大崎上島は、島全体の人口が年々減少傾向にあるなか、多からずも農業従事者は増えているとのこと。島の個性的な2大ファームを訪問しました。
大崎上島は、造船等の第2次産業も盛んで、第1次産業就業者数は19.4%と離島平均値と比較すると少ないものの平成12年度に718名であった農業就業人口(販売農家)が、平成17年度には791名に増加。島全体の人口が年々減少傾向にあるなか多からずも農業従事者は増えています。島の農業産出額(広島農業水産統計年報)も平成16年13億円、平成17年9億6千万円、平成18年度には15億2千万円とアップダウンはあるものの全体として、拡大傾向にあるそうです。
この島の農業が元気な理由には、瀬戸内海の恵まれた気候だけでなく、さまざまな取り組みを行う個性的なファームの存在が挙げられます。西日本ではじめてブルーベリー栽培に取り組んだ「農事組合法人神峯園」オーガニックファーム経営のほか、島と島外の人をつなげる取り組みを行う「中原観光農園」という、個性的な2大ファームを訪問しました。
■この島と西日本にブルーベリー栽培を根づかせる
大崎上島では、ポリフェノールの一種である、アントシアニン含有量が日本一と言われるブルーベリーがつくられています。この島のブルーベリー栽培の中心にあるのが
「農事組合法人神峯園(以下、神峯園)」神峯園の横本正樹さんが、ブルーベリー栽培に手を掛けた昭和51年当時、西日本にはブルーベリー栽培の前例がなく、大崎上島は、ブルーベリー栽培の先駆けとなりました。当時、10名ほどではじめた「大崎ブルーベリー研究会」のブルーベリーづくりは、3年後には収穫・出荷を実現し、昭和56年にはジャムづくり等の加工も開始。61年には「農事組合法人神峯園」へ発展させてきたそうです。現在、島内で採れるブルーベリーは、神峯園にあつめられ生食用やジャム用に選別、加工され本土に向けて出荷されています。島農業にブルーベリーを取り入れ、拡大してきた横本さんに、話を伺いました。
神峯園 横本 正樹さん
リト経:
ブルーベリーの栽培をはじめたきっかけは何ですか。
横本さん:
私はこの島で生まれ育ったんですが、
将来は農業をするつもりで、東京の農工大にいきました。
それで、この島はみかんの島だったから、
自分もみかんをつくるんやろうなーと思っていました。
しかし、そう思って島に戻ってきた年、
みかんが戦後最大の不作で大暴落して、ものすごく安かったんです。
おじいさんおばあさんが、ずっとみかん畑をやっていたんだけども、
これだけじゃあちょっと食っていけないなと。
リト経:
何か違うものが必要だと。
横本さん:
みかんは11月〜12月くらいが収穫の時期なんですが、
農作物は収穫の時期が一番忙しいから、
同じ時期に収穫するものをつくってもいかんな、と思ったんです。
それで、夏と秋口に収穫になるものと組み合わせようと思いたって、
夏の収穫でブルーベリー、秋口の収穫で米をつくりはじめました。
それが38年前のことです。
リト経:
良い組み合わせだったんですね。
横本さん:
今ね、1年中収穫しない月はないんだよ。
5月がハウスのブルーベリーで、
6、7、8、9月のはじめまでが路地のブルーベリー。
だから7〜8月が一番忙しい。
リト経:
ちょうど今ですね。※取材:7月
横本さん:
9月は稲刈り。
10月からみかんの収穫がはじまって、11、12月は収穫、
年明けて1、2、3月まではずっとデコポンなんかの収穫があって、
最後4月は甘夏の収穫。 その間ずーっとレモンも収穫できるんよ。
で、5月はまたハウスのブルーベリーだから、
年中収穫していない月はない。
特にこの夏はちょう忙しいね。
自分ところのだけならいいんだけど、
この島でできたブルーベリーをぜんぶ受けて、
生で売ったり加工したりしてるからね。
リト経:
加工品はどちらに?
