つくろう、島の未来

2024年11月21日 木曜日

つくろう、島の未来

島とアーティストが育てた不思議な学校『龍宮学校』。高知県の沖合にある人口30人の鵜来島で、2009年より始まった「沖ノ島アートプロジェクト」の一環で今年開催された、4日間のみの学校です。真っ白な小中学校の廃校を利用し、アーティストや島のおじいちゃん、おばあちゃんが先生となってみんなで一緒に創りあげた、島を想う人のための学校です。そのレポートを、企画者の一人である隊長檸檬さんが書いてくれました。

(文・隊長檸檬)

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鵜来島は高知県西端の沖合に位置する島。
人口は30名弱で、そのほとんどが高齢者の為、
近い将来、無人島となることが危惧されています。
商店や自動車用道路、診療所といった資源が存在しない一方で、
かつては流刑地や軍事基地でもあり、また川のない島ならではの
風土や文化が見え隠れします。

その島で、2012年夏、「龍宮学校」という
新たな物語が始まりました。

アートで島を盛り上げる「沖ノ島アートプロジェクト」

2009年春、高知県宿毛市の沖の島および鵜来島で、
島外のアーティストが一定期間、島に滞在しながら制作活動を行い、
創った作品を発表する「沖の島アートプロジェクト」が発足しました。
それにより、何人かの美術作家が沖の島と鵜来島を訪れるようになりました。
もともと観光島でないために、島には閉鎖的な一面があったといいます。
「こんななんにもないとこに、あんたたちよく来るねぇ」
おじいちゃんもおばあちゃんも、
何度も島に来る私達を不思議そうに見つめています。

「なんにもないっていうけどさ、なんでもあるよな」
どこまでも透明な海、闇、虫の音、空、暑さ。静かな過去、
止まった時間、まっさらな、未来。
私達は、鵜来にしかない時間軸に圧倒され、感動に支配されていました。
「今のままでは、確実に島はなくなる。どういう未来が正解か、
まだわからない。だから、あなた達の企画をやってみてもいいと思う」
区長さんはじめ、鵜来島を想う多くの方々の後押しと助けを頂き、
プロジェクト型作品を2011年から立ち上げることになるのです。

2011年「るくる島黄金伝説」

2

翌年2011年の夏、鵜来島を舞台にリアルRPG合宿
るくる島黄金伝説」が開催されました。
鵜来島に伝わる歴史や説話を下敷きに作成された小説
「るくる島黄金伝説」の世界を、実際の島を巡りながら追体験しつつ
小説の謎を解く、という体験型のイベントです。

参加者は物語の主人公となって、るくる島のふしぎなスポット
(七角井戸、灯のともらない灯台、軍事施設跡等)で待機している
登場人物から話を聞き出し、黄金伝説の謎に迫ってゆきます。
島の神社や井戸に、黄金伝説を解くカギとなるアイテムとして
陶芸家やペインティングなどのアーティストによる作品が設置され、
アーティストの一部が作中の人物を演じるキャストとしても登場しました。

最終夜には誰も予想しなかったエンディングが次々に発表され、
冷や汗と感涙で、大盛り上がり。
同時に、高知工科大生による建築プロジェクトや、
高知県立大学生による食プロジェクトも行われ、
島中に若い声が響き続けた夏となりました。

この時の高揚感は、ただただ感謝。
私達がなにをやっているのか、おじいちゃんおばあちゃん達に
全部伝わっているわけではないでしょう。
けれども、汗だくで草苅やゴミ拾いをするみんなには、
次々と魚やスイカの差し入れが届き、
島を離れる時には、堤防までおばあちゃん達は、色とりどりのタオルを振って
船を追いかけてくれたのです。
小さくなる島を涙目で背にし、私達は「また来年!」と手を握ったのでした。

2012年、「龍宮学校」開校

そして2012年、春。
るくる島黄金伝説を演じたアーティスト達によって、
新しい「学校」企画が立ち上がります。

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遡って高度経済成長期の80年代初頭、鵜来島では教育運動が盛んでした。
島に赴任した教職者の熱意もさることながら、島民が一体となった
運動であったといいます。高校進学率が飛躍的に向上した一方で、
島の主要産業である漁業の継手である若者の島離れが進んだのです。

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海から見てひと際目立つ鵜来島小中学校の白い校舎は、
1987年に廃校となりました。
おじいちゃんおばあちゃんが話をしに集まってくる
学校入口の時計は、6:05をさしたまま止まっています。

「鵜来島を想う人、島を好きな人、島の未来を考える人を増やす、繋げる」
「演者と鑑賞者をわけず、1人1人主体的に島に関われる方法で」
「おじいちゃんおばあちゃんたちからもっと学びたい!」

そんな想いを持ったアーティストが集まり、廃校を利用した4日間限りの学校を
開催することにしたのです。

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参加者は限定30名。
日本各地からこのために集まってきたアーティストや、
島のおばあちゃん、おじいちゃんが先生となり、
島の海や自然、そこにある土地や施設を利用しながら
「写真」「郷土学」「近代戦争史」「素潜り」「陶芸」「家庭科」
といった数々のユニークな教科を学んでゆきます。

校訓:自由 自治 自尊
校則:島をだいじにすること、体をだいじにすること、亀をだいじにすること

東京からバスと電車でおよそ20時間。
主催者にも、参加者にも、決して便利な場所とは言えませんが、
思うに、作り手にとっても参加者にとっても、島への距離は必要な距離なのです。
時が止まったかのような島のあたたかさを感じながら、自分を見つめ返せる距離。
そして、違う世界にきたかのようで、日本の未来かもしれない島。

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そして、いよいよ「龍宮学校」開催前日。

顔をほころばせながら、
鵜来島の区長さんは準備してきたみんなの顔を見つめました。
「この島には何もないと思ってた。数年後には、
島の人は殆ど変わってしまいます。でも、島を想う人が、
島を訪れて、みんなの”ふるさと”として、
鵜来島が続いていくんじゃないか。
感動で繋がっていくんじゃないかと思うようになった」

ツイッター上では、部活のひとつ「ARG部」生徒が校歌を口ずさんでいます。

♪わーれーら〜なーかーよしー うーぐーるーの子〜♪

「みんなのふるさと」島で学び、「みんなのふるさと」へ持ち帰る。
果たして、どんな4日間になるのでしょうか。
開催当日の様子は、後編に続きます。

     

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