「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。
対馬を世界中に誇れる島にしたい。
16年間島外で暮らしたからこそ感じる魅力。
対馬の生活をより良くするため、家事代行や育児支援サービスを立上げた川上さん。中学卒業後に地元を飛び出し、20代を海外で過ごしたからこそ気づいた対馬の魅力とは。お話を伺いました。(編集:another life.編集部)

川上のぞみ(かわかみ・のぞみ)。これまでに国際協力NGOの活動、ボランティア活動も含め世界13か国35都市で幼稚園教諭、保育士、ベビーシッター、日本語講師、子育て支援員としての経験を持ち、2017年に長崎県の離島、対馬にて家事代行や育児支援サービスを行うつしま家事育児支援センターを経営する。 (2017年2月創業)
保育士になって託児所を作ろう
長崎県の対馬で生まれました。小さい頃から目立ちたがり屋で、人と違うことをしたいと思っていましたね。小学4年生でピアスを開け、5年生で髪を茶色に染めました。中学生くらいになると、車を持っている年上の先輩たちと仲良くし始めて背伸びした行動ばかり。とにかく田舎暮らしが嫌で早く地元から出たいと思っていました。
一方で、対馬の家を残さなければいけない、みたいな意識は小さい頃からあったと思います。私は二人姉妹の妹ですが、小さい頃から「長男とは結婚してはダメ」という空気がありました。相手の家に入らなければなりませんから。また、先祖供養の行事を仕切る親を見ていて、親が亡くなったあとは自分たちが引き継いでいくんだろうな、と思いましたね。
とはいえ、それはずっと先のこと。都会への憧れが強くて、中学卒業後は福岡の高校に進みました。都会生活は楽しかったですね。まず、学校帰りに遊ぶ場所があるんです。カラオケとかカフェとか、賑やかな雰囲気はイメージしていた都会そのままでした。
遊んでばかりで、入学して2ヶ月くらいで高校をやめました。元々、親に言われて渋々進学しただけだったので、親の目が届かなくなって、いきがっていたんです。
ところが、自由を謳歌している最中、母が亡くなりました。高校在学中私宛に「高校をやめることは許さない」と書いた手紙をもらいました。亡くなってしばらく経ってからそれを読み返して、親に反発して、自分勝手な行動ばかりしていたことに後悔しました。
その後、もう一度高校に行くことにしました。定時制の学校に通いながら、昼はアルバイトをする生活。進路のことは何も考えていませんでした。将来何をしたいか分からなかったんです。
すると、担任の先生に、短大の保育科だったら推薦でいけると勧められました。短大に行くことなんて頭になかったんですけど、周りにシングルマザーの友達も多かったので、保育士になり、託児所を作って、友達の子どもを預かるのもいいかもしれないって思ったんです。自分に子どもができたときも、子育ての知識は役立ちます。それで、短大の保育科に進むことに決めました。
世界中の子どもと触れ合ってみたい
2年生の時に、海外研修に行く機会がありました。デンマークとオーストリアでの研修の募集があり、応募してみたんです。保育を学びたいというよりも、海外に行ってみたいという好奇心が強かったですね。
初めての海外は、今まで見てきたものと何もかも違って、とにかく楽しくて刺激的でした。人も、食べ物も、言葉も、環境も、全部違って「これが外国か!」みたいな。空港に着いて、入国カウンターを通るのも対馬空港とは全然違います。1週間ほどの滞在だったんですけど、ずっとワクワクしていました。
現地の幼稚園では、子どもたちが『黒猫のタンゴ』を現地の言葉で歌ってくれたことに衝撃を受けました。なんでその曲を歌ったのか考えた時に、日本人が知ってると思って練習してくれたのかもしれないし、もしかしたら、私が日本の曲だと思っているだけで、本当は外国の曲だったのかもしれないと気づいて。嬉しい気持ちと同時に、世の中には自分が知らないことがたくさんあると知ったんです。
また、保育のスタイルも日本とは全然違って、子どもたちがのびのびと過ごしているんですよね。まさに自然と共存しているような印象でした。もっといろんな世界を知りたい。世界中の子どもたちと触れ合いたい。そんな気持ちが強くなり、短大卒業後は就職せずに、いろんな国に行ってみることにしたんです。
将来に対する不安は全くありませんでしたね。ただ、いつかは対馬に戻って来なければならないとは意識していました。親に心配や迷惑をかけたことがずっと心の残っていて、いつか私が父親孝行をして幸せにしたいという気持ちが強くありましたから、いずれは私が家を継ぐと考えていたんです。
外国で暮らす日本の子どもに伝えたいこと