横本さん:
広島のアンデルセンさん、紀伊国屋さん、タカキベーカリーさんとかにおろしています。
リト経:
この島のブルーベリーは、
「アントシアニン」が豊富だそうですね。
横本さん:
それは日照量が長いから。
瀬戸内海はかつて塩田があったくらい、
日照が多くて、雨が少ない。 植物っていうのは、
太陽の光をカタチにかえとるんです。
光が少ないところではそれなりのものしかできん。
リト経:
なるほど。 瀬戸内海はカラッとして気持ちが良いですね。
都会の重たく、じめっとした感じがないですね。
横本さん:
あれはエアコンの排気が関係しとるだろう。
でも、ここも暑さは大変だから、昼間は仕事にならんし、
ちょっと昼寝するね。
でもまぁ、暮らしてみんとわからんね。
リト経:
横本さんは、これからの農業をどのようにかんがえていますか?
横本さん:
あのね、 これは40年前から言っていますが、
基本的に21世紀は農の時代になります。
これまでは、なかなか農業は厳しくて、
後継者もいなくて畑は荒れるばかりでした。
でも、本当に農的な生活とか、
ものをつくる喜びとかを若い人が分かってくれるようになると、
百姓がベースの国になっていくはずなんです。
リト経:
昔に戻る、というような。
横本さん:
だいたいね、
日本の工業は職人気質でやってるけど、それは農業が元なんよ。
きめ細かな管理をして米をつくったり、
野菜をつくったりしてきたこと、それを応用してるわけ。
リト経:
なるほど。
横本さん:
もういっぺん、原点にかえらないと、と私は思う。
地産地消とかいうけど、
基本的に食べ物というのはつくった人のパワーと気が入るんです。
料理をする段階だけじゃなくて、 素材の段階からも、
いろんな人間がたずさわっていて、その人の気が入るんですよ。
リト経:
気を食べているということですね。
横本さん:
そう。単純にエネルギーを得るだけなら何でもいいんだけど、
食べた時に美味しいと感じるのは、
それだけたくさんの人の気が入っているから。
その辺がみなさん分かってないんじゃないかな。
リト経:
そこまでは、思っていませんでした。
横本さん:
単純にタンパク質と炭水化物と
脂肪をとればいいということじゃない。
それでは喜びもなんにもない。
いろんな地域のパワーや人の気が合わさって、
食べて美味しい、幸せと感じる食べ物となっている。
いただきます、というのはあなたの命をいただきますということ。
そういったところを、もう一度原点に戻らなければと思う。
リト経:
すごく重要な原点ですね。
横本さん:
あと、離島が面白いのはね、
離島は境界がはっきりしてることです。
離島でないと境界があいまいでしょ。
境界があいまいだと、なんとなく自分の居住スペースなんかも
あいまいになって、平均化するわけですよ。
リト経:
気づかないうちに。
横本さん:
離島は内と外がはっきりしてるから、
そこに住んでいる人は境界を意識せざるを得ない。
それだけ、想いが凝縮してくるわけです。
よそからくると感じるじゃろ?
リト経:
感じますね。土地に対してぐっと近いような。
横本さん:
東京にしても、広島にしても、
ふわふわしている人にくらべて、
島の人は両足が地について生きている人たちの
フィーリングに触れるということは非常に参考になる。
リト経:
そういった点では、
神峯園で外国や日本の方々を受け入れている活動は、
非常に良いものですね。
横本さん:
彼らに聞くと、
東京とか大阪の大都市は世界中どこにいっても同じだそうです。
彼らは特異性というか、違ったものを求めてくるわけです。
そうすると東京とかでは、勉強にならない。
地方とか田舎とか、離島はその最たるものですが
日本人の原点もあり勉強になるんです。
リト経:
なるほど。離島は恰好の場所ですね。
横本さん:
いま来ているドイツ人の女の子は、
大学で日本語と日本文化を勉強して、日本に来ています。
この後は、宇和島や北海道などの全国の地方をまわるそうです。
リト経:
いい体験ですね。
農業を体験することができれば、
若い世代にも、農的な生活が浸透していくのではないかと思います。
本日は、ありがとうございました。