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インタビュー

島々仕事人 #005 東海汽船船長 加藤治樹さん

東京と伊豆諸島を結ぶ東海汽船は、伊豆大島〜神津島、三宅島〜八丈島間を毎日運航。観光客はもちろん、島の人々にとって大切な生活航路を担っている。「島々仕事人」は島と島をつなぐ仕事に携わる仕事人の想いを紹介する企画。今回は、2014年6月末で引退する大型客船「かめりあ丸」の船長・加藤治樹さんです。タブロイド紙『季刊リトケイ』8号に掲載されたインタビューのノーカットバージョンでお届けします。

島の暮らしを支える離島航路

東海汽船 大型客船「かめりあ丸」
船長 加藤治樹さん

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■厳しい条件のなか毎日就航する大型客船

キリッとした制服に身を包んだ加藤船長が、ブリッジと呼ばれる操舵室へと向かい、出航の準備を始めた。離着岸時には航海士たち数名がスタンバイし、船長が総指揮をとる。船で一番見晴らしのいい操舵室からは、東京湾の光り輝くネオンがきらめいていた。ここが船長の仕事場だ。双眼鏡をのぞきこみ、海の状況を確認する。この大型客船「かめりあ丸」は、夜、東京・竹芝桟橋を出発し、朝、島々へと到着する。

「この大島~神津島航路は、大島、利島、新島、式根島、神津島と寄港地が多く、しかも島と島の距離が短いですから、緊張の連続なんです。神津島まで行ったら、逆のルートで東京まで戻ってくるんですが、こんなに“付け離し”する大きな船は珍しいですね」

通常、港というのは、防波堤に囲まれた湾のようなところに位置するものだが、伊豆諸島は、外洋に突出した防波堤に港が位置している場合が多い。そのため、離着岸時に風や潮など、目に見えない外力の影響をものすごく受けるのだという。

「自然条件が厳しい島しょ部ではよくあることですが、伊豆諸島は特に条件が厳しい。特に、御蔵島の潮の速さは天下一品、式根島も港の近くの海流が変わりやすく難しい。実は竹芝桟橋も、近くに隅田川が流れ込むため、雨が降ると流れが強くなり、船が流されるんです。そういった刻々と変わる自然条件に合わせて、離着岸させるにはキャリアも必要だし、テクニックも発揮しなければならない。いろんなプレッシャーを感じながら、そうやって20~25年もの間、航海士時代にさまざまな経験を積みながら、やっと船長になることができるんですよ」

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■船長になるまでの長い道のりを越えて

船の乗組員のパートは大きく4つ。船長を筆頭に、エンジンなど船の心臓部を担当する機関部、舵とりや荷物の積みおろしなどを担当する甲板(こうはん)部、乗客のサービスにあたる事務部、陸上との連絡を無線で取る通信士が所属する無線部に分かれる。

もともと通信士になりたかったという加藤さんは、通信系の学校を出て、船の世界を目指した。そのため、海上技術学校や商船高等専門学校などを卒業しておらず、畑違いの出身だった。しかし、衛星が発達している現代において、通信系の仕事はなくなるといわれ、実際に1999年1月、通信系の仕事はすべてなくなってしまう。そのため、当初、無線部を希望していたが入社する前にあきらめ、甲板部を志望することに。加藤さんの夢は変更をよぎなくされ、独学でイチから勉強し直し、現場で実地を経験しながら、航海士の資格をとっていったという。

航海士になるには、一等から三等までのランクがあり、試験も何段階もある。資格を取ったからといって職務にはすぐにつけない。上級免状を取るにあたり、2~3年船に乗ってから次の試験が受けられるのだ。実際、加藤船長は、船長になるまでに14年かかった。

