リトケイ読者アンケート「かつて島の子どもだった」読者のご意見【特集|子どもは島で育てたい】

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子どもの気持ちは子どもしかわからないもの。島で子ども時代を過ごした経験を持つ読者に、アンケート(※)を実施。子ども時代の経験や感想について伺ったご意見から、抜粋して紹介します。

※2020年6月8日から6月21日の間、0~18歳までの子ども時代に日本の島々で過ごしたことのある読者を対象にインターネット上で実施。奥尻島、飛島、佐渡島、大島(東京)、新島(東京)、八丈島、父島、見島、答志島、坂手島、島後(隠岐の島町)、直島、家島、大三島、江田島、横島(福山市)、弓削島、岩城島、興居島、生口島、広島(丸亀市)、北木島、姫島(大分)、対馬島、小値賀島、黒島(佐世保市)、五島列島、福江島、湯島、甑島列島、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、多良間島、渡嘉敷島、宮古島、石垣島、西表島、八重山諸島、瀬戸内海の島々など、さまざまな島で子ども時代を過ごされた77名に回答いただきました

※この記事は『季刊ritokei』32号(2020年8月発行号)掲載記事です。フリーペーパー版は全国の設置ポイントにてご覧いただけます。

●家にこもることなく、毎日お友達と外で遊んでいました。毎日思いっきり遊び、退屈だとか思ったことはなく、楽しかった思い出しかありません(キャンベルスープ/30代)

●物がない場所に住むということが、こんなにも恵まれていたんだと今は気付ける。無ければつくればいい、工夫すればいい、という感性を持てたのは島で暮らしていたから(わかめ/30代)

●地域全体が誰がどこの子かわかるので悪さはできない(笑)。どの子でも悪いことをすれば他人でも大人が叱ってくれる(にし汁Love/40代)

●遊泳禁止区域がなかった。ハブのいる島なので、危険予知能力が身についた。江の島の砂が黒いのに驚いた(aqualand777/50代)

●住んでいる地区の住人が、大体顔見知り。私が3歳の頃、島の端っこに住んでいる友達と遊ぶと行って勝手に外出。まさか3歳で島の端っこまで、歩けるわけないだろうと、母親は必死で家の近辺を探した。その間、私は端っこまで歩いていたらしく(しかもおしっこを漏らして)住人が『あの子、あそこの家の子じゃないか?』とお家まで送り届けてくれたとの事(花子/30代)

●とにかく自然がすぐそばにあることが良かったと、島を出てから気づかされました。同級生も少なく、学校の雰囲気もどことなく家庭的で、貴重な体験だったと思います(おゆちゃん/20代)

●じいちゃんとお父さんがイカを獲ってくれば家族総出で箱詰めしたり、一夜干しにしたり。仕事の合間に、浜にゴザを敷いて、大きな鍋で茹でたじゃがいもをみんなで食べたのがとっても美味しかったのを今でもよく思い出します(よっこ/30代)

●自分のお祝いに沢山の大人が来てくれる事が嬉しかった(あたり/30代)

●近所に住むおばあちゃんたちが気にかけてくれたりお菓子をくれたり野菜を玄関先に置いておいたり人の温かさを感じる(こうママ/30代)

●人数が少なかったので仲が良かった(tom/40代)

●中学校2年生の時から、地元の「豊年祭」という豊作を祈る祭に踊り手として20歳まで舞台で踊った。地域に住む青年会のお兄さんお姉さんや、おじさんおばさん達とも接する機会となり、すごく楽しかった(犬好き/30代)

●小学校の時に、小さな劇団をつくり活動していた。活動を皆が喜んでくれたので、自分がもっとお芝居の勉強をして、いつか島の皆と舞台をするのが夢だった。都会にでて、16年ほど経ちますが。心は常に島にある。皆が私を必要としてくれる有り難さを今も、感じます(しぃさぁ〜/30代)

●海の底に寝そべり、そこから見上げたきらきらときらめく青空(TOM/40代)

●切り身じゃない魚を見れること。何にもないけど、なんでも遊びものに変わること(だいふく/40代)

●島内はほぼ知り合いなので安心安全。部活後に友人たちと服のまま海で遊んで、濡れたまま自転車漕いで家に帰っていた。祭りの行事に深く関わることができた(みょん/20代)