海外に行くと決めたものの当時全く英語が分からなかったので、まずは半年ほどアメリカに語学留学。一度日本に戻りお金を貯めて、今度は保育に関わるためにアメリカへ行きました。ただ、保育系の仕事をするには経験が足りなかったので、幼稚園や教育施設でのボランティアをしました。ロサンゼルス、ニューヨーク、ボストン、さらにカナダまで足を伸ばし、子どもたちと触れ合いました。一緒に歌を歌ったり、手遊びをしたり。とにかく交わるというか、アメリカでの保育を体験できましたね。
3ヶ月ほどで日本に戻ったあとは、ワーキングホリデービザを利用してオーストラリアに行きました。チャイルドケアの仕事をベースに、ベビーシッター、幼稚園、日本語や英語の講師など、様々なことにチャレンジしました。
子どもたちと触れ合っていると、人種なんて関係ないとよくわかりました。確かに、言葉が喋れないと子どもに伝わらないことも多いんですけど、想いはジェスチャーでも伝わります。子どもにとっては、喋るよりも体での表現が大事。それは世界共通なんだと思いましたね。
ワーキングホリデーが終わった後も学生ビザを利用して、合計3年ほどオーストラリアで過ごしました。いい環境だったので、ビザを更新して、もっと長くいることも考えました。ただ、「ここは私の居場所じゃない」という感じもありました。子どもたちにもっといろんなことを伝えたいけど、フルタイムの仕事ではないので、制限があります。心にぽっかりと穴が空いているようで、満足していなかったんです。
ボランティアというかたちだったらやりたいことをできたんですが、生活するには仕事も必要。これからのことを考えるために、一度対馬に戻りました。ずっと海外にいたので、日本で働いてみたい気持ちもありましたね。
対馬に戻ってからは、図書館で働きました。本の整理をしていると、子どもに見せたいと思う本がたくさんあることに気づきました。特定のジャンルというよりも、文化とか歴史とか、日本のことを知れるような本です。そういう本を見ていると、やっぱり私は外国にいる子どもに、「日本にはこんなに素晴らしい文化がある」ということを伝えたいと思ったんです。
特に、外国に住んでいる日本の子どもに関わりたいと思いました。オーストラリアにいる時に、現地の日本人の子どもと触れ合ったんですが、外国にいる日本の子どもたちって、日本の文化や行事にあまり触れていないということに気づいたので。それで、外国に住む日本人向けの幼稚園を運営するNGOで働くことにしました。
対馬のために頑張りたい
初めの勤務地はタイ。日本人が多く住んでいるシラチャの幼稚園で働きました。立ち上げて間もない少人数のクラスでしたが、毎日楽しかったですね。日本の画用紙や文房具などは手に入りにくいので、日本に帰ったときに全部持ってこなきゃいけなかったんですけど、日本のお祭りや行事を作り上げたときに、「タイでもできるじゃん!」と感動しましたね。冬がないタイで餅つきをしたり、日本だと秋に行う運動会を2月にしたり、日本でやるのとは少し違うけど、同じ行事を実現できるのが面白かったです。姉妹園のバンコク幼稚園でも働くことがあり、タイでは都会と田舎での日本語幼稚園の違いを学ぶことができたのもよかったです。
タイで2年働いた後は、上海に移りました。上海の組織は規模が大きくて、大きなシステムをどう回していくかを学びたいと思ったんです。
しかし、新しい仕事は想像以上に大変でした。それまでは自分の想いだけでやってきたことも、規模が大きくなれば周りの先生と足並みを揃えなければなりません。我慢するということを初めて覚えましたね。
上司には怒られてばかりで、上海に来て半年ほどは毎日泣いていましたし、逃げ出したい、やめたいって思っていました。それでも、この仕事をやめるときは、新たな目標を持ったときじゃないと一生後悔すると思ったので、やめませんでした。「30歳までに大変な環境で働くことはプラスになる」と思うようにしていましたね。良くないところを指摘してもらえるのはありがたいことだと。
一方で、対馬に戻ることも意識し始めました。30歳目前。親も高齢化している。私はこのまま上海で保育のプロを目指したいのかと言えばそうではないし、園長先生を目指すのも何か違う。このNGOでは、幼稚園教諭として働く以外でも世界各地の発展途上国に行き、国際協力にも携わることができました。NGOの活動以外でも、休暇中にボランティアのため様々な国へ行き子どもたちと触れ合ってきました。「日本の子どもたちに外国の子どもたちのことを伝えたい!」「対馬と外国の子どもたちをつなげることがしたい!」と次第に思うようになっていました。今度は日本に帰って対馬で頑張るべきなのかもしれないと思い始めたんです。
最終的に対馬に帰ると決めたのは、上海に来て1年半ほど経った頃です。休暇を使ってバリ島に来たとき、海を眺めていたらふと対馬のビジョンが浮かんできたんですよね。それまで海外で見つけた良いところを対馬に持って帰れたら、対馬がもっと住みやすい場所になると思ったんです。
