2010年に『離島経済新聞』を立ち上げて以来、延べ2,000人以上の島の声にふれてきた、リトケイ統括編集長・鯨本あつこのコラム。九州島の大分県日田市に生まれ、福岡や東京での都会暮らしを経て、ただいま沖縄本島在住。趣味は人とお酒と考えごと。1児の母。ちなみに鯨本は「くじらもと」ではなく「いさもと」と読む。このコラムでは、育児のため赤ちょうちんをくぐる時間が減った鯨本が、本来であればスタッフ陣と酒場で語っていただろう、日々の事柄について綴ります。
本来は居酒屋で語っていただろう赤ちょうちん話
新しい年が明けました。旧年中より当メディア『離島経済新聞』をご愛読いただいている読者の皆様、また、はじめてお立ち寄りの皆様に、感謝を申し上げます。
さて、1年の始まりは事始めにぴったりである。
何かを始めよう!と思い立つと、いてもたってもいられなくなり、思いつくまま走り出してしまうのが、自分本来の性分である。ただ、リトケイも立ち上げから7年目に入り、これまでの経験に学ぶと、メディアの看板的立場にある自分が猪突猛進的な動きをとると、あとでスタッフたちが慌てて片付けする羽目になることもあり申し訳ない(大人になった!)。なので、2017年は飛び出し注意で行きたいと思う。
そんな2017年の事始めに、私はこのコラムを始めることにした。
NPO法人離島経済新聞社(略してリトケイ)は、『離島経済新聞』『季刊リトケイ』という離島専門メディアの発行をベースに、企業や行政との事業を展開している会社で、オフィスは三軒茶屋にある。
スタッフ一同は東京オフィスを拠点に日々、離島地域に暮らす方や、企業、団体、行政の方々とさまざまなやりとりをしていて、私も統括編集長として、メディアづくりや事業プロデュースなどの業務を遂行しているのだが、実のところ、私は2年前から子育てと仕事を兼務するために、夫の地元である沖縄本島で暮らしている。
毎朝、沖縄から東京オフィスにテレビ電話をつなぎ、東京のスタッフと普通に会話をしながら日々の業務を遂行。「意外とできるもんだなあ」とインターネット技術に感謝する次第だが、テレビ電話で叶えられない重要課題もあって、そのひとつがスタッフ陣との「ちょっと一杯」に出かけられないことだったりする。
仕事後のちょっと一杯なんていうと、昭和コミュニケーションと言われそうな時流もある。しかし、我がリトケイのスタッフ陣は、平成生まれのスタッフも含めて、赤ちょうちん派。
同じ屋根の下で毎日顔を合わせる間柄でも、心に秘めた思いを通じ合わせるには、ちょっと一杯が大事と心得ている(あくまでリトケイの場合だが)。
だから2年前までは、しょっちゅうスタッフ陣と赤ちょうちんをくぐっていたのだが、最近といえば、月1〜2回は東京オフィスに出社しているものの、関係先に出向いたり、講演に出たり、子ども連れの場合は一時保育に送り迎えしたりするうちに時間切れになって、赤ちょうちんに辿りつけていない。
そんな間にも、私の頭のなかには、日々あちこちの島で出会った人のこととか、興味深い風景とか、面白いものごととか、夢とか、アイデアとかがわんさかたまっていく……。嗚呼。
そこでコラムである。ここでは、本来はスタッフ陣と酒場で語っていただろう、日々のことについて綴っていきたい。
但し、今年は飛び出す前に注意を払うべく、自分の性格を鑑みて不定期発行ではじめたい。読者の皆様には、赤ちょうちんをくぐったかのようなゆるっとした構えで、ご笑覧いただけたら幸いである。
リトケイが生まれたそもそもの話
前置きが長くなったが、今回は年始めなので(新入りスタッフもいるので)スタッフ陣との意識共有を図るべく、『離島経済新聞』のそもそも話を少し紹介したい。
『離島経済新聞』は、日本のなかで人が暮らしている「島」に特化したウェブメディアで、NPO法人離島経済新聞社が発行している。
掲載する話題は、島の営みに関する話題が中心。
読んでくださっている読者の多くは、いずれかの島に暮らしている方や、出身者や、おじいちゃんおばあちゃんが暮らしているなどの縁故者のある方、島々のファン、仕事で島々に関係している人など。
そんな人に向けて、離島地域の暮らしや地域づくり、移住定住などの募集情報、ゆかりのある人々のインタビュー、コラムなどを掲載しながら、島の営み(=経済)について発信している。
私たちがこの活動をはじめたのは、いまから7年前、私含む設立メンバー数人で、瀬戸内海の島を訪れたことがきっかけだった。
私はそれまで、島といえば家族旅行で訪れていた長崎県の壱岐や、一人旅に出かけた石垣島や竹富島くらいしか知らず、瀬戸内海の島については名前を知る島がほとんどなかった。
