日本の島々は、知る人ぞ知るお魚天国。島々会議007では、漁業・水産業に従事する「魚食を支える島の仕事人」にお話を伺います。7組目の参加者は青島(あおしま|長崎県)、島野浦島(しまのうらしま|宮崎県)、渡嘉敷島(とかしきじま|沖縄県)の皆さんです。
島々会議007|7組目プロフィール
青島/辻川拓海(つじかわ・たくみ)
1992年生まれ、青島出身。幼い頃より父親の船に乗り海に親しみ、対岸の松浦市内の高校を卒業後、父親と共に養殖業を営む。島の過疎化を防ぎ、子どもたちに島と仕事を残したい!と約200人の島民全員が加盟し、2016年に発足した一般社団法人「青島〇」の理事も務める。
>>青島(平戸諸島|長崎県 松浦市)の概要
島野浦島/結城嘉朗(ゆうき・よしあき)
島野浦島出身。福岡県内のスーパーに5年勤務した後、祖父の代より50年続く養殖業を父と共に継ぎ、日豊海岸国定公園の一部である島で漁業に勤しむ。主にカンパチのエサやりを担当。一日のほとんどを海の上で過ごす。
>>島野浦島(島野浦島|宮崎県 延岡市)の概要
渡嘉敷島/照沼拓也(てるぬま・たくや)
1990年生まれ、茨城県ひたちなか市出身。渡嘉敷島に移住して7年、妻と3人の娘と暮らす。地元の学校でダイビングを学んだ経験を活かし、島内でダイビングショップを営みながら漁師を兼業している。
>>渡嘉敷島(慶良間列島|沖縄県 島尻郡渡嘉敷村)の概要
Q1.携わっているお仕事の内容を教えてください。
父と一緒にタイとマグロの養殖業を営み、エサやり、出荷、漁場管理などを行っています。マグロを養殖しているのは島内では私たちだけです。
小さい頃から父親に連れられて船の上で過ごしていたので、「船に乗らんばいかんな」と使命感を持っていました。
島内では、自分の父親世代である50〜60代が漁師仲間を引っ張っており、青島の魚を知ってもらうため、そして島内の人手不足を解消するために島外との交流を行っているのですが、自分も少しずつ青島の魚を知ってもらえる機会を増やしていければと模索しているところです。
島野浦島近海で水産養殖業を営んでいます。魚種はカンパチ、シマアジ、マダイ、イサキ、メジナなど少量多魚種。私は主にカンパチのエサやりを担当し、毎日状態を見ながら一日中つきっきりです。他には、選別・出荷作業、網替え作業、消毒作業などがあり、魚が快適にすくすく成長できるように飼育管理して、取引先の要望に合わせたサイズで出荷していく仕事になります。
島内でダイビングショップを営んでいますが、冬場はお客様が少ないこともあり、空いた日は漁に出るようになって2年目になります。まだ漁師としては見習い中で、最初は漁のことについて右も左も分かりませんでしたが、先輩漁師に魚のいるポイントや海中の季節の違いについて教えてもらい、日々勉強中です。
タンクを背負って、水中銃を使って、主にイラブチャー(ブダイの仲間)、ブダイ、アカジンミーバイ(スジアラ)を捕っています。
Q2.日本人の食卓に並ぶ魚食を支えるお仕事をされているひとりとして、ご自身のお仕事で感じる「やりがい」「楽しさ」「面白さ」を教えてください。
養殖業はただエサをやれば魚が成長するわけではなく、水温や潮流など環境要因で病気が発生したり、台風や時化の影響で魚がスレたり、網が破れて逃げたりと、毎年自分ではどうすることもできない問題にその場ですぐ対応しなければいけません。
そのためには過去の経験やノウハウも大切ですし、周りとのネットワークを持ち情報収集しておくことや、問題が起こることを想定して新しい技術を取り入れたり、設備を揃えたりと、必要だと思うことをすべてやらなければいけません。私がやりがいを感じる時は魚が無事に出荷サイズまで成長し、前年よりも魚を死なさず、一匹でも多くおいしそうな状態の魚を出荷できた時です。
捕れた魚を島の漁協に水揚げすると、今まで話したことのなかったおじいやおばあが喜んで買ってくれて、うれしかったです。漁を通して島内での交流も広がりました。
育てた魚が次第に大きくなるのを実感する時や出荷する時です。
マグロは稚魚の状態で3キロくらい。そこから30〜60キロの大きさになるまで、2年半〜3年かけて養殖します。エサは近海のイワシとサバを与えます。
タイは約10センチのものから育て、2年ほどかけて1.5〜2キロまで育てます。
