令和7年10月台風で最も大きな被害を受けた末吉地区(以下、末吉)は八丈島の東側に位置するのどかな地区。約200人が暮らす末吉で育った浅沼碧海さんは、大学時代には離島経済新聞社のインターン生としても活躍し、現在は八丈町議会議員としても活躍する。そんな浅沼さんが暮らす地元・末吉地区で開いた「希望」とは。
文・鯨本あつこ
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リトケイインターン時代「島に帰るとは思っていなかった」
さかのぼること2014年、大学生だった浅沼さんはリトケイインターンとしても活動していた。当時を振り返りながら「あの頃は島に帰るとは思っていなかった」と話す。
大学卒業後は東日本大震災の復興の仕事につき福島で勤めていたが、八丈島に帰省する度、末吉地区の人々に「帰ってきてくれてありがとう」と声をかけられた。
浅沼さんも通っていた末吉小学校でゲートボールを楽しむ人々。皆が顔見知りの集落だ(写真:浅沼碧海)
「僕が子どもの頃、末吉の人口は500人くらいで、今は210人くらい。行事などのイベントもいずれできなくなるのではないかと聞いて、次に自分が頑張れる場所は八丈島だと思って帰ってきました」(浅沼さん)
コロナ禍も「誰かのせいにしたくない」八丈町議会の最年少議員に
2017年にUターンし、2021年に八丈町の町議会議員となった。
2022年、はじめての選挙で看板選挙カーで挨拶にまわった浅沼さん(写真:浅沼碧海)
八丈町議会12議席のうち30代の浅沼さんは最年少。若くして議員を志した理由には強い思いがあった。
「議員を目指した時はコロナ禍だったんですが、僕は誰かのせいにするのが好きじゃなくて、コロナ禍の混乱も『国のせい』『町のせい』というのが嫌だったので、それなら僕自身もその責任の一端を担いたいと思ったんです」(浅沼さん)
2025年8月15日、末吉小学校の校庭で行われた「末吉盆踊」。浅沼さんも盛り上げた(写真:浅沼碧海)
そして若手議員として、子育て世代の視点から八丈島を盛り上げるためのアイデアを伝えてきた浅沼さんを、令和7年10月台風が襲った。
「みんな死んでしまった?」末吉の被災に絶望がよぎる
台風前夜、末吉地区の消防団でもある浅沼さんは自宅で待機をしていた。その後、暴風が吹き荒れるなか避難所に行くことも考えたが、停電で電波も通じず、庭の倒木と土砂崩れで車も出せない。
翌朝、なんとか風が弱まったところで避難所に向かうと、景色は一変。避難所となっていた末吉小学校には大量の土砂が押し寄せていた。
土石流が流れ込んだ末吉地区。中央は旧末吉小学校(写真:八丈写真館)
「避難所に向かって大声で叫んでみても返事がなかったんです。本当に、みんな死んでしまったんじゃないかと思った……」。そして別の場所に避難していた地区住民や自宅避難者の安否を確認し、胸をなでおろした。
浅沼さんはその後、土石流の被害状況や道路の状況を消防無線で伝え、災害復旧を独自に始めてもよいかという確認をとりつけた。
末吉住民、消防団員、そして議員という3つの立場が使えたことで、災害発生時に迅速な対応ができ、その後も連絡調整役を担えたことは幸いだったとふりかえる。
約200人の末吉の魅力はシマ思考的コミュニティ力
浅沼さんは、末吉での活動にリトケイの「シマ思考」を重ねていた。
「災害の前に『世界がかわるシマ思考』を読んでいたんです。この本で、コミュニティの最適人数が150人くらいだと知って、末吉地区もそのくらいなので本当にそうだと思っていたんです」(浅沼さん)
『世界がかわるシマ思考ー離島に学ぶ、生きるすべ』(issue+design)は2024年に発行したリトケイの著書。「シマ」は「人と人が支え合えるコミュニティ」を指し、「150人」という数字は、元京都大学総長の山極寿一さんがインタビューで語ったことだ。
150人という数は、人間が信頼関係を結べる仲間の数の最大値だろうと考えています。(中略)いくら通信機器が発達しても、人間が生身の体で付き合える人の数はそう多くありません。ですから、規模の増減はあれども、そういう人たちでつくられている共同体の規模も150人くらいが適当だと思います。
