つくろう、島の未来

2024年04月20日 土曜日

つくろう、島の未来

日本の島々は、知る人ぞ知るお魚天国。島々会議004では、漁業・水産業に従事する「魚食を支える島の仕事人」にお話を伺います。4組目の参加者は答志島(とうしじま|三重県)、沖島(おきしま|滋賀県)、真鍋島(まなべしま|岡山県)の皆さんです。

島々会議004|4組目プロフィール

答志島/濵口利貴(はまぐち・としき)
1971年答志島生まれ。元・答志黒海苔養殖研究会会長。2014年、島内の答志地区の黒海苔養殖生産者存続のため、三重県では初めて黒海苔の委託加工導入に取り組み、黒海苔の品質向上や生産者の労働時間短縮などを達成した。
>>答志島(志摩諸島|鳥羽市)の概要


沖島/富田湖大(とみた・こだい)
2002年生まれ、国内で唯一の淡水湖上の有人島、琵琶湖の沖島出身。小学生時代、父親の漁船に乗せてもらったことがきっかけで漁師に興味を持ち、今年3月の高校卒業後、沖島のスジエビ漁を営む先輩漁師の下で見習い中。
>>沖島(沖島|近江八幡町)の概要


真鍋島/濵西 誠(はまにし・まこと)
1984年生まれ、真鍋島出身。幼い頃より、漁師を営む父の姿を見て育つ。高校卒業後、5年ほど板前として働いた後に漁師となり、現在は漁の傍ら「誠翔丸」ブランドで「誠に美味しいひじきうどん」などを製造、販売。
>>真鍋島(笠岡諸島|笠岡市)の概要

Q1.携わっているお仕事の内容を教えてください。

高校卒業後から32年ほど、祖父の代から続く黒海苔の養殖業と、マダイやスズキなどの一本釣りの漁師をしています。父は私が高校生の時に他界したので、海苔養殖については親戚の下で2年修業しました。黒海苔の養殖は10月から3月まで、一本釣りは4月から9月まで行います。

10月後半頃、海苔の種網を浮上筏に設置する作業(提供・濵口利貴さん)

70代の島の先輩漁師と二人で、琵琶湖でスジエビ漁をしています。現在自分は見習いなのですが、漁を教えてくれる先輩は70代にもかかわらず身軽でテキパキ動かれるところがすごいなと思っています。沖島では、ほとんどの漁師が夫婦で漁に出ますが、自分の先輩は一人で工夫して漁をされているので大変勉強になります。5~10月頃までは「たつべ」という籠を使う漁法で漁を行い、それ以外の季節は「沖引き網漁(ちゅうびきあみりょう)」でスジエビ漁を行います。

スジエビのたつべ漁に使用する籠「たつべ」(提供・塚本千翔さん)

漁業、製造、販売です。主な仕事はタイとタコ漁です。年間を通し行っていますが、時期によって漁法や出漁の時間、漁に使う網などが変わります。そのため、それぞれの漁法に合わせた網や仕掛けを積んだ5台の船を使い分けています。ワカメやヒジキの販売は5年ほど前、そしてその海藻を使ったうどんの商売は去年から開始しました。
「誠翔丸」で販売しているヒジキやワカメは、2020年にかさおかブランドに認定されました。真鍋島にはこれといった特産品がなかったので、同じくかさおかブランドの認定を受けた小山製麺さんと「地元のものを使った商品をつくろう」と真っ黒な「ひじきうどん」や、緑色の「わかめうどん」を開発しました。原材料のヒジキやワカメの一部には、販売用のものを加工した時に出た、食べられるけれども売り物にならない部分も使用しています。現在は赤い色の「エビうどん」を発売するべく試作中です。

大漁旗を掲げた濵西さんの船(提供・濵西 誠さん)

Q2.日本人の食卓に並ぶ魚食を支えるお仕事をされているひとりとして、ご自身のお仕事で感じる「やりがい」「楽しさ」「面白さ」を教えてください。

今年の3月から漁師見習いを始めたばかりですが、思った以上にエビが捕れた時はがうれしくやりがいを感じます。スジエビの食べ方は、地元では大豆と炊いた「えび豆」が一般的ですが、自分は玉ねぎや紅生姜を入れたかき揚げも好きです。

高校時代のある朝。漁師である父親とともに漁船に乗り、湖大さん自ら漁船を操縦して登校した(提供・富田湖大さん)