青島近海は潮の流れが早く、年によって時期がずれることもありますが、10月末〜2月にかけて徐々に水温が下がります。マグロもタイも、この低水期間前にエサの食いつきがよくなり、徐々に脂を蓄え、年によって時期が前後しますが、早いものだと年末には身の締まった脂のりのよい魚に仕上がります。
Q3.日々のお仕事のなかで、特に好きな仕事や作業があれば教えてください。
ダイビングポイントと漁のポイントは違うので、先輩から魚がいる場所を教わっています。ポイントや時間帯、潮の流れなどを、自分なりに計算して、あたった時はうれしいです。漁のポイントについては、時間をかけないと分からなかったですね。
冬場はコウイカの仲間が産卵のために深いところから浅瀬にやってきて、サンゴに卵を植え付けるのですが、そうした動きを見極めながらポイントを探します。
ちなみに、捕っていいサイズが決まっているので、しっかりと守りながら漁を行っています。
仕事で一番好きなことは、年間を通じて行っているマグロの出荷です。生簀から1匹ずつ釣り上げて、すぐに捌いて、瞬間冷凍にして出荷します。
前職でスーパーの魚屋にいた経験があるため、数年前から自分たちで育てた魚を産直ECサイトで切り身やサクで販売しており、海での仕事が終わった後に捌いて真空パックして全国発送しています。海上での仕事はなかなかキツイ仕事が多いですが、魚を捌くことは好きですし、何よりお客さんから自分で育てた魚の感想をもらえることがうれしく、もっとおいしい魚を育てようという気持ちになります。
Q4.日々のお仕事のなかで、特に大変な仕事や苦手な作業があれば教えてください。
従業員が少なく、タイの流し込みや網替が大変です。流し込みは、生簀から生簀にタイを移し替える作業なのですが、魚に傷がつかないよう、また、ストレスがかからないように素早く行っています。
養殖業は少しずつ機械化されてきていますが、全体的にはまだまだ肉体的に大変な仕事も多いです。特に夏場は病気や台風が頻発することもあるし、特にカンパチは水温が高くなることで肌やエラに寄生虫が付きやすくなり、寄生虫を落とす消毒作業を頻繁にやらないといけないことが大変です。それと病気や台風などで死んだ魚をすくう作業は精神的にもキツイ。毎日、世話をしてきた魚が大量に死んでしまうのは辛いです。
水中銃は魚に矢を打つのですが、腹に打つと値段が下がってしまいます。頭を狙わないといけないのが苦労する点です。こればかりは経験を積むしかないですね。
Q5.ご自身が暮らしている島で生きる日々のなかで、特に「いいなあ」と感じる瞬間を教えてください。
島野浦島はほとんどの人が漁業や水産加工業など、海から恩恵をもらって生計を立てています。人口は少ないですが、まき網(イワシ、アジ、サバ)、定置網(いろんな魚種)、一本釣り(カツオ、シイラ)、マグロ延縄、刺網(伊勢エビ漁)、素潜り(貝類)など幅広い漁法の船がいます。ほぼ毎日、何かしらの捕れたてのおいしい魚を食べることができます(笑)
自然に囲まれているところです。朝日も夕日も星空もきれい。家族と一緒に見るとまた格別です。内地では経験できない島ならではのお祭り、そして子どもたちは学校行事で800メートルの遠泳やマラソン、シュノーケリング、SUPなどいろんなことを経験しています。
子どもと接している時です。私の家族構成は、祖母、両親、妻、1歳半になる娘で、昨年12月には息子が誕生しました。
朝、子どもが目覚める前から仕事に向かいますが、仕事から帰ってきて、夜一緒にお風呂入り、ご飯を食べて、一緒に眠ると疲れが吹き飛んで癒されます。娘は島で捕れた魚の刺身が大好きで、毎日パクパク食べています。その日のことを話したり、聞いたり、娘の笑顔を楽しみに仕事をしています。
娘や、これから生まれてくる息子が大きくなったら、私が幼い頃そうだったように、一緒に船に乗って釣りなどを楽しんで海を好きになってほしいですし、息子には私の仕事に興味を持ってほしいと思っています。
Q6.20年後の未来を展望するとき、ご自身の仕事あるいは島にとって必要だと感じている事柄があれば教えてください。
ごみ問題が大きいです。海の中で絡まっている釣り人が残した釣り糸や、ビニール袋のごみを見ると、一人ひとりの海への思いが足りないと思ってしまいます。
