琵琶湖の東南に位置する沖島(おきしま)は、淡水湖上に浮かぶ日本唯一の有人島。琵琶湖の恵みを受け、主に漁を生業とする島人が静かに暮らしています。湖上の隠れ家のような存在である沖島を訪ね、島人の皆さんから沖島の過去、現在、未来について伺いました。連載2回目の今回は、沖島の漁師さんを訪ねました。
文・写真 上島妙子
受け継がれる湖上の漁業
沖島の漁師さんたちは、琵琶湖のことを親しみを込めて“うみ”と呼びます。1500年代後半には、織田信長が沖島から地引き網漁による漁獲物の献上を受け、その礼状を沖島へ送ったという記録が残っており、島の漁業が長い歴史のなかで受け継がれてきたことがわかります。
漁師歴50年で自治会長の西居英治さん(71)や、島のお寺、西福寺の住職である茶谷文雄さん(68)に沖島の漁業の今昔についてお話をうかがいました。
■父から子へ、語り継がれる漁師としての心構え
沖島自治会会長・西居英治さんと西福寺住職・茶谷文雄さん
「5月6月、暗くなってから、湖畔で懐中電灯を照らすとテナガエビの目が真っ赤に光る。それを網ですくって獲るんです。京阪神では1匹1000円くらいする高級なものでした。テナガエビを父親に頼んで競りにかけて売ってもらって、中学の修学旅行の資金とお小遣いにできたくらいでしたよ」「そうでしたねぇ」とお二人は昔を懐かしみます。現在、そのテナガエビは、湖に増えた外来魚に駆逐されて幻のエビとなりました。
西居さんは、子どもの頃に祖父から「水三寸あれば漁師として飯が食える、だから勉強はしなくてよろしい」と言われたといいます。日常の主食となる米は、沖島の対岸にある湖を干拓した土地を借りてつくっているそうで、沖島では今も自給自足が成り立っています。
写真左:朝6時頃、エリ漁を準備する漁師さんたち / 写真右:朝の琵琶湖 エリ漁に出航
天候、漁法、漁師としての心構えなどは、父から子へと受け継がれていきます。今でこそテレビの天気予報も参考にすると言いますが、かつては「ケシキを見る」と言って、漁師同士が集まってその日の天候を判断、出航するかどうかを見極めていたとのこと。
「『ケシキを見る』ことにかけては彦根地方気象台より当たると言われました」と西居さん。また、島外から島の漁師にお嫁に来た富田雅美さんは「主人とお付き合いしていたころ、空や風の様子で翌日の天候をピタリと当てるのには本当に驚きました」と語ります。
沖島に恵みをもたらしてきた琵琶湖
沖島には天候を表す「ニシ」「ハヤテ」「ヒアラシ」など独特の言葉がいくつもあります。季節によっては、夜中に漁に出航することもあるため、夜空の星の位置も覚えなければならないとのこと。西居さんは「明けの明星と呼ばれる金星などの星の位置や、ヤマテと呼ばれる闇に浮かぶ島影や岸の景色などを目印に船の上から漁場を確認しています」と言います。「20年ほど前からは魚群探知機も使用していますが、ヤマテで水深や湖底の様は把握できるので、闇夜でも湖のどこにいるかわかる」と西居さんは胸を張ります。
「若い頃は遅くまで夜遊びもして、親父に叱られながら漁に出たこともあった」と笑いながら語る西居さん。これまで、沖島の漁師が事故を起こしたことは一度もないそうです。そのくらい漁師の皆さんは船の操業技術に自信を持っているのです。
■琵琶湖の冬の恵み
島のお母さん手づくり、ニゴロブナの刺身に子がまぶされた一品
沖島を訪れた1月中旬は、ワカサギ、モロコ、ニゴロブナなどの底引き網漁の時期で、早朝5時過ぎ、港から湖の北部へ次々と出航してゆく船の灯りが見られました。また、エリ漁といって、湖の中に仕掛けられた矢印のような形をした定置網の中に追い込まれたワカサギなどの魚をタモ網ですくいあげる漁も行われていました。エリ漁で水揚げされた魚は漁が終わる昼頃、新鮮なうちに堀切港のそばで加工業者さんに引き渡されます。
エリ漁模型
冬場に水揚げされるスジエビも沖島では欠かせないもの。島の郷土料理である「エビ豆」という大豆と一緒に甘辛く煮つける料理に使用されます。西居さんによると「沖島のスジエビは活きがよいので鯛漁のエサとして重宝されています」とのこと。沖島は「エビで鯛を釣る」のエビの故郷でもあるのです。
そして茶谷さんが、漁師の島ならではの風習を教えてくださいました。「かつて、島では犬は飼いませんでした。『魚がいぬ(魚がいない)』につながりますからね」また、島では家の神棚には果物の梨は備えなかったそうです。これは漁をする時に「魚が無し」にならないように、とのことでした。漁を生業とするこの島では、魚が獲れないことは死活問題だったことが、こんな言い伝えからもうかがえます。
■沖島の漁業を子どもたちに伝えたい
笑顔で沖島を語る西居さん
沖島が抱える悩みのひとつは、ご多分に漏れず漁師の後継者問題。現在、島の漁師は約90名で、一番若い方は40代後半。後継者世代の30〜40代の多くは島の外で仕事を持ち、生活しています。
「漁業をはじめとする島の伝統を、自分の孫の世代に当たる子どもたちに伝えていけたら」と西居さんは願います。昨年からは漁師が島内外の小学生に向けて、エビ漁で使用する「エビたつべ」という籠のつくり方を指導する活動も行われました。
西居さんは「元気なうちは“うみ”に出ていたい。健康だったら漁師歴60年を目指そうと思っています」と意気込みます。これからもお元気で、次世代に琵琶湖の恵みを伝えていってほしいと願います。
次回は、生活の場としての「島の日常」を紹介します。
(#03へつづく)