例えば、お金持ちじゃなくても家政婦がいるのがあたりまえで、子育てがしやすく、夫婦の時間をしっかり持てるところ。自分の国に誇りをもてること。どんな場面でもありがとうと言うこと。困っている人たちを見て見ぬふりせずに、すぐに手を差し伸べて助け合うこと。日本ほど裕福ではなくても、幸せを感じる瞬間がたくさんあって、そういうところを対馬にも広げたいと思ったんです。そして、いずれは世界中の人が訪れたくなる魅力溢れる温かい島になってほしい。世界中に誇れる島をつくりたいと思いました。
それから1年間は、月の半分は上海、もう半分は対馬で過ごしながら、対馬でできることを探しました。保育にかかわらず、対馬のためにできる活動は何か考えたんです。その後、2017年1月に、対馬に戻りました。
対馬を誇れる人を増やしたい
現在は、対馬での生活をよくするためのサービスを立ち上げました。家事代行サービスや育児支援サービスに始まり、病児ケアや産前産後のケア、高齢者見守り支援なども始めました。海外で知った良いことを、対馬に取り入れたんです。今後は、まだ対馬にはない新たな福祉サービスの展開や、外国の子どもたちとのワークショップ開催を行っていきたいと考えています。
対馬は、私がこれまでに暮らした場所と比べても、すごくいい場所だと思います。対馬の特殊出生率は、日本全国で5位に当たるらしくて、私の周りでも20代で4,5人子どもを産んでいる人が多くいます。それでも人口が減少しているのは、暮らしを豊かにするサービスが少なく、生活に難しさを感じて、都会に出ていってしまうから。人口減少の原因はわかっているので、なんとかしていきたいですね。
また、対馬の人に、地元を誇れるようになってほしいという気持ちもあります。対馬の人って、対馬のいいところを教えてほしいと言っても「なんもない、田舎やし」って言って、魅力を語ろうとしないんです。私自身、以前はいつか対馬に戻らなければならないけど、20代では戻りたくないという気持ちがあったのも、地元を誇れていなかったから。
でも、16年間離れてみて、たくさんの魅力に気づきました。こんなにいい場所なんだから、対馬は最高の島だよって自慢できる場所にしたい。住んでるところにもっと愛を持って欲しいんです。
対馬の良いところと聞かれたら、私は食べ物をおすすめします。もちろん自然も豊かなんですけど、とにかく食べ物が美味しい。名物で言えば、穴子とノドグロです。脂がすごく乗ってますし、穴子の刺身は対馬でしか食べられないんじゃないかと思います。あとは原木しいたけやマテ貝(通称岩マテ)は絶品です。対馬は季節限定の希少価値の高い珍味が豊富で私は完全に胃袋を掴まれていますね。
そんな地元の人にとってはあたりまえ過ぎて気づかない魅力を、地元の人に気づいてもらえるようにしたいですね。そして、対馬での生活をより良くすることで、対馬に愛と誇りを持って暮らす人を増やせたらと思います。
離島経済新聞 目次
【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー
いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。
- 【国境離島に生きる】トビウオに恵まれた屋久島で見つけた暮らし。|屋久島 田中啓介さん
- 【国境離島に生きる】「ただいま」と言って入れる居酒屋を。|奥尻島 佐藤恵子さん
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- 【国境離島に生きる】農作物をちゃんと売れる場所を作りたい。| 福江島 佐藤義貴さん
- 【国境離島に生きる】いろんな人がくつろげる場所を、ここでつくる。|隠岐の島 中 晴美さん
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- 【国境離島に生きる】大っ嫌いだった地元で見つけた自分の居場所。|青ヶ島 山田アリサさん
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- 【国境離島に生きる】世界中の人に開かれた宿を、小値賀島で。|小値賀島 岩永太陽さん
- 【国境離島に生きる】「島に戻りたい」と思える活気ある島にしたい!|小値賀島 小島早絵さん
- 【国境離島に生きる】必要なのは時代を生き抜く力。|小値賀島 橋本武士さん
- 【国境離島に生きる】島の牛飼いを絶やさないためのシステムを作る。|宇久島 西尾光隆さん
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