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2020年01月21日 火曜日

奄美群島本土復帰60周年関連イベントレポート ファイナル。1953年に日本に復帰してからちょうど60年となる2013年12月25日、日本復帰を目指す運動の舞台となった奄美市立名瀬小学校校庭で奄美市、あまみエフエム運営NPO法人ディ!など実行委員会によるメモリアルイベントが行われました。

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■苦難の米軍統治下時代 日本復帰へ熱意

奄美群島(あまみぐんとう|鹿児島県)は終戦後日本本土から沖縄とともに行政分離され、米軍統治下に置かれました。本土への渡航や交易は厳しく制限されたため、慢性的な食料・物不足で人々の生活は困窮。戦後復興どころか経済発展の見通しも立たない状況に島民の危機感は増し、次第に日本復帰運動に発展。集落や村単位での大規模な断食や、14歳以上の住民の99.8%が参加した署名、各地での集会によって、中央政府へ島民の思いを訴えました。運動が実を結び、1953年に日本復帰を果たした時には名瀬小校庭で復帰祝賀会が開かれ、人々は日の丸の国旗を掲げ喜びに沸き返ったといいます。

2013年は、奄美内外で日本復帰に関するさまざまなイベントや講演会などが開かれましたが、1953年に日本に復帰してからちょうど60年となる2013年12月25日、日本復帰運動の舞台となった奄美市立名瀬小学校校庭でメモリアルイベント「復帰の灯」が行われました。このメモリアルイベントは復帰60周年を締めくくる最後の大規模なイベント。夕方からスタートし、次第に夕闇が深さを増す会場には、子どもたちが作ったペットボトルの灯篭が並び、優しい明かりのイルミネーションに包まれました。

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■復帰当時のラジオ放送で60年前を振り返る

開会に先立ち、同イベント実行委員会会長の朝山毅奄美市長は「60年前、この校庭に集い、日の丸を振り、提灯行列で街を練り歩き、祖国復帰を喜んだ。先人たちの熱い思いと行動力を学び、改めて日本復帰60年の喜びを分かち合いたい」とあいさつを述べました。

メモリアルステージのテーマは「記憶・思い・文化~未来へつなぐ」。先人の功績を称えるとともに、次世代にその歴史と思いをつなげていくことを目的としました。「復帰運動の父」と呼ばれる復帰運動のリーダー・泉芳朗氏の「断食悲願の詩」を児童60人が朗読。また復帰当時の作文「祖国日本にかえして下さい」を児童代表が朗読するなど、子どもたちもステージに登りました。

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若い世代の代表である青年団は、復帰祈願の断食が行われた同市の高千穂神社から、会場へかがり火を届けて灯火。集まった人々の熱い思いがいっそう高まるかのように、会場を赤く照らしました。群島12市町村の青年団代表も舞台に上がり、今後の奄美の発展を誓いました。

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そして、60年前の様子を当時のラジオ放送と映像で振り返りました。通信環境が整っていなかった当時、奄美大島(あまみおおしま|鹿児島県)の名瀬市(当時)と鹿児島本土とを無線電話でつなぎ、ラジオの実況中継が行なわれたといいます。

日本復帰を知らせるビラと花が飛行機からまかれ、雨が降り続く中、国旗と提灯を持ち笑顔で街を練り歩く島民たちの姿や、復帰を告げる感極まった泉芳朗氏の肉声などが流れ、会場に集まった人たちはじっと聞き入っていました。

また、当時を知る語り部として、復帰協議会会長だった泉芳朗氏の秘書を務めた同市在住の楠田豊春さんが登壇。日本復帰について「奄美だけでなく東京の奄美出身者など、全国の同胞が一丸となって勝ち取ったもの」と語った。

後半は、島唄や新民謡などに続き奄美出身アーティストの中孝介さんや元ちとせさん、カサリンチュがステージに立ち、華を添えた。

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その後、小雨の降るなか参加者は提灯やのぼり旗を手に市街を歩き、60年前にも行われた提灯行列を再現。復帰の歌を口ずさみながら60年前の喜びを追体験するとともに、若い世代へ歴史と思いをつないでいくことを誓いました。

離島経済新聞 目次

奄美群島日本復帰60周年記念イベントレポート

戦後、約8年間アメリカ軍統治下にあった奄美群島は今年、日本復帰60周年を迎えます。節目の年にあわせて奄美ではさまざまなイベントが開催されています。2013年の秋から冬にかけて開催されたイベントの数々を麓がレポートします。

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