つくろう、島の未来

2018年12月18日 火曜日

『季刊リトケイ』掲載の「気仙沼大島のいまとこれから」の拡大版。2011年3月11日の東日本大震災から7ヶ月以上が経った2011年10月。
『季刊リトケイ』の取材で気仙沼大島へ行き、実際に見て、聞いてきた東北島のいまとこれからを写真家の榎本千恵がレポートします。

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#01 気仙沼大島の被災状況

震災後、私は写真家としてできることがないかと
4月に「SMILE PHOTO PROJECT」という
写真に関するボランティア団体を立ち上げ、活動していました。

この活動で気仙沼にも何度か訪れていましたが
気仙沼大島には行った事はなく、
同じ気仙沼でも大島はどのような状況なのかは
訪れるまで分かりませんでしたが、
『季刊リトケイ』創刊準備号の制作にあたり、
気仙沼大島を取材することになりました。

島だからこそ大変なこと、島だからこそ良かったことなど、
季刊紙ではお伝えしきれなかった内容をこちらで連載していきます。

2011年10月29日、私は気仙沼大島を訪れました。
島へは気仙沼市の港から出ているフェリーで向かいます。

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  • 被災した気仙沼港からは、今回の津波の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
    ここに「ようこそ大島へ」の看板が残っていました。

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  • 港に着くとフェリーが到着していました。
    平日の朝ということもあり、
    通学中の高校生たちが降りてきました。

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  • フェリーに乗り、20分ほどすると気仙沼大島「浦の浜港」に到着。
    こちらの港も、津波が押し寄せた痕跡が残り、目の前には瓦礫が山のように高く積まれていました。

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  • 震災後の大島汽船のフェリーは、
    三重県と広島県から借りてきている船でした。
    広島から来たフェリーには、
    「がんばろう気仙沼 がんばろう大島」の文字。

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  • 皆さんご存知のように、船は島人にとって
    大事な足。この船は復興に向けて人々が生活するために大きな役割を持っています。
    フェリーが出航すると、大きく手を振る人たちもいました。

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  • 港を後にしてまっすぐ歩いてみました。
    後ろを振り返ると、港の瓦礫の山が右手に見え、
    他の場所には家の土台が残っています。

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  • 気仙沼大島で一番高い亀山から、島全体を見渡してみると右側に先ほどの港が見えました。

気仙沼大島には、子どもでも知っている
「津波がきたら島が3つになる」という言い伝えがあり、
今回の津波では実際に3つになったそうです。
この言い伝えのおかげか、今回の震災では気仙沼市内に比べて
人的被害は少なかったそうです。
けれど、自宅が全壊、半壊された人々も多く、
現在は3カ所の仮設住宅に暮らす人もいます。
より一層不便になった島での暮らしに、震災後に島を離れる人も
少なくないといいます。
けれど、大島復興のために奮闘している島人も多くいます。

このレポートでは、島に残る彼らの想いと、
島の状況を伝えて行けるよう
実際に気仙沼大島で出会った島人をはじめ
さまざまな方のお話を紹介していこうと思います。

>> #02へ続きます(1月1日UP)

一部写真提供:SMILE PHOTO PROJECT

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