2010年に出掛けた島は「大崎上島」(おおさきかみじま|広島県大崎上島町)と言い、人口は約8,000人。その当時は、インターネットで情報を探しても、有用な情報を見つけることができなかったので、そこで何が待っているのか想像できなかった。
広島空港から海に向かい、小さな港から船に乗り込み数十分。島に着くと、そこでは時の流れが0.5倍速になったかと思うほど、おだやかな時間が流れていた。
あとで気づいたことだが、視界に入る島の風景のなかには広告看板がほとんどなかった。都会にいると、街並はもちろん、壁という壁から、空港のトイレ内まで、いろんな広告に囲まれているので、知らず知らずのうちに、視線を動かしたり、頭を使ったり、忙しくしているが、それらが存在しないだけで、脳に自由が生まれた気がした。
それから私は、その島に移住した友人の家を訪れた。
古くとも立派な古民家でぼおっと黄昏ていると、近所の人が土間に現れ、そのおじさんは、言葉少なめにミカンをいくつか置いてった。
散歩に出掛けると、ローズマリーがもさもさと植わっている場所があったので、そこにいた島の人にどこで買えるのか尋ねてみると、手にしていたハサミでローズマリーを切り落とし、その束を手渡してくれた。
商店の店先では、ザルに4〜5本ずつ並べて売られているキュウリに「40円」という値段が貼られているのを発見。おすそ分けをいただいたうえに、キュウリも40円とな……。
その後、友人が招いてくれた島の飲み会で、隣に座ったおじさんに自分がおどろいたことを話すと、おじさんは「この島は宝島だ」と一言。恋人とのノロケ話を語っているかのような満面の笑みで、海の幸、山の幸、人々の笑顔に囲まれるらしい島暮らしについて教えてくれた。
島で目にする風景や耳に届く音には自然物が圧倒的に多くて、機械的なものは少ない。人の数こそ少ないけど、会う人、会う人、一人ひとりから、それぞれがしっかり地に足をつけ、人と笑いあいながら生きているような、強さとしなやかさを感じた。
そういったいくつかのことに感動した私たちは「島っていいね」という気持ちが止まらなくなり、東京に戻って日本の離島について調べはじめた。
すると、日本には離島を専門に扱うメディアは少なく、ウェブメディアは存在していなかった。そこで私たちは離島専門のウェブマガジンをつくることにした。
島々の幸せをつくる「要素」を探す旅。2017年の抱負
それから7年。細々とはじめたメディアをきっかけに、島々との縁がつながり、これまでに取材にご協力いただいた全国の島の方々は延べ2,000人を超え、季刊紙『季刊リトケイ』は120島370カ所に設置いただけるほどになった(日頃からリトケイでお世話になっている皆様、いつも本当にありがとうございます)。
私自身、田舎育ちなので田舎には馴染みが深かった。ただ、離島地域に暮らすたくさんの人の声にふれるうちに、島々には日本のどの田舎にも共通する良さや課題があることに気づき、大げさに言えば「日本の課題と価値」の原点があるように感じた。
リトケイをつくって初めて気づいたのは、日本は島国と呼ばれるだけあって、無人島を含めると6,852島もの島がある(といわれている)。そのうち人の暮らしている島(住民登録のある島)は約400島で、有人離島と呼ばれる島々に約60万人。本土と呼ばれる5島(北海道・本州・四国・九州・沖縄本島)に1億2千万人以上の人が暮らしている。
私はリトケイをはじめるまでこのことを知らなかったが、リトケイをはじめてみると、日本人の多くに知られていないことだと気づいた。
有人離島の人口は、日本全体からすればほんのわずかで、多くの過疎地域と同じく人口問題に悩み、無人化が懸念されている島もある。
ただ、多くの過疎地域と事情が異なるのは、広大で豊かな海に点在する島々は、そこに人が暮らしていること自体が日本全体にとって重要な意味を持つことだ。
だから、たとえば今年4月からは「有人国境離島地域保全特別措置法」が施行されるなど、島の営みをなんとか維持しようとする動きも強まっている。
リトケイは小さなNPO法人なので、国家間で生じる問題など、大きなことを解決することはできない。ただ、取材や事業を通じてふれてきた、島に暮らしている「島で普通に暮らす人」の声や、「島を一生懸命支える人」の声、「島にゆかりを持つ人」の声、島の外に暮らしているけど「島をどうにかしたい人」などの声には、島々の幸せを考えるためのヒントが隠れていると感じている。
不精な人間がリトケイを続けている理由は、人々の声に隠れているヒントが興味深いことと、島に暮らす人の雰囲気が好きだからである。だから、個人的な願いをいえば、いつもリトケイに協力してくださる人々の笑顔が、いつまでも島に存在していて欲しいと思っている。
というわけで、私は今年もリトケイを通じて、島々の幸せをつくる「要素」を探しまわっていきたく、これを2017年の抱負として末筆に添えたいと思う。