つくろう、島の未来

2025年01月15日 水曜日

つくろう、島の未来

全国の島々には、さまざまな個性と魅力をまとう老若男女が暮らしています。そこでリトケイはZ世代やα世代と呼ばれる10〜20代の3組に注目。3つの島で生きる「逢いたい若者」とはどんな人?今回は、福岡県・相島(あいのしま)で活動する相島少年消防クラブの皆さんです。

空にも届きそうな「島を守る」号令

福岡市内からも近い相島は近年「猫の島」として世界的な注目を集めている。この日も可愛らしい猫たちを一目みようと多くの観光客が押し寄せる中、リトケイは相島が誇る「BFC」を一目みるべく新宮中学校相島分校のグラウンドに向かった。

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グラウンドではオレンジと紺の制服に身を包んだ生徒が数人。我々を見つけて駆け寄ってきた稲光郁斗 (いなみつ・あやと)さんは、開口一番「今日は本当にすみません!」と謝罪の言葉を伝えてきた。

稲光さんは相島少年消防クラブ(相島BFC)の中隊長。相島育ちの中学3年生だ。これからグラウンドで軽可搬ポンプ操法を実演するというなか、お詫びを告げた理由は、放水に使うポンプがひとつ壊れていたから。

「本当はポンプを2台使って全員でやりたかったんです!でもひとつ壊れてしまって。本当に申し訳ないんですが、今日は1〜2年生だけでやらせてもらいます!でも、1〜2年生も本当にうまいんです。できる限りやります!」。

相島育ちの中学3年生・稲光郁斗さんは今年11月まで相島少年消防クラブの中隊長として活躍

あまりの真剣さがお詫びとなって出てきたのだろう。そう語ると稲光さんは、本番を待つ隊員の元へ走って行った。

「ただいまから! 軽可搬ポンプ操法を開始します!」。空に届きそうな掛け声と共に、中隊長含む7人が軽可搬ポンプの元へ。集合、装備の点検、ホースを転回し筒先を持って火元へ走り、放水。無事に放水が終わると再び集合し、大隊長に結果報告。この間約9分、中隊長の号令に呼応する隊員たちの一糸乱れぬ動きは圧巻だった。

この日、 実演を行なったのは1~2年生の隊員と3年生の中隊長の7名
軽可搬ポンプ車へ走るメンバー。 グラウンドからは本土の街並みと山々が間近にみえる

150年前の大火災から継承される防災意識

そこに軽可搬ポンプ操法を終えたBFCのメンバーが続々と部屋に入ってきた。「遅れました!」「失礼します!」と礼儀正しく、きびきびと席についた12人のメンバーに、BFCについて尋ねてみる。

少年消防クラブ (Boys and girls Fire Club)とは、主に小学校4年生から高校生が参加し、防火・防災の知識を身につけるための活動。全国に約4,106の少年消防クラブ

があり、約39万人のクラブ員が活動している(令和5年5月1日現在)。

防災マップづくりや防災訓練等への参加など、クラブによって活動内容はさまざまだが、相島BFCは歴史も内容も一味違う。グラウンドから図書室に移り、相島分校の大久保雅美副校長がその歴史を教えてくれた。

相島分校の大久保雅美副校長(左)と大隊長を務める高橋秀剛先生(右)

「1870年に島の大半を焼いた大火災をきっかけに、住民は強い防火意識を持つようになりました。1948年に生徒会の発案により火の用心を呼びかける『夜回り』がはじまり、1953年に少年消防隊結成。1955年にBFCが誕生し、それから76年に渡り、活動が続いています」。

中学生が防災を担う理由は、大人が不在の時でも島を守れるように。漁業が盛んな相島は、大人が漁に出掛けている間は子どもや女性、高齢者ばかりとなり、本土から消防が駆けつけるにも時間がかかる。

 2011年の東日本大震災では当時、本土と橋でつながっていなかった気仙沼大島で大規模な山火事が起きた。4日間に渡り続けられた消火活動では、女性や中学生を含む住民らが活躍していた。

訓練を見守る大隊長と3年生のメンバー

災害に対する備えといえば、自分自身の身を守る 「自助」と、地域コミュニティの人々と助け合う 「共助」、市町村や消防、警察、自衛隊といった公的機関による 「公助」がある。

公助が届きにくく、人数も限られる島では、住民同士の共助力や子どもたちの活躍も重要。相島BFCが76年以上続くことには島らしい背景もあるが、それ以上に注目すべきは子どもたちの純粋なまなざしだ。