「甲板掃除から始めて、先輩の指導を受けながら勉強して、船長を目指しました。だから、人の3~4倍も時間がかかってしまいましたね」

東海汽船には現在、船長は4名、ジェットフォイル一等航海士、二等航海士を入れると10人になる。

「昔はもっといたんですが、船が少なくなったので、現在は4名で、さるびあ丸とかめりあ丸に乗船しています。大島~神津島の各島航路は、2日間連続勤務で48時間休日というローテーションで勤務しています。日ではなく時間でカウントされるので、実際はものすごくハード。しかも、しょっちゅう島へ行っているのですが、一歩も降りずに帰ってこなくてはならない。だから、私にとって伊豆諸島は“近くて遠い島”なんですよね」

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■船長という夢を叶えたさまざまな縁

そもそも、加藤船長が船長になろうと思ったきっかけはなんだったのだろう。

「小さい頃、旅行好きだった父に連れられ、奄美群島や屋久島などの離島へと船でよく渡ったんです。小学4年生の頃、クルーの方がブリッジに入れてくれたことがありましてね。船長帽をかぶった写真が今も残ってるんですよ」

そうした経験は、幼き加藤少年に忘れられない思い出として深く残っているという。

「父にはとても感謝しているし、夢を与えてもらえた当時の船会社の方たちにもすごく縁を感じますね」

そうして、幼き加藤少年は船へと憧れを募らせていったのだった。

もうひとつ、東海汽船の航路に位置する式根島にも深い縁があった。

「母が、毎年夏の間だけ、式根島で食堂を営んでいたんです。小学生の頃は、夏休みの2ヵ月間必ず行っていました。式根島の友だちも多くて、いまもつきあいは続いています。まさか、自分があの頃乗っていた船の船長になるなんて、なんだか運命を感じますね。式根島の仲間も喜んでくれています。人とのさまざまな出会いによって、この職業につかせてもらったとつくづく思いますね」

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■自然とかかわりながら島の暮らしを支える離島航路

この離島航路は生活航路でもあるため、島で暮らす島民の足であり、暮らしを支えるという使命がある。特に、利島や御蔵島など風波の影響を受けやすい島は欠航することも多く、1週間船が着けないことも。そんな時は、一刻も早く生活物資を届けたいという気持ちにもなるだろう。

「けれど、プロはいたずらにチャレンジしたり、冒険してはいけないんです。自然と相談しながら、運航基準を遵守しながら、テクニックでどこまでできるか。自然にさからうことなく、折り合いをつけながら、うまくやっていかないとダメなんです。自然にはかなわないですから」

船は決して、船長1人では動かせない。クルーたちの力、チームワークがあってこそ。

「荒天時に、みんなの力でなんとか無事に接岸できた時はほんとうにうれしいですね」

加藤船長も航海士時代から乗っているという「かめりあ丸」は、1986年に就航し、あと4ヵ月でその長い任務を終え、引退する。

「ものすごくうまく動いてくれるので好きなんです。だから、思い入れも強くて、かわいい船なんですよ」

2014年7月からは新しい大型客船「橘丸」が就航し、また新たな航海がはじまる。

「今後も、島民の生活を支える航路として、みなさんが安心して利用していただけるように、運航していきたいと思っています。島の人にとってなくてはならないこの航路に、船長として携わることができて、ほんとうに幸せだなと思っています」

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《コラム》船長は一目でわかる!?

船の乗組員の制服をよく見てみると、夏服であれば、肩章(けんしょう)、冬服であれば袖章(そでしょう)の金筋の数とその間の色で、階級や職務がわかる。たとえば、金筋4本は船長。3本だと、1等航海士や1等機関士。2本なら、2等航海士や2等機関士、1本は3等航海士、3等機関士を表す。また、金筋の間の色が「黒」は船長や航海士、「紫」は機関部、「白」は事務部、「赤」は船医だという。今度船に乗る際は、ぜひチェックしてみてほしい。

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加藤治樹(かとう・はるき)

東海汽船の船長を務める。1962年東京生まれ。1991年、東海汽船のグループ会社「東京ヴァンテアンクルーズ、レストランシップへ入社後、1995年、東海汽船へ移籍。高速ジェット船の船長を経て、2012年より大型客船「かめりあ丸」の船長に就任。

(文・薮下佳代/写真・渡邉和弘)

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