●夏休みに毎日海で遊んだけど、桟橋から飛び込んで大丈夫な潮の高さも、上級生が下級生に教える。
あと、学校で無視されたりいじめがあっても、地域の人は毎日変わらず挨拶してくれる。学校でいろいろあって疲れてても、帰り道に海に沈む夕日を見ながら、明日も頑張ろうと思えた(ごごQ/40代)

●不審者が少ない。島外の人は生活エリアには滅多に入らないし、来ても方言の違いから子どもが怪しむことができる。玩具よりも自然物で遊んだため、自然のなかにたくさんの不思議や驚き美しさがあることに気付いた。(うつみっこ/30代)

●島での生活は自然のサイクルの中で生かされている感覚があって、大人になった今も「生き物として自然かどうか」という視点がある(のぞみ/30代)

●給食の先生が島のおばちゃん達だったので、毎食手づくりの温かいものが食べれて、嬉しかったです(guriyotic/30代)

●春は桜並木をくぐりながら登下校。春から初夏にかけて、母と潮干狩りに行くのが習慣でした。今でも、そんなロハスな島の暮らしが好きです(バジル栽培初心者/40代)

●建築、アート、教育など最先端のものがあったため、外の学校環境を知った際に、逆に驚いた(雄大/30代)

●隣、近所と助け合いがあった。優しい大人が多かった(そら/40代)

●中学校2年生から20歳まで、地元の「豊年祭」の踊り手として舞台に出た。地域に住む青年会のお兄さんお姉さんや、おじさんおばさん達とも接する機会となり、すごく楽しかったことを覚えています。非日常の感じがドキドキしました(犬好き/30代)

●子ども会で海に行くと、防波堤から大人に誰かしら投げ込まれてて、必ず誰かが泣いて面白かった。部活の練習はグラウンドだけじゃなくて海、山、公園、いろんなところを自由に使って楽しかった(長崎支店長/20代)

●年代の違う子どもが、兄弟の様に遊べた事。大人になってもその繋がりがある事(サクラ/40代)

●釣りに行ったり、磯遊びをしたり、山菜とりに行ったりと、今でも時々夢に見ます。磯でカニやヤドカリを捕まえて来ては、海で拾った石や砂を入れた大きなたらいに海水を張って飼っていました。家の中で、潮溜まりの世界を再現しょうとしたのです。
その後の人生で、この時ほどゆったりとした時間を過ごしたことはありません。今では、一つ一つの記憶を小説のネタにしています。また、海の彼方にある本土への憧れ(幻想)をいつも持って生きていました。憧れを持つ事は、心の財産に他なりません。(海辺野夏雲/50代)

●海・川での海水浴、貝採り、大人たちの方言による会話(方言でしか表現できないニュアンスがあり言語はアイデンティティそのものだと思う)(ちゃみ/30代)


<ご回答いただいた皆さま>
キャンベルスープさん、わかめさん、にし汁Loveさん、aqualand777さん、花子さん、おゆちゃんさん、よっこさん、そらさん、あたりさん、こうママさん、tomさん、犬好きさん、しぃさぁ〜さん、TOMさん、だいふくさん、みょんさん、ごごQさん、うつみっこさん、のぞみさん、guriyoticさん、バジル栽培初心者さん、そーだいさん、むーさん、ぜんさん、さんしまさん、長崎支店長さん、にし汁Loveさん、とりとりさん、スタジオアナグラムさん、サクラさん、ラリアットパパさん、いとーまんさん、ともごんさん、あたりさん、海辺野夏雲さん、takaさん、ゆさん、ちきちき南蛮さん、まさっちさん、浜津のキャクサレさん、S.Kitagawaさん、太剛志さん、せんぷうきさん、けんきちさん、ソフトクリームさん、しぃさぁ~さん、あいさん、上田さん、ダンさん、モコさん、hazeさん、あつみんさん、台風くん、ひつじさん、canaeさん、きーさん、ほづみさん、カドジュンさん、Jaco88さん、ふくしんさん、やまねさん、ヒコッピー君、家島次郎さん、たおさん、雄大さん、さおさん、黒糖焼酎大好き兄さん、Halさん、かすみさん、はるさん、しおこんさん、たまきさん、よしなりさん、島っこさん、Fukaさん、ミイヤトイラさん、ハンバーグさん、よっこさん、しまこさん、ちゃみさん、ユーカリさん、ご協力をありがとうございました。

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