雅びな横笛の音と太鼓のリズムにあわせ、赤鬼と青鬼が勇壮に舞う小倉鬼太鼓。この伝統ある鬼太鼓を伝え継ぐ場だった小倉小学校が2013年3月に閉校したことで、島の子どもたちの鬼太鼓の継承に向けて集落が動き出しました。タブロイド版『季刊リトケイ』9号に掲載された「佐渡ヶ島の祭り」の続編最終回。
棚田と祭りに復活をかけて ― 伝統を刻んだ木造校舎を維持したい ―
味のある木造校舎だと評判の旧小倉小学校(photo:中村正樹)
訪れる人も暮らす人も、美しいと思える農村風景を復活させよう。そんなアイディアから小倉集落が復活させたもの、それが千枚田だった。鬼太鼓と祭りで地域をつなぎ、地域のシンボルを復活させる。しかし一方で、伝統を刻んできた小倉小学校はこのままでは立て壊しが決まってしまう。集落の集いの場でもある、あの小学校を残したい!
連載第3回目の最終回は、小倉千枚田と旧小倉小学校の存続を巡るお話をお届けします。
■美しい農村風景“小倉千枚田”
急な勾配のため手植えになるが、田植えイベントは農作業を楽しむ日(写真・藤原宏道)
「この先をずーっと上まで行って、そこから見える棚田の眺めが最高なの」
姉の話を聞きながら小倉をドライブしたのは、2013年に小学校が閉校した数ヵ月後のことだった。急な坂道を何度も上り下りし、ずいぶん山の奥へきた気がすると思っていると、視界が開けた場所から美しい棚田が広がっていた。
小倉千枚田は江戸時代につくられ、佐渡に6ヵ所ある棚田のなかでも大変急な斜面で、一反の面積が狭く、作業効率が厳しいうえに収穫量もそう多くない。そのため長らく休耕していたが、7年前に地域おこしのため復活させたのだという。現在では、オーナー制度を敷いて支援を募り、棚田の維持と集落内外とのパイプをつないで地域活性化に努めている。
酪農家・藤原宏道さん(42歳)は、小倉千枚田管理組合の役員として棚田維持に貢献する一人。
「東京や神奈川の人がオーナーになって、佐渡へ来て初めて農作業を体験し楽しんでいかれますし、島内外でこれまでまったく小倉に縁がなかった人も、小倉の暮らしや歴史を知ってもらうきっかけになっています」。
■このまま旧小倉小学校を維持したい
藤原宏道さん(右)。祭りの日、玄関先でふるまいをいただいているところ(photo:華)
実は、小倉には10年前に若手数人が集って、もうひとつ復活させたものがある。それは、やらなくなった盆踊りの代わりに開催される夏祭り。「小倉夏祭り実行委員会」を立ち上げて、屋台を出したり、ジャンケン大会をしたり、ここで鬼太鼓も披露される。
「夏祭りに来る人も、やはり小倉の鬼太鼓が見たいようだし、最近ではあちこちのイベントから声がかかって鬼太鼓出張するようになりました」と藤原さん。
夏祭りの会場は、旧小倉小学校のグラウンドだ。しかし小学校は閉校後、5年間は市が維持管理するがその後は立て壊しになる。
「なんとかアイディアを出して小学校を維持したい」
集落の人の次なる願いが動き出している。
[あとがき]取材を終えて
例大祭の朝、物部神社でお祓いをしてもらい、これからいざ門付けに出発する前の鬼8人(写真:中村正樹)
タブロイド版『季刊リトケイ』に引き続き、続編までお読みいただきありがとうございました。
佐渡の小倉集落のお話はここまでで、旧小倉小学校がこの先どうなるかまだわかりません。
ただ、役者でも芸人でもない集落の人が舞う鬼太鼓に感動させる力があるのは、小さいときから体に染み付いた親しみと誇りがあるからだと思うのです。数ある集落のなかでも、特に小倉は地域と学校で子ども鬼太鼓に取り組んでおり、その協力関係が理想的に築かれたモデルケースだったのではないかと思います。そういう土壌が、見る人を惹き付ける華麗で勇壮な鬼太鼓に育てあげた。だからこそ、小倉鬼太鼓を取材したいと思ったのです。
この記事を読んでくださった皆さんが、佐渡へ来て、集落をあげてのお祭りを盛り上げ楽しむ一員になってくださったら、うれしく思います。
(文/古玉かりほ)