島内では、朝と夕方にゴミ拾いをする有志の若手グループがいます。私自身も、普段から海中でペットボトルや空き缶を見つけると回収するように心がけています。また、毎年12月に、島内のダイビングの先輩インストラクターを中心に「サンタクリーン」という海中清掃のイベントも行われており、こちらに参加しています。
2020年には「渡嘉敷ネイチャーガイド協議会(※)」が発足し、会員として所属しています。次の世代にきれいな海を渡したいですし、それは自分の動きにかかっていると感じています。サンゴが美しいきれいな海で仕事ができることの喜び、大切さをお客さんと海に出るたびに思います。残念ながら死滅してしまったサンゴを見かけることもありますが、サンゴの保護活動を行う人々の手によって復活してきたポイントもありますし、魚だって、サンゴがいなかったら存在できないですから。
地球温暖化やサンゴ減少について、島外の人にも理解を広めていきたいです。
※渡嘉敷ネイチャーガイド協議会……渡嘉敷島の属する慶良間列島の自然環境を守り、後世に伝えていくために、観光を通してその魅力や価値を伝えようと2020年5月に発足。島内での長期滞在型のエコツアー、アドベンチャーツアーの企画やガイド育成などを行う
現在、青島の人口は減り続けており、20年後は3分の1になっているかもしれません。
人口減少を食い止めるために、観光業での雇用や本土との定期線の増便、橋を架けるなどやるべきことは山ほどあります。
私の父は、若い人に島に来てもらって一緒に働いてほしいと、島外のさまざまな会合に参加して、青島について発信しています。
ほかの地域とは違った青島産の魚ならではの魅力を知ってもらうことは、なかなか難しいこともありますが、試行錯誤しながら発信できればと思っています。
最近は、青島の特産品を島外イベントに出品したり、地元スーパーと手を組んで青島の養殖真鯛を販売して島内消費を促す活動も始めました。
私の同級生は10人いた男子のうち3人が島に残っており、島外にいる同級生も含めると10人のうち8人が海に関係する仕事に就いています。養殖業者の数でいうと祖父の時代は20数社ありましたが現在は2社になってしまいました。他の漁業や水産加工業も同様に減少しています。これは魚が獲れなくなったこと、儲からないのでやめざるをえなかったという理由が大きいです。
未来のために、私はこれまでの漁業の産業構造を変えるしかないと思っています。具体的には、ただ捕るだけではなく、加工して販売したり、飲食店を経営したり、それぞれの強みを活かし、島全体の産物をプロデュースし商品をつくる「地域商社」をつくるなど、それぞれの会社が6次産業化的な要素を取り入れ、連携して島の魅力的な商品を打ち出し、しっかりとした働き口をつくっていくことが必要だと考えています。 加えて、これまで力を入れてこなかった観光業を支援していく取り組みも必要だと思います。
それが島にUターンしたい人たちや移住者の受け入れ先になり、島全体が活性化していくポイントになると考えています。
Q7.島が大好きなリトケイ読者の方へのメッセージをお願いします。
大変なことばかりですが、一生懸命魚を育てたいと思います。養殖の魚は新鮮でとてもおいしいです。全国のみなさんがたくさん魚を食べて、魚食普及にご協力いただければ幸いです。
島の良さは「余白」や「手付かずの地域資源」があるところだと思います。
ただの田舎の過疎地だと感じる人もいるでしょうが、そこにしかない地域資源がありますし、島に住んでいる人を魅力的に感じる人もいるでしょう。その魅力に気づいた人にはとても素晴らしい土地に感じるのではないかと思います。
これから、結城水産では新しく加工場を建設して自社で養殖した魚を刺身用や味付け商品に加工して販売する事業を進め、全国の一般消費者向けの産直ECサイトでの販売や、魚を捌くのが大変になった島の高齢者向けに漁協直営のスーパーで買えるようにします。事業が軌道に乗れば他の漁師たちから天然の魚を買い取り、加工して島の魚のおいしさを全国に伝えたいです。
魚を捌く加工場での仕事や、魚の養殖業に興味のある方、一緒に島野浦島で働きませんか?
>>結城嘉朗さんが経営する「有限会社結城水産」の魚が購入できるサイト『POCKET MARCHE』