3年が経ち、この春、請島にゆかりのある2家族が転入し、池地小学校に児童2名が入学。小学校が再開されることになった。

奄美群島内では、休校した小学校の再開は初めてのこと。瀬戸内町では2017年度の小学校再開に向けて校舎や体育館、教員住宅を修理。池地集落の住民たちも校舎の清掃や校庭の草取りなどで協力し、小学校の再開を心待ちにしてきた。

そして迎えた4月6日、1年生と3年生の女子児童2名のために入学式が催された。

学校再開に伴い、校長、教諭2名と養護教諭、用務員、給食調理員も任命された。6人の職員のうち5名が島外から転入し、集落に賑わいが戻ってきた。入学式には集落住民も集まり、子どもたちの門出と学校再開を祝い合った。

有人8島に1市9町2村がある奄美群島では、現在、児童生徒数の減少により小学校7校、中学校4校が休校となっている。

なかでも2次離島の加計呂麻島(かけろまじま|鹿児島県)、請島、与路(よろしま|鹿児島県)を抱える瀬戸内町が最も多く、町内の22校のうち、小学校3校、中学校5校の計8校が休校している。

同町では「にほんの里 加計呂麻留学」制度を設け、町内3離島の小中学校に転入する児童生徒1人あたり月額30,000円の助成金を中学卒業まで支給し、家賃の1/2を補助(上限額11,000円)するなど、児童生徒の確保に取り組んでいる。



【関連サイト】


瀬戸内町「にほんの里 加計呂麻留学」

     

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