妥協しない限り終わりがないので、次々と考えることができるのが楽しさとおもしろさにつながっています。ひじきうどん、わかめうどんは麺のコシや喉越しにこだわり、販売までに何度も試作しましたし、販売後の現在も美味しさの向上を目指して常にブラッシュアップしています。

笠岡市内で天日干し製法でつくられる、ひじきうどん(提供・濵西 誠さん)

おいしい黒海苔を養殖する方法を追及し、宮城や九州の有明海など全国の海苔生産業者からも「おいしい」と言われる海苔を生産できていることにやりがいを感じます。「海苔は答志島でしか買っていない」と言ってくださる方もいます。答志島の近海は水深が深く潮の流れも速いのですが、そうした厳しい環境を耐え抜くことで香りのよい海苔ができます。その海苔を水揚げしたのちに、陸ですぐに冷凍させ、マイナス20度で2〜3日、長い時は1週間ほど熟成させることで旨みが出るのです。
答志地区では、2014年に黒海苔養殖業に委託加工を導入しました。委託加工する前は、各生産者が海苔の加工を年配者から子どもまで家族総出で行い、誰か一人でも倒れると作業が止まり、廃業してしまうこともありましたが、加工の完全委託により、作業の負担が減り、各生産者の海苔の品質に差がなくなり、品質向上につながって、全体の収入の底上げになりました。

10月後半頃、浮上筏に設置した海苔の種網(提供・濵口利貴さん)

Q3.日々のお仕事のなかで、特に好きな仕事や作業があれば教えてください。

個々の作業の積み重ねで納得のできる1つの仕事ができると思うので、作業については好き、嫌いはありません。冬の寒い時に魚が捕れないとつらいとは思いますが、それも勉強だと思っています。失敗しないと分からないこともあるし、いいものできないので、何事も勉強した、と捉えるようにしています。

見た目が真っ黒でインパクトのある、ひじきうどん(提供・濵西 誠さん)

黒海苔の養殖に使用する「種」は、毎年日本中から答志島の黒海苔の漁場にあった種を探して使用するので、毎年状態が違います。また、黒海苔を養殖する海況も毎年変化します。信じた黒海苔の種が、その年の海況にマッチすると、1日で恐ろしいくらいに伸びるので、そういう時は養殖場である沖に行って種を見るのが楽しいです。

エビが網の中をピチピチと跳ね上がっているのを見る時は楽しいです。

5~10月頃まで行われる「たつべ漁」で捕れるスジエビ(提供・富田湖大さん)

Q4.日々のお仕事のなかで、特に大変な仕事や苦手な作業があれば教えてください。

30年ほど前までは海も元気でパワーがありましたが、今は海中の栄養が不足しているためか、黒海苔の種が伸びず失敗することがあります。そういう時は伸びない種をどうやって伸ばすか?と考えます。海中でゆらゆら揺れる海苔を見つめ海苔と会話をすると、「このままだと腐りますよ」というサインが送られてくるので、その合図を見逃さないようにしています。そこで、弱った海苔を駆除すると1週間ほどで復活することもあります。黒海苔の養殖については毎年1年生の気持ちで、去年と今年で同じことはできないです。私は、海苔の医者や親のような立場ですね。

答志島沖で黒海苔を摘採作業中の濱口さん(提供・濵口利貴さん)

まだ分からないです。

自然が相手の仕事なので、海藻などの天日干しは、気候や天候に左右され思い通りにならないことが多いのが大変です。また、初めて何かに取り組んで、軌道に乗せるまでも苦労がありますね。パソコンやSNSを使うのも苦手です。自分は体を動かして作業する方が得意です。

Q5.ご自身が暮らしている島で生きる日々のなかで、特に「いいなあ」と感じる瞬間を教えてください。

ブラックバス釣りをしている時です。釣りには、漁から帰ってきて気持ちに余裕がある時に出かけています。釣り歴は12年くらいです。大きい獲物が釣れた時はうれしいですね。

高校時代の湖大さん。父の漁船に同乗し、夏に行われるビワマス漁の手伝い(提供・富田湖大さん)

離島、高齢化、人口減少など多くの問題はあり、正直、不便なことの方が多いですが、海がないとできない仕事なので、きれいな海に囲まれていてよかったなと思います。

真鍋島上空より島の港と集落を望む(提供・濵西 誠さん)

