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インタビュー

【島Interview|訊く】和田 竜さん「瀬戸内の島々を書く」(前編)

2014年本屋大賞を受賞した『村上海賊の娘』は、戦国時代、天下一の海賊として恐れられた「村上海賊」と、戦国最強といわれた信長軍との「木津川の合戦」を描きます。村上海賊が跋扈していたのは広島県と愛媛県の間に位置する芸予諸島。史実に基づきながら、痛快で躍動感溢れる登場人物を描く作者の和田竜さんに、海賊の魅力について伺いました。タブロイド紙『季刊リトケイ』12号に掲載されたインタビューのノーカットバージョンの前編をお届けします。

瀬戸内の島々を書く 和田 竜さんインタビュー(前編)

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(聞き手・薮下佳代/写真・大久保昌宏)

―「村上海賊」をテーマに、小説を書こうと思われたきっかけを教えてください。
僕は生後3ヵ月から中学2年まで広島市に住んでいました。小学生の頃、中国地方の名所・旧跡を家族旅行で巡ったんですが、そのなかのひとつが広島県尾道市の因島(いんのしま)だったんです。そこは「村上水軍」と呼ばれる海賊の拠点のひとつで「ここには昔、海賊が住んでいたんだぞ」と教えられたのが村上海賊を知ったきっかけですね。「海賊ってかっこいいな」と思ったのを覚えています。ひょんなことから、何十年かして歴史小説を書き始めたわけですが、いずれは「村上海賊」について書きたいなと思っていました。

―その時の記憶がずっと残っていて、それが小説の題材になったということなんでしょうか?
実は記憶自体はほとんどなくて“海賊”という言葉と、島に行ったという印象だけでした。兄貴のほうがよく覚えていて、「海賊らしく、みんなお墓が海を向いているんだ」と言っていたんですが、実際、因島に行ってみたら、そんな事実はなかったということもありましたね(笑)。大三島(おおみしま)や岩城島(いわきしま)など、ほかの島にも行っていたらしいのですが、当時はまだ「しまなみ海道」が通っていなかったので、船で行ったと最近になって聞きました。

広島には村上姓が多くて、僕の学年にも3〜4人はいるという状況でしたし、村上水軍博物館や、因島には村上水軍城もあったりして、郷土で村上水軍を大事にしていることは知っていました。

―島へ取材は行かれましたか?
伊予大島の周りの、主人公たちの城があった(もしくは根拠地だった)能島(のしま・無人島)のあたりだとか、来島(くるしま)も通りました。あとは因島ですね。大阪湾の周辺や、淡路島にも行きました。しかし、リサーチの9割以上は本を読むという作業なんですよ。

―巻末の参考文献は、ほとんどが地域の郷土史や歴史書でしたが、どうやって調べられたのですか?
国立国会図書館や都立中央図書館にある蔵書で6〜7割は調べることができるんです。どうしても手に入らないものは編集の方に頼んだり。あとは、松山大学で瀬戸内の海賊について研究されている山内讓教授に取材をさせていただいて、いろいろ教えていただきました。

現地取材は確認のためですね。島の見え方や潮の流れなど、海の感じを現場に行って見て確認して、物語のなかに活かしていくんです。

―小説のなかに描かれている、瀬戸内の島々の描写がものすごくリアルでした。芸予諸島(げいよしょとう)の島なみだとか、伯方島(はかたしま)と大三島の間の鼻栗瀬戸(はなぐりせと)の崖の描写とか。
芸予諸島の島々って、地図上では北から南にそれぞれの島が並んでいるように見えますが、船や島から見ると、山が連なっているように見えるんですね。どこまでが島で、どこからが海か、その境界がわからない感じが、いかにも海賊が潜んでいそうなところだなと思いました。それが実際に見た時の発見でしたね。

―瀬戸内の島なみは、どこにもない独特の風景ですよね?
海から山がボン!とCGで出てきたみたいな不思議な景観ですよね。すごくきれいだなと思いました。2013年の10月末にこの本を出したんですが、翌年の正月には、両親や兄貴の家族らを連れて、久しぶりに広島の島々へ旅行に行きました。宮島に泊まって、因島にも行きました。「村上水軍博物館」の館長に船に乗せてもらって能島に上陸させてもらいました。実は、取材の時、能島は発掘調査をしていて上陸できなくて、まわりから見ただけだったのでうれしかったですね。

