つくろう、島の未来

2019年08月20日 火曜日

「国境離島」と呼ばれる島々に暮らしている人の想いを紹介。2017年4月、「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

自分を見つめ直す中で訪れた、隠岐の島。
いろんな人がくつろげる場所を、ここでつくる。

中 晴美|歯科助手などのアルバイトを経て、福祉業界へ。知的障がい者入所施設、児童養護施設で働く。退職後、隠岐の島に移住。現在、カフェオープンに向けて準備中。

隠岐の島で、いろんな人がいろんなかたちでのんびりできる、そんなカフェのオープンに向けて現在準備中の中晴美さん。様々な仕事や旅を経験する中で気付いた、「自分の好きなこと」と「本当にやりたいこと」とは。福祉の仕事を退職し、隠岐の島に移住してからの生活についてもお話を伺いました。

勉強嫌いな子ども時代

奈良県吉野町で生まれました。外で遊ぶのが好きな活発な子どもでしたね。いつも外を駆け回ったり山で遊んだりしてました。どちらかというと不真面目なタイプで、テレビをや本を見て学校に遅れることがよくありました。

小さい頃は、歯科衛生士になりたいと思っていました。小学生の時って、歯医者怖いじゃないですか。その時に衛生士のお姉さんが隣で「大丈夫」って言ってくれたのが嬉しくて、あの人になりたいと思ったんですね。

学校は好きでしたが勉強が嫌いで、高校生で進路を考えた時は「これ以上勉強するなんて!」という気持ちが一番大きかったです。一応、専門学校に入学したものの、実際に入学してみるとイメージとは全く違いました。専門学校は実技を習得するだけじゃなくて、勉強する学校だったんです。それで、これは違うと思ってすぐやめました。

その後は、高校時代からアルバイトをしていた近所の歯医者さんに歯科助手として就職しました。仕事自体は好きでしたね。怖がってる子どもとか、おじいちゃんおばあちゃんとかと喋ったりするのが楽しかったです。

同じ時期にカラオケ屋でもバイトしてました。一緒に働いていた子が音楽好きで、2人が共通で好きなアーティストがピースボートのツアーに参加することを知って、ほぼ勢いでツアーに参加しました。

結局、そのアーティストは参加しなかったんですが、旅はおもしろかったです。一番感じたのは、「つながってるんやなぁ」って気持ちですかね。地球はやっぱり丸くて、ぐるっと回って帰って来れるんやなぁって。あとは、世界のいろんな場所の暮らしとか、そこで暮らす人たちを実際に目で見れたのが大きかったです。

働く中で気付いた「人が好き」な自分

帰国後は、ローン返済のために仕事を探しました。歯科助手の仕事は自分の中でやり切った感があって、他にもいろんなことを体験したいと思って、リゾートバイトに応募しました。住み込み、食事付きなので、ある程度の期間行けばお金を持って帰れるんです。ローン返済のためにもいいなと思いました。

リゾートバイトのおもしろいところは、「人」でした。お世話になった宿の方や、バイトを通して知り合った子。一緒に働いてる普通のおばちゃんの話もすごくおもしろかったです。

特に印象的なエピソードがあるわけではないんですけど、生活の中の、普段の何気ないことがおもしろいんですよね。おばちゃんが出してくれる漬物がめっちゃ美味しいとか、この時期に山に登ったら何がとれるかめっちゃ知ってるとか。

色んなことをやっていくうちに、自分は人が好きなんだって気付き始めました。それで思い出したのは、小さい頃に学級に何人かいた知的障害のハンディを持っている子たちのことでした。その子たちの、何かに特化して秀でているところとか、何かにすごく詳しいところとか、変な言い方ですけど、とても好きだったんです。その分野で関わってみたいなと思い始めたタイミングで、知的障がい者の入所型施設の求人があったので、そこで働くことを決めました。

仕事は大変なことも多かったです。おむつ交換も入浴もありますし、深夜も寝ない方もおられます。でもおもしろいと感じることの方が多くて、やりがいがありました。

いろんな人がいるですよ。こだわりがあったり、得意な部分に特化したすごい何かを持ってたり。例えば、何年何月何日は?って質問すると、何曜日って答えられる人。頭の中にカレンダーがあるみたいでしょう?ひたすら色を塗っている方もいて、色のバランスとか組み合わせとか、毎回違って毎回素敵なんです。いろんな人がいて、その方々に関われることが楽しかったです。

もちろん、難しさを感じることもありました。共同生活の施設なので、ひとりひとりに合わせるのが難しいんですよね。いろんな人の個性があるけど、全体に合わせないといけない部分があって、そのバランスが大変でもありました。

だんだん、他の支援方法はないのかなと模索するようになりました。みんなが同じ支援を受けるのではなくて、その人の特化した才能とか、得意な部分を伸ばしていく支援、そんな関わり方ができるんじゃないかなって。

同時に、入所者の中でも特に子どもに興味を持つようになりました。純粋に、その子たちが大人になるまでの道のりを見てみたいって思うようになったんです。

施設で6年ほど働いた後、子どもと関わりたいという理由で退職しました。資格がなかったので、すぐに福祉業界で働くことはできなかったのですが、しばらくして児童養護施設の求人を見つけました。

児童養護施設は、事情があって家族と一緒に生活できない子どもたちが住む施設です。知的障害の子どもたちとは違う意味のハンディを抱えている子もいます。それまで児童養護施設の存在も知らなかったんですが、そこで暮らす子どもたちと関わってみたいと思って、働かせてもらうことにしました。

