400島あれば400通りの個性がある島と文化。 島に関わる人々が、 リトケイ読者に紹介したい島文化とは?今回は、九州島の山間に住むリトケイのタワー多和田が、 意外なところでつながった山と島の文化を紹介します。
※この記事は『季刊ritokei』49号(2025年5月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の公式設置ポイントにてご覧いただけます。
春の蔵開きにやってきた小値賀島御一行。 山間の小京都に佇む蔵に島の 「祝い唄」が響いていた
九州北部の中央部、大分県日田市には海がない。そんな内陸盆地で300年続く薫長(くんちょう)酒造の蔵に、五島列島・小値賀島の「祝い唄」が響いていた。タンタンタンと鳴り響く太鼓のリズムに「よかれ〜よかれ〜♪よ〜のなかよかれ~♪」「ハイヤーホイッ!」と陽気な声がのる。我が手の盃を満たす新酒の誕生を、皆で祝い、唄っているのだ。
口に含んだとたん、米の香りと共に広がる不思議なぬくもり。伝統的な製法として知られる「山廃(やまはい)仕込み」で造られたこの酒は、小値賀島からやってきた「小値賀杜氏」が醸した酒だ。
日本の酒造りはかつて、旅する杜氏たちによって支えられていた。南部杜氏、越後杜氏、能登杜氏、そして小値賀杜氏。その名は単なる出自を超え、技と誇りの証となっていたという。
冬になると島を離れて半年間、蔵に寝泊まりしながら酒を仕込んできた杜氏たち。 家族と離れ、酒造りに人生をかけてきた人々の姿は、出稼ぎという言葉だけでは語れない、奥深く粋な文化だ。
私は2018年から日田に住み、「クンチョウ」と呼ばれ親しまれる蔵の酒も味わってきた。それが島に繋がるものと知ったのは2024年。10年以上前からリトケイでお世話になっている小値賀島御一行が日田にやってきたのだ。
私は2018年から日田に住み、「クンチョウ」と呼ばれ親しまれる蔵の酒も味わってきた。それが島に繋がるものと知ったのは2024年。10年以上前からリトケイでお世話になっている小値賀島御一行が日田にやってきたのだ。
彼らは小値賀杜氏集団の最後の杜氏である近藤義一さんを追いかけてきたのだが、この時まで私は小値賀島に杜氏文化があったことも、何度も口にしてきた酒を島の杜氏が醸していたことも知らなかった。
江戸時代には小京都として栄えた日田・豆田町にある薫長酒造は300年前から現存する歴史ある蔵だ。その蔵を継ぐ冨安大二郎君は、薫長の味を守ってきた小値賀杜氏の技術と、小値賀島の人々の心に触れるなかで、新しい酒の製造を志した。
今年誕生した純米酒「一二三(ひふみ)」は、日田の水と小値賀島の米、小値賀杜氏の技術で仕込まれたもの。島の人々との交流から「小値賀島の米で酒をつくろう」というアイデアが生まれ、たくさんの人の手と想いが重なり合い、わずか1年で実現した酒だ。
小値賀杜氏の意思と技術を大切に守り抜きたいと願う蔵元との物語。親しい小値賀町役場のキーマンも、実は小値賀杜氏の倅だったと聞けば、酒の味はさらに豊かになった。その酒に、祝い唄に、人々の物語に、海のない地域の酒文化を島文化が支えてきたことの感動が押し寄せてくる。
薫長の酒を見つけたら味わってほしい。海を渡った杜氏と島の人々の想い、蔵の誇りが宿った、旅する島文化の味を。
多和田真也 (たわた・しんや)
沖縄県那覇市出身。 母方のルーツ・宮古島と父方のルーツやんばるのハーフ。2018年より大分県日田市在住。時々林業に携わり、2児の父として島と山の文化をたのしむ