『世界がかわるシマ思考ー離島に学ぶ、生きるすべ』(issue+design)
山極寿一さんインタビューより
この話を、浅沼さんは約200人が家族のような関係性で暮らす末吉地区で実感していた。
「被災した時に、名簿をつくらなきゃという時も末吉だと人づてで全員をすぐに把握できたんです。『あの人は坂下(八丈島の中心地)のこの家に避難している』『この人は入院している』『あの人は家にいる』とわかったのは、末吉の良さなんだと実感しました」(浅沼さん)
唯一の商店が休業した末吉に生まれたカフェと移動販売
そんな末吉地区だが、土石流被害は復旧復興に時間を要するため「いまだ復旧の状態が続き、少しずつ復興に近づいているところ」というのが浅沼さんの実感値。被害の少なかった地域との温度感も否めない。
春の訪れを感じる末吉地区には今も大量の土砂が残る(写真:浅沼碧海)
地区で唯一の商店が休業したことで、日常的に人が集い、お買い物だけでなく立ち話をしながら、情報交換をしていた場所も失われてしまった。
そんな末吉地区に浅沼さんはカフェをオープンさせる。前々から「やりたいな」とは思っていたが、議員の仕事と天秤にかけるなか踏み出せずにいた事業だった。
カフェライトハウスの入口。暖かい光が小さな集落に希望を灯す(写真:浅沼碧海)
「売り上げうんぬんじゃなく、まずは末吉地区に明かりをつけて『僕がここにいますよ』といえることを、僕個人の役割として担いたいと思ったんです」(浅沼さん)
休業した「あさぬま商店末吉店」の向かいにある倉庫で開店したカフェは、地区の希望となるよう「カフェライトハウス」と命名。浅沼さんのSNSをみると、地元野菜の販売コーナーが設けられ、住民自慢の野菜が並んでいる様子が伺える。
カフェの店内に並ぶ住民自慢の野菜に、島の豊かさを感じる(写真:浅沼碧海)
もう一つの希望は、週に1度、移動販売に訪れてくれる富次朗商店が、本格的な「移動スーパー」を走らせるべくクラウドファンディングに挑戦していること。カフェも移動スーパーも、その存在が地区住民の確かな希望だ。
週1回「末吉公会堂」で行われている移動販売の風景(写真:浅沼碧海)
「はしる富次朗商店」は買い物だけでなく地域のつながりを維持するインフラとなる
公助の限界を超えるため、末吉に居続け灯りをともす
「今回の被災では住宅問題などで3割の人を取りこぼしてしまって、(公的な)制度だとやはり7割の人しか救えないのかなという反省が僕自身にも大きくあるんです。それを、議員としてではなく、末吉に住むひとりの個人としてこのカフェで向き合っていったり、救っていけたらいいなと思っています」(浅沼さん)
カフェの開店時間は朝7時。理由はバスで登校する末吉の子どもたちに「いってらっしゃい」を伝えるため
八丈町の人口は現在約6,600人。約200人が暮らす末吉地区に居続け、末吉と八丈島全体がより良くなるように、浅沼さんは前を向く。
「親だけじゃなく、地域の人たちに怒られたり、褒められたり、お菓子をもらったりしながら育ってこれた恩があるので、議員活動やカフェ運営を通して地域に恩返しをしていきたいです」(浅沼さん)
のぼりやベンチなど、地区住民に親しまれていた記憶も受け継ぐ
そんな浅沼さんが今、願うのは「八丈島と末吉地区に来てもらうこと」。
甚大な被害を受けた島の人々も、温かな灯りのともるカフェで来島者と語えたなら、気持ちがずっと明るくなるはず。春の訪れと共に、八丈島・末吉地区を訪れてほしい。
<完>
リトケイと末吉地区へ行きませんか?
3月27日に編集長と末吉を訪ねる「シマビト大学in八丈島」を開催。ただいま参加者を募集しています。災害に負けないしなやかな心を学ぶべく、富次郎商店や浅沼碧海さんのカフェを訪れ、皆で対話を行います。ぜひご参加ください。
詳細はこちら 【復興応援】災害から立ち上がる事業者と語り合い”情け島”の心にふれるシマビト大学in八丈島(1〜6月毎月開催) をご覧ください。
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