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レポート

父島ポストマンの石巻ライブツアー[4]

【被災地は今】東京から南に1000kmの小笠原諸島・父島で、ウクレレ弾き兼ポストマンとして活躍中のホマレさん 。連載コラムでもおなじみのホマレさんは年に1度は本土へライブツアーへ出掛けるのがライフワークです。今年3月、昨年の震災で甚大な被害をうけた石巻へライブツアーへ行ったホマレさんの特別ルポです。

[4]被災地は今

ウクレレライブまで時間のある僕は
「ボランティア支援ベース絆」でお借りした自転車で、
元石巻ボランティアのノブさんに被災地を案内してもらう。

思っていたよりも暖かな日差し。
石巻への桜前線はまだのようだが、
入学式と書かれた小学校を見つけて目を奪われる。

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桜はまだでも、被災地にもちゃんと花はあるんだ、と少しホッとする。
ノブさんが「まずは被災地全体を見渡せる場所に向かいましょう」と、
日和山公園という所へ案内してくれる。
そこは石巻を一望できる山頂だった。

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遠目ながらも現実の被災地を否応なしに感じさせられる場所。
地球は丸い。
その緩やかに弧を描く大地の端から端までの見える世界全てが、
何色と表現すれば良いのだろうか?
枯れ朽ち果てた木の色?
その所々で重機が昆虫のように仕事をしている。

唖然としてただ佇むだけの僕にノブさんは
「ライブのリハーサルしましょうよ」
と言葉で助けてくれる。

 

僕は背負ってきたケースからウクレレを取り出し、
震災の現実に震える手で、
小笠原古謡「夜明け前に」を弾く。

ウクレレから始まった会話

そこへ演奏が終わるのを待っていたかのように
年配の男性が声を掛けてくださった。

「どっからかその楽器弾きに来たの?」。
僕が「小笠原という島からやってきて、仮設住宅などで
ウクレレ弾かせてもらいます」と応えると、
途端に男性の表情が明るくなった。

「私は昔、小笠原沖まで行って鰹を釣ってました」。
更に話は面白く
「今だからもう良いでしょ?
私らイルカも獲って食べちゃいました」。

こんなところでいきなり小笠原繋がりの方にお会いできてしまった。

僕はお会いできたことに感謝し、お礼にウクレレを弾き始めた。
すると今度は「あんたのは俺が昔持ってたのよか大きいな」と、
別のご年配の男性が声を掛けてくれた。

この方は、若い頃ウクレレや
フラメンコギターを弾いていたとおっしゃる。

僕がどうぞとウクレレを手渡すと
「何十年振りだ?」と言いながらも、
フラメンコの名曲を披露してくれた。

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僕が「今は弾いてらっしゃらないんですか」の問いに
「あんたは良いこと言うね、ギターは(津波に)流されなかったから、
たまにここ持ってきて憂さ晴らしに弾くかな」と高笑い。

そこに居合わせる四人で大笑いをした。

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その後はご年配の方二人による、美味しい魚や石巻についての自慢大会!
石巻の旧北上川河口にかかる日和大橋が、1979年にできるまでは、
川の対岸とはお互い交流があまりなかったそうだ。

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頭に服を縛りつけ、北上川を対岸まで泳ぎ渡る、
男の度胸試しのエピソードなども
聞かせていただいた。

二人と別れたあと、
山から海辺の元集落へと下りて行く。
そのとたん、僕は突然の悪臭に
思わず吐き気をもよおした・・・。

瓦礫と更地の間にぼくが見たもの

海辺の元集落へと下りると、
突然、海からの風が運ぶ今までに嗅いだことのない悪臭が
この世界を埋め尽くした。

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積み上げられた汚泥まみれの車の山へ、
更に重機が車を重ねていく。

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かろうじて残ったコンクリートの建物の二階へ、
巨大な流木が突き刺さったままになっている。
そんな世界。

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ニュース映像で見た震災の爪痕そのままの街は今、
どこまでも続く更地になろうとしている。

何かが唸り追いかけてくる、そんな存在を感じて立ち止まり振り返る。

瓦礫に風が吹き溜まっていた。

いや、風に姿を変えた何かがそこに・・・。

僕が違和感を覚えたのは、そんな荒野の中に
新車が数台止まっている、不釣合いな光景だ。
僕たちは自転車でゆっくりと、その車たちのひとつの横を通り過ぎた。
と、そこには花を抱え立ち尽くす
途方にくれた表情の女性がいた。

ハッとした。

そうなのだ、ここはその女性の家だったのだ。
家族のどなたかが亡くなり、彼女は助かったのだ。

新しく手に入れた車で、
彼女はここへ通っているのだ。

荒野の中にそんな新車と人影の組み合わせが、数カ所ぽつりぽつりと目に止まった。

海側から高台へ向かって自転車をこぐ。
学校らしい建物へとノブさんが先導して行く。
それは校舎の右半分が焼け爛れた小学校だった。
津波で流れてきた重油が元で起こった火事によるものだそうだ。
そう、テレビ映像で見た光景だ。
ここへ通っていた小学生の数人が行方不明のままだそうだ。
学校の前を過ぎ高台を右手に西へ走る。

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次にノブさんが停まった場所、ここがマスコミで
一番紹介される石巻の象徴「がんばろう石巻」と書かれた
みんなが知る追悼の碑の場所だ。
自転車を降り、近づこうとする僕にノブさんが
「待ちましょう」と声を掛ける。
この場所を護る方なのであろう、一人の方が
手向けられた花や灰となった線香を片付けておられた。

ノブさんが居てくれてよかった。

僕たちはつい「誰かに伝えなくては」と言う思いから、
他人の敷地へ勝手に入り、
カメラを向けるのも忍ばれる光景ばかりなのに、
勝手に写真を撮る。
僕はジャーナリストではないし、この行為は
小笠原でイルカを見つけたときと同じことだ。
ここを護っている方が帰られた後、
僕たちは焼香台でそっと手を合わせ、ご冥福をお祈りした。

更に自転車で西に向かう。
そこは早朝着いた石巻駅からも見えた、
立ち上る煙が印象的だった場所、
遠くからでも気になっていた、再開された製紙工場だ。

ここもまた更地には不似合いな光景だ。
ここの煙突から吐き出される煙は呼吸のように感じる。
石巻の息吹。石巻は息を吹き返しつつある。

石巻のポストマン

ウクレレライブの時間を考え、
ボランティア・ベースへ引き返す。

その途中、郵便局を見つけた。
綺麗に壁が塗られているが、仮設だと思われる局舎へ入ってゆく。

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ここから僕はお世話になっている方へ葉書を出した。
窓口の方へ「風景印で」とお願いすると怪訝な顔をされながらも扱ってくれた。
ここは今観光地ではない、日付印ではなくご当地の印を希望する人は
少ないのだろう。

僕は「小笠原からウクレレを弾きにきています。島で郵便配達をしています」とご挨拶をした。
すると局長らしい人も出てこられ「それはどうも」と笑顔で応対していただけた。
本当に大変な思いをされた郵便局の方へ、恥ずかしながら
「この度は大変なことで・・・」と言うのが精一杯だった。
ライブの時間が迫っている。僕たちは駅前のお蕎麦屋さんで昼食をとった。
昆布だしが贅沢で上品なお蕎麦を食べ、ここでも少しホッとさせられた。
さあ気持ちをウクレレライブに切り替えなくては。

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