私が働いていた施設は、より家庭に近い形で支援を行うところで、子どもたちとずっと生活をともにするような場所でした。仕事は充実していたんですが、本当に忙しかったです。

時間外でも、子どもたちから相談を受ければ最後まで話を聞いてあげたい、でもそうすると仕事が終わらない。勤務体系も不規則だったので、体力的にもかなりキツくて、最終的には体調を崩してしまいました。この先もずっと続けていくのは無理だと感じて、7年働いた児童養護施設を退職しました。

自分を見つめ直す時間、隠岐の島へ

退職後、自分を見つめ直す中で、何か自分のペースでできることはないかな、と考えるようになりました。雇われているとどうしても自分のペースで動けなかったり、自分の想いとは違うこともしないといけない。それなら自分で何かしたいと思ったんです。

その時に浮かんだのは、いろんな人が来てくれる場所でした。いろんな人がいろんな形でのんびりできる場所。もともと、ちょっとゆっくりできるカフェのような場所に行くのが好きだったんです。

今までの仕事で施設で過ごしている人を見て、思い思いに過ごせる場所は人にとってすごい大切だと思っていました。そういう場所を自分でも作ってそれを自分の生業にしたいと思うようになりました。

隠岐の島を訪れたのはそんな時です。テレビか何かで、ローソク島に夕日が落ちてローソクに灯がともる写真を見たんです。それを実際に見てみたいと思って、島を訪れました。

実際に来てみて、ばちっとハマりましたね。すごく居心地がよかったんです。旅行中に島の人に話しかけてもらったりとか、声をかけた人が優しかったりとか、たまたま入ったお店でおしゃべりした人がすごい優しかったりとか。出会う人がみんな温かくて。

海と景色が綺麗だったことも大きかったです。海がない地元で育ったこともあって、隠岐の海がすごい綺麗なのに感動しました。あと、山の雰囲気が地元と似てたことも印象的でした。隠岐では材木を扱っているので山に杉が植林されてるんですが、地元でも材木業が盛んだったので杉が多いんです。地元の山もすごい好きなので、「そこに海がついてくる、そんな贅沢なことがあるなんて!」ってテンションが上りました。

ここに住みたいと思いましたね。ここに「居場所」を作りたくなったんです。ちょっとしたご飯や、お茶したいと思った時に、立ち寄れる場所が島にはあまりなくて。ないんだったら自分が作りたいと思ったんです。

のんびりできる、みんなの居場所を

現在は、隠岐の島に移住してカフェのオープンのために古民家の改修をしています。店の名前は、「いびすや」にする予定です。お借りした素敵な古民家の屋号が、「いびすや」なんです。元々は「えびすや」だったのがなまって「いびすや」になったと、大家さんから聞きました。

隠岐の島では、今も屋号でお互いを呼び合うくらい、暮らしの中に屋号の文化が残っています。だからこそ、何年も前から続いてきた「いびすや」という屋号を私も残したいと思ったんです。

お客様にとって、友達の家やおじいちゃんおばあちゃんの家のような場所にできたらいいなと思っています。のんびりできて、ご飯を食べてゆっくりして帰る。本を読みながら眠ってしまってもいいし、ただ景色を見てぼーっとしててもいい。いろんな人が、いろんなかたちでゆっくりできる、そんなカフェを作れたらいいですね。

隠岐に来て、8ヶ月くらい経ちましたが、住み心地は予想以上に良いです。地域の方がしょっちゅう家に来てくれるんです。野菜がとれたとか、魚がとれたとか、これ困ってないか?とか。たくさんお世話になっています。私はそういう繋がりが嬉しいし、ありがたいですね。

住んでいる那久地域の人たちも、「空き家がどんどん増えて行く中で、島に入ってきてくれるなんて」と歓迎してくれました。引っ越しでは、近所の方総出で手伝ってくれました。

ご近所さんとつながっている感じもとても強いです。例えば、上の物を片付けるのに脚立が欲しいとか、こういうものがあったら嬉しいな、と思うときに、ご近所さんたちがみんなで探してくれるんです。

どこかから調達してくれたり、人を紹介してくれたりして、隠岐の中でのつながりもどんどん広がってきています。屋号と同じで、近所に住む人同士の強い結びつきが残っているんです。この島は、古き良き時代のものがたくさん残っている感じがします。

ネガティブなことは、実は感じたことがありません。この間、実家がある奈良に帰省したんですけど、奈良から隠岐に戻ってきた時に「帰ってきた」って思ったんです。まだ8ヵ月しか住んでないのに、もう自分の居場所はこっちなんだっていう感覚があるんです。それくらい、居心地がいいんですよ。だから、隠岐に来てよかったなあと、心から思っています。

離島経済新聞 目次

【国境離島に生きる】国境離島71島に暮らす人へのインタビュー

いわゆる「国境離島」と呼ばれる島々にはどんな人が暮らしているのか? 2017年4月に「有人国境離島法」が施行され、29市町村71島が特定有人国境離島地域として指定されました。「国境離島に生きる」では、内閣府総合海洋政策推進事務局による「日本の国境に行こう!!」プロジェクトの一環として実施された、71島の国境離島に生きる人々へのインタビューを、ウェブマガジン『another life.』とのタイアップにて公開します。

関連する記事

ritokei特集