―とても小さな能島は、現在無人島ですが、当時はもっとも恐れられた海賊王・村上武吉の本拠地だったそうですね。
能島のすぐ近くは潮流がとても激しく難所だったため、そこに城を築いて要塞化していたんです。来島もそう。そうした島のあり方がどことなくSFっぽくて、おもしろいなと思いましたね。いまは、能島の潮流を体験できる観光船も出ていますよ。

―海外のパイレーツだけでなく、日本にもこんなかっこいい海賊たちがいたんだと驚きました。
日本の海賊のほうが、もっと社会の一部として機能していて、組織として洗練されているなと思いました。調べるまでは、漠然と海外のパイレーツみたいなものをイメージしていたんです。洞窟に潜んでいて、幽霊船に乗ってどこからともなく現れるようなね。けれど、戦国時代の海賊たちは島に確固たる拠点を置き、そこを通行する船は海賊たちに通行料を払い、安全を保障してもらうというシステムを構築していました。僕は「関船(せきふね)」と書いていますが、山内先生の本によると、その船のことを単純に「関」と呼んでいたそうです。つまり、海に浮かんだ関所ということ。その船に出会ったら「帆別銭(ほべちせん)」という通行料を支払っていた。つまり社会の必要悪であり、海の秩序を保つ役目も海賊たちは果たしていたんです。“海賊”という言葉では、くくり切れないような存在だったんだと思います。

―東西を行き来する廻船は、海賊を1人乗せれば通行手形になり安全航行ができる“上乗り”と呼ばれる、独自の海賊のルールもありました。
それは山内先生がいろんな古文書を読み解いて明らかにしたことで、僕一人ではその事実を見つけることはできませんでした。山内先生や、その以前にも海賊の研究をされている人がいて、そういった先人たちによる知識の積み重ねがあって、この本が書けています。“上乗り”というシステムがあったことを知った時、歴史ドラマの要素として、とてもおもしろいなと思いましたね。

―海賊は、関のお金で成り立っていたんでしょうか?
「水軍」と呼ばれるものには2種類あって、海からの収益、つまり通行料の帆別銭と交易で生計を立てている海賊がいました。その交易が一体どういうものだったかは、まだ正確には解明されていないようですが、村上海賊の拠点のひとつの見近島には、海外の磁器などがたくさん見つかっていて、貿易の拠点になっていたんじゃないかといわれていますね。もうひとつの水軍は、大名が領地を与えて海軍を組織させたもので、村上水軍とは違って海賊行為はせず、大名に命令された時だけ海へ出て行くというものだったようです。生粋の海の男たちはやはり前者の海賊だったんだと思います。

―当時、海賊というのはどういう存在だったんでしょうか?
小説にも書いていますが、乱暴者で狼藉を働き、怖がられた存在だった時期もあるようです。おそらく、それは一昔前のことで、だんだんと組織として固まってきたんじゃないかなと僕は思っています。かつてはどうしようもない海外のパイレーツと同じような存在だったけれど、通行する船から通行料を取って安定収入を得るという穏やかな組織になっていったんじゃないでしょうか。

―上巻の海賊についての記述がとてもおもしろかったです。
ありがとうございます。あそこで退屈する人結構いるんですよ(笑)。僕も他人の歴史小説を読む時でも、ああいう記述が好きなので、みんなもおもしろいかなと思って書いているんですけどね。

(後編へつづく)


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  • (お話を聞いた人)

    和田竜(わだ・りょう)さん
    1969年大阪生まれ、広島育ち。2007年『のぼうの城』で小説家デビュー。同書は累計200万部をこえる大ベストセラーとなり、12年には映画公開、脚本も自らが担当。第4作目の『村上海賊の娘』には4年の歳月を費やした。

    『村上海賊の娘』上巻・下巻
    信長が日に日に勢力を増す戦国時代、窮地に陥った大坂本願寺を救うため、瀬戸内海を支配していた海賊王・村上武吉の娘、景が立ち上がる。魅力的な登場人物が軽快な筆致で描かれる大長編戦国記。(新潮社/各1,600円)

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『季刊ritokei(リトケイ)』インタビュー

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