「火」に見立てた標的をめがけて放水を行う

週4日、絶えず続く火の用心

初めての印象は「運動会で見てかっこいいなと思った」「はじめてみた時はすごーい!と思った」という気持ち。でも、いざ入ってみると 「練習は厳しい。いつも真剣」「動きが細かくて難しい」「島を守りたいという思いを私も背負えるのか?」という苦闘の数々。

しかし「かっこよさの裏側に日々の練習の積み重ねがあったことが分かった」「全員でひとつのことに向かって協力しながら活動できている」というBFCにかける想いが皆に共通していた。

ちなみに生徒12人のうち9人は本土側から通う「漁村留学生」。島に暮らす3人は1948年から続く「夜回り」も担っているという。

夕方の港で本土側に帰る船を待つ漁村留学生のメンバー
本土までは20分足らず。明日もまたこの船で島の学校に通う

かつて相島の生徒が多かった頃は当番制で毎日行われていた夜回り。現在は、月・水・木・日の週4回、21時から40分かけて3人が集落を一巡。カチカチと拍子木を鳴らすだけにあらず、伝統の節回しで真剣に「火の用心」を呼びかけている。

「年に一度ある『一斉夜回り』 では留学生も島に泊まり、手づくりの『火の用心ステッカー』 を一軒一軒回り住民に配布しています」。きらきらとしたまなざしでBFCについて語る生徒たち。

今年度から赴任した大久保雅美副校長もBFCの存在こそ知っていたが、百聞は一見にしかず。「自分たちの島は自分たちで守るという熱い想い、島の人を安心させたいという中学生の想いがあってこそ、76年間継続して、形骸化することなく今も高みを目指しているんです」と目を輝かせた。

「夜回り」の結果は日誌にまとめられ報告されている

真剣に取り組み、たくましく成長

大隊長を務める高橋秀剛先生は「相島の子どもたちは本当にたくましい」と語る。「これしろ、あれしろと言ったこともなく、子どもたち同士で衝突することがあっても『どうする?』といって自分たちで解決しています」。

この夏も「ぶつかる瞬間があった」と中隊長。夏休みも休まずBFCの活動を続けていた生徒たちは、ポンプを2台使い、2つの小隊が同時にポンプ操法することに挑戦していた。「4人でも動きをそろえるのは大変なのに、2つの小隊でそろえるのは本当に難しいんです」。

練習の成果を披露する運動会で「選抜メンバーとしてひとつの小隊で行うか、ふたつの小隊全員で行うか」と悩んだ結果、後者を選んだという。「上手いだけが大切じゃなくて、みんなで心をそろえてやることが大切だと気づきました」(稲光さん)。

歴史ある相島BFC活動は、 内閣総理大臣賞をはじめ多くの賞を受賞している

「動きもきついし、声がかれる。真剣にやっている分、お互いの気持ちがぶつかることがある」という毎日の練習に加え、島のメンバーは「夜回り」もある。「雨風が強い日とかテスト前は行きたくないな〜と思います」という稲光さんの笑顔からは、1日50分の夜回りに3年間で1,000時間以上を費やしてきた誇りも感じられた。

このまなざしが新たな「あこがれ」を生むのだろう。島に住む2年生の花田瑞希さんは「中隊長をやってみたいとずっと思ってきました!経験のある両親に分からないことは聞いています」と語ってくれた。

人口約230人の小さな島には、76年前に初代BFCメンバーとなった島人はもちろん、保護者世代も先輩として存在する。脈々と受け継がれる防災意識が、キラキラとしたまなざしと共に今も高みを目指しながら存在することは奇跡的にもみえるけれど奇跡であってはならない。

公助やサービスをあてにして、私たちは重要な意識を失ってはいないだろうか。我が身を振り返り、相島BFCから学べることの多さに気づいた。

相島 (あいのしま)

福岡県新宮町。人口224人 (2024年9月末時点)、 周囲約7キロメートル。 玄界灘の豊かな漁場に恵まれ漁業が盛ん。江戸時代には外国船を監視する遠見番所が置かれていた。海外メディアにより世界の猫スポットとして紹介されたことで国内外からの観光客が急増している

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逢いたい島人

北海道・本州・四国・九州・沖縄本島という大きな島と、417島の有人離島に人々が暮らす日本列島。有人離島には総人口の0.75%にあたる約90万人が暮らしています。

周囲を海に囲まれる離島の特徴は、独自の文化が育ちやすいこと。固有の自然や独特の歴史文化に多くの魅力がある一方、島に暮らす人やファンに、その魅力を尋ねると「人」という答えが返ってきます。

そこで本特集では、2024年の今、リトケイが注目する「逢いたい島人」を特集。逢いたい島人の想いやまなざしに、今とこれからを豊かに生きるヒントが隠れています。

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