答志島には「寝屋子(※)」という独自の制度が今も残っています。冠婚葬祭では、寝屋子の仲間が必ず集まって取り仕切ってくれます。お互い漁師なので、沖へ出た時に、船の事故などがあると自分の漁を放ってでも助けに来てくれるような、絶対に裏切られない絆で結ばれています。こうした島中が家族のような関係性があるのが魅力の一つだと思います。今は、小学校でも1学年の人数が一桁で、子どもの数が少なく同じ年齢で寝屋子が組めないので、様々な年齢の子ども同士で寝屋子を組んでいます。

※寝屋子……答志島の答志町に残る、中学を卒業した男子数名を「寝屋親」に選ばれた地域の世話役の大人が預かり寝泊りさせるなど面倒をみる風習。世話をする家を「寝屋」、預けられる男子を寝屋子と呼ぶ。

※答志島の寝屋子文化を活かした「寝屋子の島留学」について、リトケイで取材した記事が掲載されています。
【島News】「寝屋子の島留学生」募集。世話役が子どもを預かる寝屋子制度が残る東海発の試み

Q6.20年後の未来を展望するとき、ご自身の仕事あるいは島にとって必要だと感じている事柄があれば教えてください。

20年後の食生活がどのようになっているのか想像できませんが、その時の中心は今の子どもたちなので、子どもたちに本物の味、おいしさを伝えていかなければと思います。先日、笠岡市内の幼稚園で、魚の絵を描く時に、魚の切り身に顔を描いた子どもがいたそうで、それを見た園の先生から私に「生きた魚を持ってきて、料理をするところまで子どもたちに見せてほしい」とお願いされました。漁をして、捕れたものを売るだけでなく、本物の魚を知らない子どもたちに、天然の魚のおいしさについて伝えていくことも今では自分の仕事だと思っています。

真鍋島一番の高台より眺める多島美(提供・濵西 誠さん)

現在、答志島では好きな場所で漁が行われていますが、このままでは稚魚も残らずにどんどん魚が減っていくのではないかと思っています。国内のある地区では、漁場を4つに分けて、ある年は一つの漁場を禁漁にして稚魚を放流し、成長させ、次の年は別の場所を禁漁、というように4か所を順番に禁漁として、稚魚がある程度大きくなるのを待ち、漁を我慢するという取り組みを行っているそうです。
魚を捕るだけでなく、魚を育てる取り組みをすることで20年先に「こんなに魚が増えた」となり、漁師も残るのではないでしょうか。できるだけ多くの人に、そうした取り組みに共感してもらうため発信することも課題だと考えています。また、漁協や県の水産課、国の水産庁などが協力し「どうしたら海の資源が残していけるか?」を考えることも必要だと思っています。

黒海苔を加工する答志島の女性たち(提供・濵口利貴さん)

自分は20年後も漁師は続けていたいです。自分と同世代の若い人が沖島に住み、一緒に沖島の活性化に取り組むことで、この島が活気のある場所になるといいなと思っています。

沖島が浮かぶ琵琶湖の水面を照らす満月の光(提供・富田湖大さん)

Q7.島が大好きなリトケイ読者の方へのメッセージをお願いします。

日本の離島では、それぞれの島の魅力や歴史、漁であれば漁法や漁具など、その島ならではのやり方があると思います。答志島始め、離島に興味を持って、ぜひ一度来てほしいです。そして実際に島の魚を食べることでおいしさを知ってもらい、広めてください。
また、答志島の海は、木曽三川と黒潮がぶつかるので潮が速く、栄養満点なため、ここで育つアジやタイは脂がのって身が引き締まっています。スーパーで売られている魚の切り身しか知らない子どもも多いでしょうし、答志島の黒海苔や魚の魅力をもっと発信して本当の魚のおいしさを知ってほしいです。日本中の漁師が、誇りを持って漁をしています。これからもつっぱって頑張っていきたいです!
>>鳥羽磯部漁業協同組合

自分は小学生高学年くらいに父親の漁について行ったことで漁師に興味を持ち、そして高校生になってからは、琵琶湖の漁師をなくしてはいけないと思い始めました。これから、琵琶湖の漁師が増えるとうれしいです。
>>沖島町離島振興推進協議会
>>沖島漁業協同組合

ぜひ誠翔丸の商品を食べていただいてみなさんの「誠においしい」を聞かせてください。また島には、都会にはないゆっくりとした時間があります。ぜひ遊びに来てください。自然の中でその流れに身を任せて、自分を見つめ直すにはいい場所だと思いますよ。
>>誠翔丸

関連する記事

ritokei特集